第9話 護衛の理由

「まだ正午を少しすぎた頃だ」

「だから?」


 リセルは一本の三つ編みに編んだ金褐色に輝くセピアの髪を大きく翻して立ち止まった。

 後ろから渋々ついてくるルーグを鋭く睨み付ける。彼は腕を組み、飄々ひょうひょうとした顔を珍しく不機嫌そうに歪めていた。


「あの巫女さんと一緒に、昼ご飯を食べてから出発したって構わないだろう? 今までいろいろ世話になったんだし、そんなに急がなくても『彼奴ルディオール』は現世から消えたりしない」

「ルーグ……」


 リセルは軽い目眩を感じながら、がっくりと肩を落とした。

 ルーグが不機嫌な理由がそんなことだったとは。

 同時にむらむらと腹の底から怒りが込み上げてくる。


「本当は朝食を食べたらすぐ発つつもりだったのに、あんたが茶を飲む時間が欲しいっていうから、この時間まで待ったことを忘れてないか? 神殿に残りたければ残ればいい。あんたは神殿の神官を護る『神殿騎士』だ。山の中でひとりっきりでいるきれいなの巫女さんが心配ならさっさと戻れ。わたしは元の姿に戻ったし、自分の面倒は自分でみられる。あんたの付き添いは必要無い」


 リセルはルーグに向かってそう言い放つと「神の山」を下る緑深い山道を歩きだした。



『王都に行くのなら、山の裏側を下る北回りの方が近道です。アルヴィーズのご加護をここよりお祈りしてますわ』


 別れ際、ひとり「神の山」の神殿を護る巫女――アルディシスの少し寂し気な微笑が思い出された。彼女と多くを語る時間はリセルにはなかったが、もしも姉がいたらあんな感じなのだろうかとも思った。


 確かに、彼女のことが心配なのはわかる。ルーグは飄々とした外見に似合わず人情家らしいので(あくまでもらしいという想像だが)特に女性と子供にはつい世話を焼くのだろう。

 それなら無理して自分についてくる必要はない。

 自分が必要だと思う人間の所へ行けばいい。


(ルーグ。あんたはあれを見ていないから、そんな呑気なことが言えるんだ)


 リセルは俯いたまま大股で下草を踏みしめながら歩いた。

 緩い傾斜を伴った山道は大人二人が並んで歩ける程の幅で、両側には背の低い木が生い茂っている。それらは五日ぶりに昇った太陽の光のせいか、葉は瑞々しい生命に満ちた色をしていた。


 だが思索に耽るリセルの目にそれらは見えていない。

 リセルが見ているのは、脳裏から浮かび上がる暗き記憶。

 崩れて廃虚と化した大神殿。

 それらの瓦礫に埋もれて、多くの神官達が血を流し息絶えていた。

 ほんの少し前まで彼等は、リセルが本当にアルヴィーズ神を喚べるのかと、疑念に満ちたまなざしで見ていたのに。

 それがこんな結果になるとは。誰も思わなかっただろう。


(わたしだって――思いもしなかった)


 ずきん、と胸が疼く。

 無我夢中だった。あそこから

 まさか一時の怒りのせいで、あんなことが起きるとは思わなかった。



「おい、リセル!」


 その時、リセルの右肩を背後から誰かがつかんだ。

 リセルは弾かれたように無言で振り返った。

 あまりにも唐突だったので、反射的に呪文を紡ぐための言葉を発しそうになった。

 かろうじてそれを思いとどまったのは、ルーグの青灰色の瞳が自分を見ていることに気付いたからだ。


 そして、いかにも剣の扱いに慣れているがっしりとしたルーグの手が、そこから微動だにすることを許さないと言わんばかりにリセルの肩をつかんでいた。

 リセルは血の気の失せた唇をひきつらせながらつぶやいた。


「……死にたいのか? 背後からいきなり肩をつかむなんて。もう少しであんたを消し炭にするところだったんだぞ!」


 ルーグは無言でこちらをじっと見つめている。

 その口元はやはりまだ不機嫌に結ばれており、鋭い青灰色の瞳も曇っている。

 どうやらさっき言ったことを根にもっているようだ。

 リセルはルーグの顔を見つめながら、何故この男は自分につきまとうのだろうかと考えた。


 神官を護るのが仕事という『神殿騎士』の役目を忠実に果たしたいのなら、なおのこと、アルディシスの所へ行った方が良いというのに。


 だから、か?

 リセルは瞳を細めた。

 ルーグはリセルの名前と素性を知っていた。顔は知らなかったようだが。

 彼が自分につきまとうのは、誰かにその護衛を頼まれたからなのだろうか。



「いい加減手を離してくれ、ルーグ。


 呼び止めるためだけにしては、妙に力がこもっている。リセルは左手を上げてルーグの手首を掴んだ。


「……離してもいいが、下、見てみろ」


 ルーグが意味ありげに呟く。


「は?」

「身体はそのままで」


 リセルはいらいらしながら視線を地に向けた。


「……」


 ここはまだ下りを続ける山道で、右に向かってきつく曲がっている。

 リセルが立っているのは急角度に曲がっている所の突端で、足元にはこんもりとした小さな木が一面に葉を茂らせているだけだ。

 散々脅かしておいて。ただの葉っぱだけじゃないか。

 それに一瞬腹を立てた途端、リセルのブーツの先が小石に当たり、それはからんと下に転がっていった。


「え……」


 小石は吸い込まれたかのように葉の間に落ちて見えなくなった。


「ここから先は崖になっている。どうやら死にたいのはお前の方のようだな」


 リセルは黙ったまま足元の緑の葉を見つめていた。

 そして、ルーグの手を振り払い、再び道に戻って歩き出した。


「リセル」


 ルーグが追いかけてきたのをリセルは鬱陶うっとおしげに睨みつけた。


「さっき言ったこと、聞いてなかったのか? わたしに付き添いは必要無い。王都へ戻ろうと思えば、今すぐ魔法で『ぶ』ことだってできるんだ。だから……」

「リセル、悪かった」


 ルーグの突然の謝罪にリセルは思わず足を止めた。


「何故あやまる」

「あやまった方がいいと思ったから、あやまってみた」


 リセルは呆れたようにルーグの顔を見上げた。

 黒髪の神殿騎士は照れ隠しなのか、上げた右手で頭を掻いた。


「その、上手く言葉にできないんだが……あまり急ぎ過ぎなくてもいいと思うんだ。お前が『彼奴』を喚びだしたことに責任を感じているのはわかる。母御ははごリスティス様の安否も気になる。一刻も早く王都の様子を知りたい気持ちも理解できるが、私が一番気にしているのはお前自身のことだ」

「……わたし?」


 リセルは意外なものを見るような目でルーグの青灰色の瞳を見つめた。


「わたしの何が気になる? 心配してくれるのはありがたいが、それは無用だと散々言っただろう? 呪いも解けたし体調も悪くない。だから反対に、出発を引き延ばそうとするあんたの意図がわからない」


 ルーグは黙っていた。リセルの心情をその顔から読み取ろうとでもするかのように、じっとこちらを見返している。そしてため息交じりに口を開いた。


「リセル。お前は疑問に思ったことはないのか? 何故、お前が『彼奴』を封じ込めることができるのかと。何故『お前』なのかと。お前は自分が何者か疑問に思ったことはないのか?」

「……それは」


 リセルはルーグから視線を逸らし、肩に流れ落ちた三つ編みを右手でつまんだ。

 関心なさげに口を開く。


「それは、あんたに話さなくてはならないことか?」

「いや。そういうわけじゃないが……」


 リセルは唇に笑みを浮かべ、頭を振った。


「ならばこちらが反対に訊ねさせてもらうが、ルーグ、あんたこそ一体何者なんだ? 『大神殿』の神殿騎士は、『大神殿』の警備と神官の警護をするため滅多に王都から出ることはない。特例があるとすれば、地方の神殿に出向する上級神官に付き添う場合だが、ルーグ、森で出会ったあんたにそんな連れはいなかった。あんたは単独で、あんな辺鄙な場所にいた。それは何故だ?」


 リセルは黙りこくったルーグを見て、再び腹が立ってくるのを感じた。

 言えないということは、何か理由があるのだろう。

 ルーグはひょっとしたら敵なのか。

 リセルは心の中に浮かんだその疑問を一瞬吟味したが、すぐにそれは違うと却下した。

 彼が何かしら邪悪な意識を持っていたら、そもそも「神の山」の神殿に入ることができないからだ。

 ルディオールの呪いを受けたリセル自身がそうであったように、水晶柱の結界は強力であったし、万一そこを抜けても神殿が邪悪な意識を持つ者を拒否する。


「そうだな。私自身が自分のことを話さないのに、お前のことを訊ねるのは確かにぶしつけで非礼なことだった。すまない、リセル」


「やめてくれ。わたしはそんなつもりで言ったんじゃない。訳ありなら無理に話さなくていい。わたしだって知りたくない。ただ、あんたがあまりにも、見ず知らずの人間に対して親切すぎるから……だから……」


 リセルは居心地の悪さを感じてルーグの側を離れた。

 これ以上ルーグと会話を続けたくなかった。

 彼はリセルが敢えて意識しないようにと努めている部分に触れようとしてくる。


「あんたが王都に帰るのなら、行き先は同じだからついてくればいい」


 それだけを簡潔に言って、リセルは山道を再び歩き出した。



『自分が何者であるか疑問に思ったことはないのか?』


 そんなこと、疑問に思ったって、現実が変わるわけじゃない。

 何故自分が神を呼べるほどの魔力を持っているのか。

 この疑問は母リスティスがそうだから、きっとその力を受け継いでしまったせいなんだと割り切ることができた。


 ただ気になったことが一つある。

 アルヴィーズとの対話で、神がリセルを当代の『監視者』と呼んだことだ。

 リスティスは元より、魔法の師匠であるエンジェステッド老からも、『監視者』という存在の話をリセルはきいたことがない。

 ましてや自分がそうだなんて。


『そなたたち人間が自らの世界を守れるように、私の力の一部をとある者に託した』

『そしてそなたが当代の『監視者』だ。リセルよ。そなたのみが、現世で『ルディオール』を封じることができる。だから、あやつを喚び出した事は『必然』だったのだ』


 リセルは歩きながら右手を上げて、掌に浮かぶ小さな痣に視線を落とした。

 それは良く見なければわからないほど薄いものだが、大きな円の中にもうひと回り小さな円が描かれた日輪のような形が浮かび上がっている。

 ルディオールの呪いが解けてから、正確にはアルヴィーズから自分の力の一部がこもった剣を託されてから、その痣は右の掌に浮かび上がっていた。


『自分が何者であるか、疑問に思ったことはないのか?』


 再びルーグの言葉が脳裏に反響する。

 リセルはそれを打ち消すかのように顔を上げ、唇を噛みしめながら歩みを速めた。

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