第513話 subroutine エアフリーデ_妹体験②


◇◇◇ エアフリーデ視点 ◇◇◇


 ラスティのいる執務室のドアを叩く。

 返事は無い。


 許可を得られなかったが、強引に入った。

 窓のカーテンを閉め切った真っ暗な部屋。その中央で、彼は椅子に座っている。テーブルも無く、太股の上に肘を置き、じっと床を見つめていた。まるで人生に疲れ切ったような姿だ。

 とても位人臣を極めた人物とは思えない。


 わざと音を立ててドアを閉めるも、ラスティは動かない。

 いや、ピクリと異変を察知したようだけど、それっきりだ。自暴自棄になっているようだ。もう何もかもがどうでもいいのだろう。


 ゆっくりと近づき、彼の肩に手を置いた。

 床を見つめていた顔が、緩慢な動きで持ち上がる。


 ほんの一瞬、くらかった彼の双眸に光が宿った。

「エリ……ス…………エアフリーデさんか」


 がっくりと肩を落とすラスティ。妃陛下とフォーシュルンドのたくらみは失敗した。見返りも無しだろう。だけど私は、それに固執こしつするような女ではない。

 乗りかかった船だ。ラスティを立ち直らせるべく全力を尽くそう。


「あなたという人は、一体いつまで、そうやっているつもりですかッ!」


 大声で怒鳴りつけると、彼は目を見開いて驚いていた。どうやら、普段の私からは想像できないような声だったらしい。


「ヴェラザードは死にました。それは悲しいことです。ですが、あなたが落ち込んでいるせいで、周りが迷惑しています。フォーシュルンド様にいたっては、目も見えないのにラスティ聖下のために走りまわっています」


「……彼女はそういう性格だから」


 性格で片付けるようなことだろうか? 目の不自由な女性が、夫のためにと動いているのに、どうでもいいと?!

 呆れて物が言えない。フォーシュルンドの愛情を無視しているようで腹が立ってきた。


 手加減無しで引っぱたく。

 バチィーーーン!


 叩いている私も痛くなる音がした。

 ラスティの頬にまっ赤な手形がついた。


 これで少しはまともになったかと思ったのだが、

「……君は彼女の強さを知らないからね」


「強いとか弱いとか、そういう問題ではありません。女として見るべきです!」


「それこそ女性蔑視べっしじゃないのか?」


 ああ言えば、こう言う! 暴力で解決するのはよろしくないことくらい知っています。ですが、これはいただけない!

 なので、さっきよりもキツい一発をぶちかましました!


 バッチィィーーーンッ!!!


 怒りを込めすぎたようで、叩いた手が痛い。


 頬をまっ赤にしたラスティが、りずに続けます。


「多少の危険なら問題ない。彼女は俺の恩師だし、普通の奴じゃ歯が立たないよ」


「このわからずやッ!」


 三度目のビンタのあと、フォーシュルンドがどれだけ心配しているのか教えました。

 ここまでやって、やっと理解していただけましたが、あの女性が不憫ふびんでなりません。


「自身の目のことよりも、あなたの身を案じているのですよ! もし、ラスティ聖下に危険が及ぶようなことがあれば、彼女は身をていしてあなたを守るでしょう!」


「……それは困る。彼女を幸せにするって誓った」


「どこをどう見れば幸せなのですかッ!」


「そ、そうだな。俺がしっかりしないと」


「しっかりしないと、ではありません。いますぐ、しっかりしてください!」


「あ、ああ。そうする」


 淑女らしくない振る舞いをした甲斐あって、ラスティ聖下は幾分かまともに戻りました。

 間髪容かんぱついれず、要求を突きつけます。


「聖下、私は聖下のことをどう呼べばよろしいのでしょうか?」


「どうって、アルチェムさんたちと同じで良いんじゃないのかな?」

 やる気のないラスティは投げやりに言う。


「そうではありません。仮にも私は義妹。お兄様と呼ぶべきか、兄上と呼ぶべきか、ここで決めていただきたいのですが」


「…………好きにしてくれ」


「なりません。私も聖献の一つ。しっかりと定めて頂かないと困ります」


「俺は人を物扱いしたくない」


「聖献の受け取りを拒否されるのですか」


「そうなるのかも。ああ、でもそれだと…………」


 いちいちハッキリしない男だ。イラッときたので、文机へ行って、ペーパーナイフを持ってきた。


「ちょっと、一体何を!」


「拒否されたのですよね。でしたら、聖献は不要。ただちに処分します」


 両手で握ったペーパーナイフを胸元に向けて、大仰おおぎょうに自身の胸を刺すぞと脅してみた。


 すると彼は、慌てて椅子から立ちあがり、

「待てッ! はやまった真似はするなッ!」


 かなりせたラスティだったが、凄まじい力で私の手からペーパーナイフを奪った。そのまま離れた場所へ投げ捨てる。


 彼の行動はそれだけに留まらず、私の腕を引きソファーへ。

 強引にソファーに座らせると、ラスティは対面に座った。


「妹の真似をするのはいい。だけど、エリスと同じ姿で、あんな悪戯はしないでくれ」


「あんなとは?」


「切れないペーパーナイフで自分の胸を刺すような悪戯ですよ。笑えないジョークだ」


「ジョークなどではありません。私は聖献として見初められませんでした。不要な物は排除すべきです」


「じゃあ、どうすれば不要じゃなくなるんだ」


 どうやらこれが彼の弱点らしい。


「せめて兄と呼ばせるくらいは許して欲しいのですが。駄目でしょうか?」


「…………それで、あんな馬鹿げた悪戯をされないんだったら」


「ありがとうございます。それでは今後、お兄ちゃんと呼びますね」


 せめてもの腹いせに言ってやったつもりだが、彼はこの言葉を機に固まった。

「…………」


「あれ? どうしたんですか、お兄ちゃん」


「…………」


「あのう、聖下? お兄ちゃん聖下? 一体どうしたんですか」


 彼の目の前で手の平を振る。反応がない。

 手を握るも微動だにしなかった。なので、その手を胸元に…………。


「ふわッ!」


 慌てて手を引っこめた。あと少しだったのに……残念。

 妹という壁を越えるにはもう少し勢いが必要なようだ。


「エリ……エアフリーデさん、からかうのはやめてください!」


 色仕掛けに変更する。

 ラスティの胸元に指で『の』の字を書きながら、しっとりとした声で囁く。

「でも、聖献を受け取ってくださらないのでしょう。でしたら……ね」


 何が、ね、なのだろう。自分で言っておきながら混乱してしまった。


「妹って呼べばいいって言ったじゃないか。それ以外にもあるのか?」


 失念していた。彼がわずらっているのは心の病気だ。頭の病気ではない。


「あります。まず第一段階が兄と呼ばせること。そして第二段階がハグする……キャッ!」


 まだ人が話している最中だというのに、抱きついてきた。


「第三段階はあるのか?」


「第三段階は愛することです」


「愛するって、どんな風に」


「ご想像にお任せします」


 彼はむぅとうなると、前髪を払いのけ額にキスしてきた。…………惜しい。あと一歩だったのに。どうやら彼の妹観念は相当硬いらしい。


 ラスティを落とすのを諦めた。


 それからいろいろ話しあって、彼の悩みを解消すべく、ある目標を立てさせた。

 彼の妻、フォーシュルンドの目を治すことだ。


「そういえば、あの悪魔がなんか言ってたな。治し方がどうのこうのって」


「悪魔族と契約したのですか?」


「成り行きでね。もう代償は…………払ってないか」


「肝心の契約は?」


「した」


「…………」


「マズかったのか?」


「無闇矢鱈やたらと人を信用しないことをお勧めします」


 それから悪魔族について厳重に注意した。

 あの種族は気まぐれだ。時には善人を悪の道に走らせ、時には悪人を聖人に変える。


 悪意はないようだけど、人の人生をもてあそぶようで嫌いだ。

 そんな理由もあり、あの種族は距離を置かれる傾向がある。なかには受けた恩に感謝する者もいるが稀だ。大抵は破滅する。


「ふぅん、そうなんだ」


「その態度から察するに、あの種族に恩義を感じていますね」


「一応はね。でも、どうせ恩を売るのならもっとキッチリしてほしかったな。中途半端に目が見えないとか無しで」


「もしや、フォーシュルンド様の目が見えないのは……」


「悪魔に助けてもらった代償みたいなもんさ。でもまあ、助けてもらったのは事実だしね」


 お人好しにもほどがある。

 この大甘なお兄ちゃんに、生涯しょうがい仕えなければならないことを考えると頭が痛い。


「お兄ちゃん」


「なんだい、エリ……エアフリーデさん」


「私、泣いてもいいですか?」


「なんでッ!」


 ラスティを立ち直らせることに成功したものの、私としては非常に後味の悪い結果となった。

 どうやら彼とはすれ違う運命にあるらしい。不運だ。

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