第512話 subroutine エアフリーデ_妹体験①
◇◇◇ エアフリーデ視点 ◇◇◇
ヴェラザードという貴族の娘が死んだ。
その日を境にして、ラスティ・スレイドという男は壊れてしまった。
彼の妻を名乗るフォーシュルンドなる女性は、なんとかして以前の彼に戻したいようだが、努力も虚しくその兆しは一向に見えない。
「パパ、無理しちゃ駄目よ」
「わかってる。それよりもホエルンの目を治さないと」
「これは一時的なもの。マッシモもそう診断してくれたわ。だから大丈夫」
「…………それならいいんだけど」
「私のことより、休みをとりなさい。仕事はいいから、ゆっくり心と体を休めて、はやく嫌なことを忘れなさい」
「…………」
夫婦というより、病人と介助人の会話だ。
自己犠牲の塊ともいえる男は、日に日に
陰鬱な表情から、私の知るラスティ・スレイドと同一人物なのか、とたまに疑ってしまうくらいだ。
それほどまでに、死の存在を色濃く纏っている。
そのような状況にもかかわらず、彼はいまだに周囲の人々の幸せを優先している。
フォーシュルンドは、ラスティの寝室を出るとドアに鍵をかけた。
そして、私に近づいてくる。
「こんなことを頼めた義理じゃないのはわかっているけど、顔、
「何を言い出すのかと思えば、フォーシュルンド様は目が
「あるわ、とても大事なことよ」
大事と言われては断りづらい。
子供がするようにペタペタと触ってくる。
それが終わると、フォーシュルンドは腕組みをして考え込んだ。
出てきた言葉は、
「やっぱりね。色はわからないけど、ほぼ確定ね」
「あの、一体何が確定したのですか」
「何って、教皇様の意図よ」
「意図?」
そういえば、なぜラスティの義妹になったのか理由を知らされていない。彼女はそれに気づいたようだ。気になったので尋ねることにした。
「差し支えなければ教えてくれませんか?」
「教えるようなことじゃないと思うんだけど……」
しばし考えてから、フォーシュルンドは意地悪そうにヒントを出した。
「パパが大切にしているものって、何かわかる?」
懺悔の内容を思い出す。
「自身の知る世界――周囲の人々の幸せ……ですか?」
「そのなかで、もっとも重要視しているのは?」
「…………家族」
「もっと踏み込んでみて、家族の誰を大切にしていたの?」
「弟妹」
「そうね。特に妹を大切に思っていたみたい」
「それはわかります。でも、私が義妹になった理由とどう関係あるのでしょう?」
再度、フォーシュルンドは考え込んだ。
「…………エアフリーデには〝ほろ〟が視えないのよね。知らないのなら…………でも………………」
独り言をブツブツ言っている。
気になって仕方ない。はやく答えを教えてほしいものだ。
しばらく自問自答を繰り返し、フォーシュルンドの口から出てきた言葉は、
「あなた、彼の妹と瓜二つなの」
「えっ!」
そういえば、使節団としてイデアに来ていた頃、沐浴の場で頼まれた。エリスと呼ばせてくれと。それが彼の妹の名前だろうか?
「その妹さんのお名前は」
「エリス」
そうか……。なるほど、私に手を出さなかった理由がわかった。どうりで、
知っていたのなら教えてくれればよかったのに……。心のなかで、
ここから先は言うまでも無いだろう。
ホエルン・フォーシュルンドに
◇
フォーシュルンドの指導の下、私はエリスという娘に化けた。
ちなみに、衣装合わせをしてくれているのは、ベルーガの王妃である。
ラスティは王族だけど正当な血筋ではない。だから。王妃自ら出てくるとは夢にも思わなかった。
その王妃が、手ずから髪を結ってくれる。
申し訳ない気持ちで胸が張り裂けそうだ。
「ごめんなさいね、エアフリーデ。まさか、あなたにこんなことを頼むなんて……」
「い、いえ、エレナ妃陛下。我らは聖献、仕えるべき聖下のために身を粉にして尽くす所存です」
「あ~、それ駄目」
「駄目……ですか?」
「お兄ちゃんの前で言ったらアウトよ。ああ見えて、言葉の端々に鋭いから」
「……畏まりました」
「それも駄目。平民を意識して話すように」
「はい」
「よし、できた」
私の肩を叩くと、妃陛下は台車のついた大鏡を転がしてきた。人ひとりをすっぽりと覆い隠せる大きな鏡だ。
鏡に映ったもう一人の自分を見る。
華美なドレスではなく、清楚なワンピースといった出で立ち。髪は普段と同じハーフアップで、ちがうことといえば大きなリボンを結わえているくらいだ。化粧っ気は無い。限りなく普通だ。
私も聖務がない日は、これとよく似た格好をしている。会ったことのないエリスという娘に親近感を覚えた。
「見た目は問題無さそうね」
妃陛下が満足そうに言うと、フォーシュルンドが口を開く。
「見た目はね、見た目は。中身もそれに合わさないと」
それから、一時間近くフォーシュルンドにエリスの気構えを教わった。なんちゃってエリス誕生の瞬間である。
付け焼き刃の知識だが、これでラスティを
「それじゃあ、お願いね。可愛い妹のエリス」
「…………はい、フォーシュルンドお姉様」
彼女たちの悪戯に付き合わされるのだ。それなりの対価を請求しよう。でないと、好きでエリスに化けたのだと勘違いされてしまいそうだ。
そんな思惑もあって、見返りを求めたのだが……。
「そうね。今後のこともあるから、とりあえず手付けに大金貨一〇〇枚支払いましょう」
「私はそんな大金持ってないから、訓練してあげる。ひと月で最強に育ててあげるわ」
どちらも魅力的な見返りだけど、それを受け取って良いものか悩んでしまう。上手く行きすぎだ。……経験上、このあととんでもないことが降りかかってくるのを知っている。
でもまあ、相手は王族だし、それに連なる奥さんだし……こんなものか。
契約書にサインして、本番に臨んだ。
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