第364話 森の乙女①



 王都の西にある森の調査を理由に、妻たちから逃げ出した。


 別に彼女たちが嫌いになったわけではない。ただ一人でゆっくりしたかっただけだ。


 そもそもの話、俺に一人になれる時間を設けてくれなかった妻たちが悪い。理解ある対応をしてくれていれば、こんなことにはならなかっただろう。


 妻たちには、夫として誰からも文句を言われないよう実績を積みたい、と何度も説明した。渋々だが了承も得た。ちゃちゃを入れられることはないはず。


 騙すようで気乗りしなかったが、これも心の平穏のため。理解ある良妻賢母を自称しているのだ、大目に見てくれるだろう。……そう願いたい。


 久々のお一人様なので、心が軽い。ああ、忘れて久しい独身の気楽さ。


 一応、国王からの命令なので、しっかりと下調べする。

 森で起こった不可解な事件についてだ。なんでも、稀に行方不明者が出て、二、三日たってからひょっこりと帰ってくるのだ。帰ってきた者は口を揃えて、森で老婆と出会ったと。

 その老婆の正体は大陸屈指の賢者で序列二位の〝叡智の魔女〟だという。


 なぜ老婆が〝叡智の魔女〟だと断言できるかというと、行方不明になった騎士がそのように怒鳴り返されたかららしい。

 王族やその敵対派閥は、名声を上げるためこのビッグネームの賢者様を是非とも召し抱えたいらしく、森へ騎士や冒険者を派遣している。


 各勢力が調査隊を派遣するも、結果は芳しくないとのこと。そこへ俺が名乗りをあげたわけだ。


 特に危険のある任務ではないので、気楽なもの。


 ピクニック気分で気心の知れた部下――ラッキーやマウスを従えて森を調査していたのだが……。


「完全に迷ったな」

 気がつくと、俺だけ迷子になっていた。

 珍しい草花をサンプリングしていたのがいけなかった。


 フェムトに位置情報を確認させるも、磁場が悪いらしく位置情報の取得は不可能とのこと。


 仕方なく森を彷徨っていたら、ぽつんと立つ一軒家を見つけた。屋内から明かりが漏れている。人だ、人が住んでる!


 夕刻が迫っているので、一夜の宿を借りようと一軒家の戸を叩いた。

「すみません。旅の者ですが、道に迷ってしまって。一夜の宿を借りたいのですが」

 けっこうな声量で呼んだが、家の主から返事はない。


 失礼を承知でなかに入った。

「あのう、どなたかいませんか?」


 やはり返事はない。住人を探す。

 キッチン、リビング、書斎、用途のわからない空き部屋、本が乱雑に突っ込まれた書籍や錬金術師が用いる器具や作業台のある部屋。どこにも人の姿はない。最後に寝室とおぼしき部屋に足を踏み入れる。


 ベッドに人が寝ていた!


 背を向けているので年齢はわからないが、亜麻色の長い髪が見えた。女性だ!


 女性の寝室に忍び込むなんて、完全に犯罪案件だ。


 いったん寝室の外へ出て仕切り直す。

 ドアを軽く閉めてからノックした。


「あのう、どなたかいませんか?」


 返事はない。どうやら熟睡しているようだ。

 再度ノックをしてから、寝室に入る。


「あのう……」


「聞こえてるわよ」


 トゲのある声だった。声音こそ弱々しいものの、話に聞く老婆とはちがう。若い女性の声だ。件の魔女――老婆でないのは明白。

 魔女の身内かとも思ったが、屋内には同居人が住んでいる形跡はなかった。

 一人暮らしで間違いないだろう。


 なんでわざわざ不便な森の奥に住んでいるのだろう? それも一人で?

 疑問に思ったが、こっちは泊めてもらう身だ。よけいなことは聞かないでおこう。心象を悪くして追い出されたくない。野宿はごめんだ。


「旅の者ですが、道に迷ってしまって一夜の宿をお借りしたいのですが……よろしいでしょうか?」


「好きになさい。……空き部屋があるからそこをつかって」


 こちらを見ることなく女性は言う。

 声に力がないし、どうも辛そうだ。


 話にのぼっている〝叡智の魔女〟じゃないので、多少は機嫌を損ねても問題ないだろう。それに健康状態も気になる。もう少し話し込んでみることにした。


「お身体の具合が悪いのですか?」


「あなたには関係ないでしょう。部屋から出て行って!」

 怒られてしまった。


 若い女性が一人で暮らしているのだ。警戒されて当然だろう。仲良くなって、魔女について情報をあつめたかったが諦めた。

 好きにしてもいいと許可も得たことだし、腹ごしらえをすることにした。


 キッチンへ向かう。

 女性は几帳面な性格らしい。大理石のキッチン台はピカピカでゴミ一つ落ちていない。キッチン横の棚にはラベルを貼った調味料が整然と並べられ、フライパンなどの調理器具が右から大中小と規則正しく収納されている。


 素晴らしい! 綺麗好きな俺からしても合格のキッチンだ。きっと料理も上手いのだろう。


 できることなら彼女の腕前を知りたい。しかし、体調が悪くて無理そうだ。


 泊めてもらうわけだし、病人用の食事くらいはつくってあげよう。

 麦粥という選択もあったが、スープにした。栄養たっぷりの具だくさんスープだ。


 野菜の入っている木箱からオニオンを取りだし、細かくみじん切りにする。ついでにニンジンも。

 それからオニオンを焦げないように炒めて、水を投入。手持ちの携行食糧からビーフジャーキーを取り出し、細かくちぎってニンジンと一緒に追加投入。コトコト煮込む。

 木箱からキノコが見つかったので、毒がないか確認してから、これも刻んでぶち込んだ。


 スープの色がうっすらと黄金こがね色になる。


 試しに一口飲んでから、塩コショウで味ととのえる。アクセントに、主張しないハーブを入れて完成だ。


 家主の分をトレイに乗せて、また寝室へ。

「すみません。スープをつくったのでよろしければ……」


「適当に置いて出ていって」


「はい、じゃあここに」

 部屋にある文机にトレイごと置いて退散した。


 女性の部屋に長居は無用。失敗はカナベル元帥だけでいい。これ以上の修羅場はごめんだ。


 俺も食事をとって、その日ははやく寝た。


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