第242話 subroutine カーラ_愛情表現


◆◆◆ カーラ視点 ◆◆◆


 ある日のことだ。

 未来の夫から用事があると、呼び出された。


 仕事の途中だったが、それらを置いて駆けつける。


 ドアの前でとまり、服装をととのえる。髪もさっと手をあてて、慌てて来たことを悟られないよう努めた。


 王族の一員になることは確定しているのに、未来の夫はこぢんまりとした執務室をつかっている。

 ベルーガの懐事情を考慮してくれてのことだろう。大貴族といえどもこうはいかない。一部の教養ある貴族を除いて、多くの無駄飯食いどもは自分の無能を棚に上げて、贅沢ぜいたくに精を出す傾向にある。ラスティのような清廉潔白で質素を旨とする貴族が、我が国にどれほどいるだろうか。頭の下がる思いだ。


 深呼吸してからドアを叩く。

「どうぞ」

 心地良い声音が届いた。


「用があると聞いた。なんだ」


 想いとは裏腹にキツい口調になってしまった。謝ろうかと思ったが、先客――騎士がいたので思いとどまった。


「悪い、いま立て込んでいるんだ。もうしばらく待ってくれ」


「王族を待たせるとはいい度胸だな。まあいい貴様は功労者だ、待ってやる」


「ありがとう…………それじゃあ、君の考えを軸に支出を見直そう。購入するかはそれからだ」


「では、修繕した武具を練兵場や巡回警備に下げ渡して、新規購入は実戦部隊に配備するのですね」


「ああ、無駄な出費は極力減らしたい。幸い腕の立つ鍛冶士もいる、彼らの仕事も用意してあげよう。修繕が無理ならそのときだ」


「かしこまりました。その方向で検討します。詳しい数を把握次第、報告に参ります」


「頼んだぞ」


「はい」


 生き生きとした表情の騎士が、オレに一礼して部屋を出て行く。


 二人っきりになれたので口調を戻す。

「おまえ様、部下の手前とはいえキツい口調になってしまった。すまない」

 頭を下げるなり、椅子が床を擦る音がした。


「いや、いい。カーラが頭を下げることはない。呼び出したのは俺だ」


 ラスティは慌てて駈け寄り、オレの肩に手を添えた。元の姿勢に戻される。


 昔、婚約を勧められた馬鹿王子とは大違いだ。あの馬鹿はオレが下手に出ると、屈伏くっぷくさせたと勘違いしてニヤニヤとご満悦だった。それに引き換えラスティはどうだ。まるで我がことのように悲しそうな顔をしてくれた。ああ、大切な人にこのような不快を強いるとは……。


「すまな……ああ、これは禁句だったな。それでおまえ様よ。用とは一体なんだ?」


「実は…………」


 呼び出した用事とは、なんということもない些末さまつなことだった。


 ラスティの血を飲めというのだ。


 そういえば妹――ティーレが話していたな。なんでもラスティの国では禁忌にあたる行為だと……。


「精霊様の加護を分け与えてくれるのであろう。いいのか? ティーレから極刑にあたる行為だと聞いているが……」


「気にしなくてもいい。どうせ俺は国に戻れない」


「しかし、そのような刑罰を設けているのだ。悪いことなのだろう」


「かまわないよ。カーラとは夫婦になるんだし、それにその眼、何かと不便だろう」


「ああ、〝心眼〟は相手の強く念じた思考を読めるからな。制御できないので、無駄に意識が流れこんできて辛いのはたしかだ。だが、この眼鏡があれば問題ない。予備もあるし、これといって不便を強いられてはいない」


「でも読み書きに不自由がないのであれば、眼鏡をかける必要はないよね」


「そ、そうだな。……もしかしてなのだが、そのためだけに?」


「眼のことはついでだよ。俺の血を飲んでもらうのは精霊様の加護を譲るためだ」


 ついでと言っているが、妹からは命を助けるために飲ませてくれたと聞いている。加護を譲るというのは方便だろう。


 オレの眼だけのために……。


「とんでもない! これ以上おまえ様に迷惑はかけたくない」


「あ、えっと、勘違いしているようだから、ちゃんと説明する。この行為は夫婦の間柄なら許される行為なんだ」


「それは王族となる前に婚姻するということか?」


「俺の国の法律だけどね」


 言葉の意味を考える。

 ベルーガの法ではなく、ラスティの国の法。これはある意味求婚だ。いや、オレが先に求婚したものだから気をつかっているのだろう。そもそも求婚は男がするものだしな。……ん? ということは……オレは愛されていることになるのかッ!

 考え込んでいたせいで、嫌がっていると受けとられたらしい。


「嫌なら無理強いはしないけど……」


「待て、受ける。受けさせてくれ。お願いします受けさせてくださいッ!」


「良かった。やっぱり不便だったんだな。勘違いかと思ったよ」


 求婚に照れているのだろう。ラスティは、それほど重要でないような素振りをした。あまりにも自然な演技にだまさるところだった。


 ティーレが惚れるだけのことはある。紳士的で、ここまで相手のことを気遣えるとは……。


 それからラスティは手首を切った。傷口から血が湧く。


 かなり痛そうだ。


 血判を押すにせよ、重大な契約のインク代わりにするにせよ、つかう血液はほんの数滴。指先を軽く傷つけるくらいだ。それを考えると、この儀式がいかに重要視されているか窺い知れる。


 だからなのだろう。

 それを考えるだけで身体が震える。


 間違いなくオレは愛されている。


 ラスティが血のしたたりそうな腕をかかげた。


 重要な儀式だ。一滴いってきたりともこぼさないよう注意して、流れ落ちるあけしずくを口にする。


 思っていた以上の量を飲ませてきた。

 錆びた鉄のような嫌な味だったが、我慢して飲む。


 儀式が終わると、ラスティは傷口を手で覆った。

「おまえ様、傷は大丈夫なのか? かなり深く切っていたようだが……」


「大丈夫、すぐに塞がる」


 精霊様の加護だろうか?


「今回はちょっと多かったかな」


 さりげない言葉だったが、オレは理解した。これは愛情の度合いだ! きっとそうにちがいない! 今回はということは前回よりも上だ。正妻のティーレと比較してどうなのだろう?


 嫉妬しっと深い女だと思われるかも知れないが、隠された事情を知らない風を装って、

「ティーレのときはもっと多かったのか?」


「あのときは……そうだなぁ。カーラよりも少なかったかな。ごめんね、生の血なんか飲ませて」


 不快感を理由に謝っているが、真実はちがうのだろう。誤魔化そうと必死で後付けした感がある。


 嬉しさのあまり顔が赤くなるのがわかった。愛されている。それも第一夫人――正妻である妹よりも……。そのことが、これ以上ないほど嬉しい。


 それからラスティの妻たちが持つ金属の板をもらった。この板は精霊様の声を聞くのに必要な物で〝ガイブヤ〟というらしい。


「眼が痛くなるようだったら精霊様に心のなかで頼んでくれ。そうしたら助けてくれるはずだ」


「もし精霊様に嫌われていたら?」


「それはない。約束する」


「そうだな。おまえ様が嘘をついたことはないな。疑ってすまなかった」


「そういうのはもうやめよう。俺たちは夫婦になるんだし、お互い多少のことは目を瞑るようにしよう。じゃないと窮屈きゅうくつだ」


「……そう言ってくれるのはありがたいのだが、気持ちの整理が必要だ。少し時間をくれないか」


「俺のほうこそ言い過ぎた。謝る、すまない。ティーレは大切な妹なんだよな。いままでのことは、きっと妹のことを考えてのことだったんだろう。こっちこそ考えが足りなかった。本当にすまない」


 ラスティが直角に身体を折った。


「お、おまえ様が頭を下げる必要はない。顔をあげてくれッ!」


「いや、でも、それだとまたカーラ謝るだろう」


「わかった。お互い昔のことは水に流そう。それでいいのだろう、おまえ様よ」


「それでいい」


 勝ち誇ったかのように背筋を伸ばし、ラスティは笑った。


 オレとしたことがまんまと嵌められてしまった。

 負い目のあるオレの口から、過去のことを水に流そうと言わせるとは……。


 なるほど、女たちがみなラスティに好意を寄せるはずだ。

 命を狙った相手を許す。なかなかできることではない。そのうえ、その相手を妻に迎えるのだ。勇者や英雄どころではない、歴史に名を刻むような賢王、英王の器だ。


「お互いの遺恨いこんは消えた。これでいいのだろう」


「ああ、それでいい」


「わざわざ仕事の手をとめて来てやったのだ。今度はこちらの用件を聞いてもらおう」


「用件ってどんな?」


「そうだな。まずは目をつむって右へ三歩、左へ二歩、ぐるり回って前へ一歩」


「ちょ、いきなりだな。なんの意味があるんだ」


「やればわかる」


「…………目を瞑って、右へ三歩、左へ三歩、ぐるり回って、どこだっけ?……」


「ぐるり回って前へ一歩だ」


「前へ一歩っと……次は? カーラ、次はどうすr……むぐッ!」


 愛すべき夫に唇を捧げた。


                      〈§7 終わり〉

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