第198.5話 subroutine ミスティ_ロドリアの一族



 エクタナビアにいる魔族の多くは、元々は星方教会のあるイデアに住んでいた。


 一〇〇年ほど前に行われた教会の弾圧により、私たち魔族は住む土地を追われた。

 ここエクタナビアに流れ着いたのはおよそ四〇年前の話だ。

 ロドリア家の庇護により、流浪の魔族は平和を手に入れた。

 そのときから、大旦那様――オスカー様に仕えている。

 いまの主は、オスカー様に嫁入りしたカリエッテ。ベルーガの元帥を務めている女傑である。

 その彼女と私の間柄は、家族であり、親子であり、そして仕えるべき主と従者でもある。複雑な関係だ。


 数多の戦場を駆け巡ってきたカリエッテも寄る年波には勝てず、最近はうたた寝が増えた。


 エクタナビアを護る人材が一人でも多く必要なはずだ。

 それなのに彼女は…………。



◇◇◇



 エスペランザ・エメリッヒ、興味深い人間だ。

 博識で私たちの知らない古今東西のいくさに精通している。思慮深く、慇懃無礼で口は悪いが、その知性は本物だ。ベルーガの軍事顧問を務めるのも頷ける。


 しかし解せない。


 あれほどの博識ぶりを披露しておいて、真顔であのようなことを口走るだろうか?


 理解に苦しむ。


 もしかして私は試されているのだろうか? 彼が謀略・軍略を私たちに教えるに足る人物かどうか……。


 エスペランザの部屋を出たところで、フローラが肩を叩いてきた。

「ミスティも大変ですね」


「ええ、本当に……あの問いかけのかいがわかりません」


「そのままの意味だとしても、あの態度。裏があるように思えて仕方ありません。妙に芝居がかったように、何度も魔乳について尋ねてきましたから。もしかすると、本当に知らなかったのかも……」


「それはどうかしら。〝拳ほどの領土〟については知っていたわ。魔乳を求める意味も知っていてしかるべきかと……。その辺はフローラならわかるでしょう。私よりお世話をする時間が長かったのですから。彼が本当に魔乳を知らないかどうか、判断できるんじゃない?」


「……難しいわ。あの御方の考えは読めない。知っていないかもしれない。だけど……いえ、だから気になるの」


 フローラは隠しているようだけど、たまにボロを出す。以前はエスペランザと呼んでいたのに、最近ではたまにと口にする。


 それにときおり、熱のもった視線をあの男に投げかけている。

 れているのだろう。付き合いが長いだけに理解できてしまう。

 その証拠に、私の魔乳を所望されたとき、ひどく打ちひしがれているのを目撃した。


 あの男のどこにフローラを惹きつける要素があるのだろう?


 いろいろと考えたいところではある。しかし、彼女の手前、だんまりを決め込むとかえって変に思われそうだ。

 怪しまれぬよう適当に答える。


「そうね。本当に彼の――エスペランザの真意が読めません」


 彼女の瞳から嫉妬しっとの色が見てとれた。


〝拳ほどの領土〟これは人族と共通する弱点――心臓を意味する。魔族の間では求愛において『拳ほどの領土を捧げる』と告白するのが一般的だ。それ以外にも、髪でつくった絵筆を贈ったり、角や牙、羽根でつくった装飾品を贈ったり。

 魔乳を求めるのも告白のひとつにあげられる。しかし、その文句は破廉恥はれんちだという理由でかなり昔に廃れたはずだ。

 フローラはあの男に気があっただけに、忘れ去られた過去の因習に囚われているのだろう。


 私としてはろくに面識のない相手だったので、さほど気にはならなかった。しかし、いざ面と向かって告白されると意識してしまう。口先だけの男ではなく、尊大に振る舞えるだけの力を持っている。それなのに隠そうとしている。

 その行動原理は理解しがたい。


 さりとて、可愛い妹分であるフローラをあの男に勧めることもできない。求められたのは私なのだから。


 複雑な心境だ。そして、もどかしくもある。

 はっきりとしない謎かけほどモヤモヤするものはない。答えがわからないだけに、気になってしまう。

 まさかエクタナビアを発つ前から、あの男の手中で踊らされるとは……。

 そう考えると、これは一種の離間工作かもしれない。エスペランザ・エメリッヒ、侮れない男だ。



◇◇◇



 あれから私なりに考えた。

 しかし納得のいく答えは出てこなかった。


 白旗をあげるのはしゃくだけど、正解を教えてもらおう。

 朝食の場で聞き出そうとしたら、その日はフローラも魔乳を提供すると言い出した。

 なんでも魔族だとバレていないか確認のためらしい。


 嘘だ。


 きっと、あの男に告白されたいのだろう。好奇心旺盛なフローラの思いつきそうなことだ。


 私はあえて、気づかぬフリをして、

「そうね。確認のため試してみましょう」


「では、さっそく準備をッ!」

 同意するなり、フローラはグラス片手に空き部屋へ入っていった。


 そそっかしい娘だ。


 しばらくして部屋から出てくる。


 その顔は紅潮こうちょうしていて、魔乳を絞り出すのに苦戦したことがうかがえた。


「はっ、はっ……なんとか出せました」


「では行きましょう。エスペランザが朝食を待っています」


 厨房に寄って朝食を受け取り、彼の待つ執務室へ。


 エスペランザは細かい男で、ノックの回数にも決まりがある。

 位の高い者を連れてきた場合は三回、それ以外の用事は二回、私たちだけなら一回。

 外のドアノブに入室禁止の札がかかっていなければ、返事を待つことなく入ることができる。


 効率的なのは理解できるが、覚える方は大変だ。

 改善を要求したこともあるけど、聞く耳を持たない。

 あの男に気遣いを求めるだけ無駄らしい。実に面倒な男性だ。


 ドアノブに札もなく朝食を用意するだけなので、ワンノックで部屋に入る。


「朝食をお持ちしました」


「いつもすまないね」


 いつもとちがってミルクの入ったグラスが一つ多い。それなのに、エスペランザは別段気にもとめることなく食事を始める。


 違和感があった。


 エスペランザは黙々と朝食をとり、そしてミルクをグラス二杯飲んだ。

「エスペランザ様、今朝の魔乳はいかがでしたか?」


「どちらも美味しく頂いた。一杯目はいつもと同じで濃厚だった。二杯目は若々しい味がしたな、喉越しがよく口当たりもマイルドだ」


 やはりおかしい。魔乳のちがいについては味だけだ。なぜ二種類も用意したのか言及しない。こういう差異に関しては、いつもなら細かすぎるくらい聞いてくるのに……。


 様子をうかがっていると、フローラが彼に問いかけた。

「それで……どちらのほうがお口に合いましたか?」


「どちらも素敵な味だった。甲乙つけがたい。さて、朝食もすませたことだし、これから君たちの要望を聞くとしよう。謀略・戦略の先生としてね」


 なるほど、そちらで頭がいっぱいだったのか……。だから些細なことにも口を出さなかった。


 それからいくつか質問され、私とフローラの課題を洗い出した。

「フローラ嬢は兵を率いた経験があると……。話を聞く限りだと足りないのは謀略――主に情報戦だな。洞察力も鍛えたほうがいい。ミスティ嬢は軍務経験の不足があげられる。可能であれば格闘技も仕込みたいところだが、私の専門外だ。適任者が復帰したらそちらに任せよう」


「エスペランザ様、砦でのご活躍が真実であれば、専門外とは申せません。謙虚にもほどがありませんか? そこまで行くと嫌味です」


「嫌味か……しかし本当に不得手なのだよ。身体をつかっての戦いはね」


 話の終わりが見えてきたところで、フローラは思い出したかのように言う。

「エスペランザ様、ところで明日以降のことについてですが……」


「ああ、今後の予定か。エクタナビアを出立するのはスレイド大尉が戻ってきてからになるな。気楽な旅ではない、軍事行動だ。それなりに準備が必要になるだろう。出立ははやくても数日。彼に急ぎの用があるのなら別だがね」


「いえ、そうではなくて魔乳の件です。毎朝飲むのであれば、どちらの魔乳がよろしいですか?」


 年下の魔族が女のかおで詰め寄る。まるで女房気取りだ。


 この男にそこまでする価値は無いように思えるのだけど、そう思っているのは私だけだろうか?


 ええい、面倒だ!


 まどろっこしいのは苦手だ。化かし化かされは陰で働くときだけで十分。だから言ってやった。

「エスペランザ様、魔乳を求める意味をご承知ですか?」


「知らないな。聞いた話では魔族と人族とではらしいな。それが当てはまるのかね?」


「はい、当てはまります。ですが知らぬ存ぜぬは通用しませんよ。これは我々魔族にとって、とても重要なことですから」


「それで、どういう意味があるのだね? 魔乳を求める行為について」


 話が求婚の告白に及ぶとは思っていなかったようで、フローラはおろおろしている。

 好きなら好きだと打ち明ければいいのに、面倒な娘だ。


「求婚です」


 てっきり驚くと思っていたが、エスペランザの表情に変化は見られない。

 まぶたを閉じて、ふむと頷いただけだ。


「ご返答は?」


「答える前に質問がある。三つだ」


「どのような質問でしょうか?」


「一つ、ベルーガでは一夫多妻制が認められているのか。二つ、君たちは成人しているのか。三つ、私は婿養子として迎えられるのか」


「ベルーガでは…………」

 説明しようとしたら、フローラが割り込んできた。

「伯爵以上であれば問題ありません。それと私は成人しております。最後に婿であろうと嫁であろうと、エスペランザ様のご意向に沿える形にしたいと思っております。以上です」


「…………」


「ミスティ嬢は?」


「私はフローラより年上です」


「三つ目の質問については?」


「彼女と同じです」


「ふむ、カリエッテの仕組んだ罠ではないと……いや婿養子として迎えて、エクタナビアに縛りつけられるのではと勘ぐってしまってね。それでこんな質問になってしまった」


「…………」


「エスペランザ様、私は求婚をお受けしますッ!」

 フローラが胸元で指を組み、跳び上がるように宣言する。


「いや、それは無い。今回は私の誤解ということで忘れてくれ」


「ふぁッ!?」


 返事を聞くなり、フローラは変な声をあげて、盛大に転んだ。


 まったく嘆かわしい限りだ。


「期待を裏切るようで申し訳ないが、フローラ嬢は男を見る目が無いらしい。自分で言うのもなんだが、私にそれほどの魅力はないとおもうがね。彼女が好意が抱いているとしたら、それは吊り橋効果というやつだろう」


「吊り橋効果?」


「非日常での興奮状態のとき、異性に恋したと勘違いする現象だ」


「勘違いでもよろしいのでは?」


「私は自分本位で我が儘な男だ。君たちのような美女と釣り合うとは到底思えない」


「そちらから求婚しておいて逃げるのですか?」


「いや逃げるつもりはない。ただ……」


「ただ?」


「君たちの幸せを考えるのならば、冷静になるの待つのが良策だと判断したまでだ」


 突き放しておいて、興味があるようチラつかせる。なかなか口が上手い。


 異性に免疫めんえきのないフローラには荷が勝ちすぎる。

 かくいう私もだまされかけた。もしかしてカリエッテ様はこういった訓練をさせるために、私たちをこの男をあてがったのだろうか?

 それともただのイレギュラー?


 まあいい、私がちゃんとしてればすむ問題だ。

 魔族の一生は長い。こういう余興があってもいいだろう。


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