第158話 subroutine カーラ_こじらせ女子



 論功行賞が終わったあと、オレは執務室に閉じこもった。

 

 目下のところ、仕事に忙殺されている。執務机には目を通すべき報告書が山と積まれており、今日中にそれらを裁可さいかしなければならない。


 こんな日常が北の古都カヴァロに着いてからずっと続いている。


 エレナを宰相にえてもう少し楽ができると思っていたのだが、周囲の者たちは楽をさせてくれない。


 軍事的な案件をエレナに任せることになり、オレは書類仕事に追われている。もともとオレの人生にうるおいはない。中途半端に優秀なだけに仕事が降って湧いてくる。自身の優秀さが腹立たしい。いや、家臣の無能が腹立たしい。


 父の亡くなった先の戦い――バロック会戦で多くの有力貴族を失った。その皺寄せがオレの身に降りかかってきている。このままでは、国が滅びるよりも、オレのほうが先に倒れてしまう。


 オレだって一人の人間だ。たまには仕事をさぼって自由な時間を過ごしたい。

 ああ、愛馬で野山を駆けまわり狩りをしていたあの頃が懐かしい。


 過去となった日常へ思いをせる。

 生命の息吹を感じる狩り場の緑風。遮ることのないあお天蓋てんがい。オレの陰口をたたく者のいない自由な世界。

 作法や行儀といった堅苦しいかせから解放される、心軽やかなひととき。


 唐突にドアがノックされた。

 夢の世界は、無粋ぶすいな客人によって打ち砕かれる。


「誰だ?」


 声に感情が乗る。不機嫌なそれだ。


「ティーレです。姉上、お話があります」


「なんだティーレか、入ってもいいぞ」


 部屋に入ってきた妹は悲しそうに眉尻を下げていた。


「私が尋ねてくるのが、それほどおいやでしたか?」


「そんなことはない。ただ考えごとをしていたのでな」


 まさか妹からこのような言葉を浴びせかけられるとは……。

 オレにだってプライベートはある、不機嫌なときも。以前の妹ならその辺をわきまえていたのだが……。あの男、ラスティと出会ってから妹は変わってしまった。


 控え目で他者を思いやる心根の優しい妹だった。それが、いまはどうだ?! 事前に遣いを寄越よこすことなく、突然、オレの部屋を訪ねてきた。それも政務の場にずけずけと、一言もびることなく!


 まったくもってなげかわしい。あの可愛い妹はどこへ行ってしまったのだ……。


「単刀直入にお聞きします。夫――ラスティとの仲を認めてください」


 全身に稲妻が走った。


「…………オレの頼みでも、諦めてくれないのか」


「私の伴侶に相応しいか、もう十分に試されたでしょう」


「いや、まだだ。王家に名を連ねる資格ありと判断するには早計だ。せめて一年、猶予ゆうよをくれ」


「嫌です。姉上のこと、その一年の間に暗殺者を差し向けるつもりなのでしょう」


「…………」


 自己主張をしない妹だ。おっとりとして、宮廷の陰謀いんぼううといと思っていた。それがこうも的確にオレの意図を言い当ててくるとはッ! 完全にあなどっていた、半分しか血は繋がっていないが、妹もまた正当な王家の血筋。てっきり慈愛に満ちた義母の性格を受け継いだと思っていたのだが、オレの早とちりだったようだ。姿形こそ母親似の妹だが、賢王とたたえられていた父の血を色濃く受け継いでいる。


「否定はしない。だが安心してくれ、暗殺はやめた」


にわかには信じられません」


 柔らかな笑みをたたえているが、薄く開いた目は笑っていなかった。感情が高ぶっているのだろう。体内の魔力が乱れている。わずかに覗く双眸が、燃え盛る炎のように炯々けいけいと輝いている。


 妹をなだめるためにも、オレは敵意がないことを書面で示した。


「オレの印を押してある。暗殺しない絶対の保証になるだろう」


「……そうですね。暗殺は指示しないでしょう。ですが無理難題を突きつけたり最前線に送ったりと、


「わかった。今後は軍事的にも政治的にも、オレから一切指示は出さない。それでいいか?」


「ご理解ありがとうございます姉上」

 そう言うと、妹は側にあったテーブルに隠し持っていた短剣を置いた。


「おかげで姉殺しの大罪を犯さずにすみました」


 さらりと出た言葉に背筋が凍りつく。


「……オレを殺すつもりだったのか」


「はい、夫のため、殺すつもりでした。たとえ後世に大罪人と語り継がれることになっても、断行する決意をもってこの場に臨みました。もちろん、姉上を殺したあとは、私もあとを追うつもりです。夫が、あの方が幸せならそれでいいのです」


 イカれている! たかが男のためにそこまでするのかッ! あの成り上がりにそこまでする価値があると?


「きっと姉上は、なぜそこまでと考えているのでしょうね」


「いや、オレはそのようなことを考えてはいないぞ」


「驚くことはありません。すべては精霊様が教えてくれたこと」


「精霊……?」


 そういえば、ベルーガを建国した始祖陛下は精霊と会話できたと伝え聞いている。直系の色濃い血筋にだけ発現する王家の力だ。

 ティーレに力が発現した様子がなかったので、まだ覚醒していないと思っていた。


 どうやらオレの勘違いだったようだ。


 妹はきっと始祖陛下と同様の力を授かった先祖返りなのだろう。となると、オレの心が読まれている可能性がある。だとすれば考えただけでバレる恐れがある。……迂闊なことを考えられない。


「考えることではありません。私と夫の仲を認めてくれればいいのです」


 執務机に置いてある鏡を見る。顔に動揺は出ていない。やはり心を読んでいる。


「わかった降参だ。婚姻も認める。ただし、ある使命を成し遂げてからだ」


 双眸の紅い輝きは一瞬弱まったものの、今度はいままで以上に表情が険しい。


「落ち着け。これはアデルの勅命でもある」


「アデルの?」


「ああ、末妹まつまいのルセリアが生きていた。西部だ」


「まさかとは思いますが、聖王国と抗戦中の西端――要塞都市エクタナビアですか?」


「いや、アデルも激戦が予想されるエクタナビアへ行かせる気はない。その手前のマーフォーク地方だ。手をこまねいていてはあそこまで戦火が飛び火する。いまなら最小限の危険で末妹を呼び戻せるだろう」


「理由はわかりました。ですが腑に落ちない点が一つ。アデルの勅命というからには、アデル一人での考えではないのですよね。ほかに誰が賛同しているのですか?」


「宰相のエレナだ。発案者だ」


「エレナ……」


「この野戦基地に来て一度会っただろう。アデルの妃候補だ」


「もしやとは思いますが、その宰相も手にかけるおつもりですか?」


「まさか、アレは有用な女だ。それに気心が知れている。ツェリに次ぐ親友だ」


「そうは見えないのですが…………」


 心外だ。アデルもそうだが、この妹もオレのことを勘違いしている。オレ以上に弟妹思いの姉はいないぞッ!


「ルセリアを迎えに行くにしても、なぜ夫なのですか? それほど難しい任務ではないでしょう。適当な人材はほかにもいるはず」


「オレもそう言ったが、どうやら特別な事情があるらしい。なんでもラスティ・スレイドでないと駄目な任務があると、エレナが言っていた」


「一体夫に何をやらせるつもりなのでしょう?」


 嫌な予感がしたので先手を打つ。

「言っておくが、エレナはラスティ・スレイドの味方だぞ」


「そう思っているのは姉上だけです。味方であるかどうか、私が見極めます」


 妹がオレの言うことを聞かないどころか、あからさまに叛意はんいをほのめかすとは……。ああ、ラスティ・スレイド。貴様はなんということをしてくれたのだ。あの可愛かった妹を、ドロドロとした陰謀の世界へ引きずり込むとは。


「姉上」


 ん! また心を読んだのかッ!


「夫のことは互いに行き違えているのでしょう。私はいまも姉上のことを良き理解者だと思っています。姉上にとっても、私は良き理解者でいたいと思っていますので、これからも仲良くしましょう」


 一瞬ドキリとしたが、心配は杞憂きゆうに終わった。


「ああ、大切な妹だ。それはこれからも変わらない。だから刃を向けるような真似はやめてくれ」


 ほんの数瞬考えてから、妹は壁に掲げている盾に歩み寄った。


「そうしたいのは山々ですが、確約はできません。もし、夫に良からぬ真似をするようでしたら……」

 そっと盾を撫でる。次の瞬間、撫でた部分だけが綺麗に消失していた。


「少しはオレを信用しろ。妹と争う気はない」


「そうですね、姉上の性格ならばそのようなことはなさらないでしょう」


 ラスティ・スレイドに関する話が終わると、妹はそれ以外は興味がなさそうに部屋を去っていった。


「難題だ。あそこまでこじらせた妹を元に戻すには骨が折れるぞ」


 ………………まさか姉を脅迫きょうはくするような女に変貌へんぼうするとは。やはりあの男は毒だ。このままでは可愛い妹は悪女になってしまうだろう。


 なんとしてもあの男の正体を暴かねば、あの男が下種ゲスな成り上がりだとわかりさえすれば、昔の優しい妹に戻ってくれるだろう。

 早急に手を打たねば。


 いや、ここは次善策を練ろう。


 敵意なく緩やかに締めあげる。それがいい。


 まずは周囲を取り込む準備だ。なぁに、あの男が西から戻ってくるまで時間はたっぷりある。落ち着いて慎重にやればバレないだろう。

 要は、ティーレにだけ気をつければいいだけのこと。手間はかかるだろうが、難易度があがるわけではない。オレならばできる。


 懐かしい幸せだった過去が脳裏に蘇る。いまは亡き兄たちや、弟妹たちとの思い出。穢れた世界を知らなかった乙女だった頃を。

 オレが望むのは家族の幸せだ。妹もきっと理解してくれるだろう。


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