第158話 subroutine カーラ_こじらせ女子
論功行賞が終わったあと、オレは執務室に閉じこもった。
目下のところ、仕事に忙殺されている。執務机には目を通すべき報告書が山と積まれており、今日中にそれらを
こんな日常が北の古都カヴァロに着いてからずっと続いている。
エレナを宰相に
軍事的な案件をエレナに任せることになり、オレは書類仕事に追われている。もともとオレの人生に
父の亡くなった先の戦い――バロック会戦で多くの有力貴族を失った。その皺寄せがオレの身に降りかかってきている。このままでは、国が滅びるよりも、オレのほうが先に倒れてしまう。
オレだって一人の人間だ。たまには仕事をさぼって自由な時間を過ごしたい。
ああ、愛馬で野山を駆けまわり狩りをしていたあの頃が懐かしい。
過去となった日常へ思いを
生命の息吹を感じる狩り場の緑風。遮ることのない
作法や行儀といった堅苦しい
唐突にドアがノックされた。
夢の世界は、
「誰だ?」
声に感情が乗る。不機嫌なそれだ。
「ティーレです。姉上、お話があります」
「なんだティーレか、入ってもいいぞ」
部屋に入ってきた妹は悲しそうに眉尻を下げていた。
「私が尋ねてくるのが、それほどお
「そんなことはない。ただ考えごとをしていたのでな」
まさか妹からこのような言葉を浴びせかけられるとは……。
オレにだってプライベートはある、不機嫌なときも。以前の妹ならその辺を
控え目で他者を思いやる心根の優しい妹だった。それが、いまはどうだ?! 事前に遣いを
まったくもって
「単刀直入にお聞きします。夫――ラスティとの仲を認めてください」
全身に稲妻が走った。
「…………オレの頼みでも、諦めてくれないのか」
「私の伴侶に相応しいか、もう十分に試されたでしょう」
「いや、まだだ。王家に名を連ねる資格ありと判断するには早計だ。せめて一年、
「嫌です。姉上のこと、その一年の間に暗殺者を差し向けるつもりなのでしょう」
「…………」
自己主張をしない妹だ。おっとりとして、宮廷の
「否定はしない。だが安心してくれ、暗殺はやめた」
「
柔らかな笑みを
妹を
「オレの印を押してある。暗殺しない絶対の保証になるだろう」
「……そうですね。暗殺は指示しないでしょう。ですが無理難題を突きつけたり最前線に送ったりと、いくらでもやりようはあります」
「わかった。今後は軍事的にも政治的にも、オレから一切指示は出さない。それでいいか?」
「ご理解ありがとうございます姉上」
そう言うと、妹は側にあったテーブルに隠し持っていた短剣を置いた。
「おかげで姉殺しの大罪を犯さずにすみました」
さらりと出た言葉に背筋が凍りつく。
「……オレを殺すつもりだったのか」
「はい、夫のため、殺すつもりでした。たとえ後世に大罪人と語り継がれることになっても、断行する決意をもってこの場に臨みました。もちろん、姉上を殺したあとは、私もあとを追うつもりです。夫が、あの方が幸せならそれでいいのです」
イカれている! たかが男のためにそこまでするのかッ! あの成り上がりにそこまでする価値があると?
「きっと姉上は、なぜそこまでと考えているのでしょうね」
「いや、オレはそのようなことを考えてはいないぞ」
「驚くことはありません。すべては精霊様が教えてくれたこと」
「精霊……?」
そういえば、ベルーガを建国した始祖陛下は精霊と会話できたと伝え聞いている。直系の色濃い血筋にだけ発現する王家の力だ。
ティーレに力が発現した様子がなかったので、まだ覚醒していないと思っていた。
どうやらオレの勘違いだったようだ。
妹はきっと始祖陛下と同様の力を授かった先祖返りなのだろう。となると、オレの心が読まれている可能性がある。だとすれば考えただけでバレる恐れがある。……迂闊なことを考えられない。
「考えることではありません。私と夫の仲を認めてくれればいいのです」
執務机に置いてある鏡を見る。顔に動揺は出ていない。やはり心を読んでいる。
「わかった降参だ。婚姻も認める。ただし、ある使命を成し遂げてからだ」
双眸の紅い輝きは一瞬弱まったものの、今度はいままで以上に表情が険しい。
「落ち着け。これはアデルの勅命でもある」
「アデルの?」
「ああ、
「まさかとは思いますが、聖王国と抗戦中の西端――要塞都市エクタナビアですか?」
「いや、アデルも激戦が予想されるエクタナビアへ行かせる気はない。その手前のマーフォーク地方だ。手を
「理由はわかりました。ですが腑に落ちない点が一つ。アデルの勅命でもあるというからには、アデル一人での考えではないのですよね。ほかに誰が賛同しているのですか?」
「宰相のエレナだ。発案者だ」
「エレナ……」
「この野戦基地に来て一度会っただろう。アデルの妃候補だ」
「もしやとは思いますが、その宰相も手にかけるおつもりですか?」
「まさか、アレは有用な女だ。それに気心が知れている。ツェリに次ぐ親友だ」
「そうは見えないのですが…………」
心外だ。アデルもそうだが、この妹もオレのことを勘違いしている。オレ以上に弟妹思いの姉はいないぞッ!
「ルセリアを迎えに行くにしても、なぜ夫なのですか? それほど難しい任務ではないでしょう。適当な人材はほかにもいるはず」
「オレもそう言ったが、どうやら特別な事情があるらしい。なんでもラスティ・スレイドでないと駄目な任務があると、エレナが言っていた」
「一体夫に何をやらせるつもりなのでしょう?」
嫌な予感がしたので先手を打つ。
「言っておくが、エレナはラスティ・スレイドの味方だぞ」
「そう思っているのは姉上だけです。味方であるかどうか、私が見極めます」
妹がオレの言うことを聞かないどころか、あからさまに
「姉上」
ん! また心を読んだのかッ!
「夫のことは互いに行き違えているのでしょう。私はいまも姉上のことを良き理解者だと思っています。姉上にとっても、私は良き理解者でいたいと思っていますので、これからも仲良くしましょう」
一瞬ドキリとしたが、心配は
「ああ、大切な妹だ。それはこれからも変わらない。だから刃を向けるような真似はやめてくれ」
ほんの数瞬考えてから、妹は壁に掲げている盾に歩み寄った。
「そうしたいのは山々ですが、確約はできません。もし、夫に良からぬ真似をするようでしたら……」
そっと盾を撫でる。次の瞬間、撫でた部分だけが綺麗に消失していた。
「少しはオレを信用しろ。妹と争う気はない」
「そうですね、姉上の性格ならばそのようなことはなさらないでしょう」
ラスティ・スレイドに関する話が終わると、妹はそれ以外は興味がなさそうに部屋を去っていった。
「難題だ。あそこまでこじらせた妹を元に戻すには骨が折れるぞ」
………………まさか姉を
なんとしてもあの男の正体を暴かねば、あの男が
早急に手を打たねば。
いや、ここは次善策を練ろう。
敵意なく緩やかに締めあげる。それがいい。
まずは周囲を取り込む準備だ。なぁに、あの男が西から戻ってくるまで時間はたっぷりある。落ち着いて慎重にやればバレないだろう。
要は、ティーレにだけ気をつければいいだけのこと。手間はかかるだろうが、難易度があがるわけではない。オレならばできる。
懐かしい幸せだった過去が脳裏に蘇る。いまは亡き兄たちや、弟妹たちとの思い出。穢れた世界を知らなかった乙女だった頃を。
オレが望むのは家族の幸せだ。妹もきっと理解してくれるだろう。
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