東方異人彷徨奇譚

夜坂紀異子

世の中は鏡に映る影にあれや


 昔話をお聞かせ申し上げましょう。ジパングをご存じででしょうか。遥か東の日が昇る国を。


 私はビザンチン帝国の都、コンスタンティノープルでアレクシオス五世の息子として生を賜りました。妾の子でありましたが王子として絹に包まれた生活を送っておりました。

 コンスタンティノープルはそれはそれは美しい都でございます。色彩溢れる屋根が並び、都を囲む海はターコイズの色をたたえておりました。私はコンスタンティノープルを愛しておりましたし、この都に骨を埋めるものだと思っておりました。ただ、あの時代のビザンチンが不安定であったことは貴方もご存知でしょう。私の父は王位の簒奪をしましたし、そのために幾人もの血が流れました。あの王宮は血で成り立っていたのです。歪みはもう隠せそうにありませんでした。

 私が十つのころ、十字軍とベネツィア軍によってコンスタンティノープルは陥落し、逃亡した父はとらえられ尖塔の頂上から突き落とされ死にました。本当にあっけなく急なものです。今でも父が死んだ時の記憶が鮮明に残っておりますとも。父の身体が白いタイルが詰められた地上で潰れ血の匂いにハエがたかり、民衆が石を投げたあの光景を。

 母は逃がそうとしてくれていましたが私は海に身を投じました。陥落したあの瞬間亡国の王子になったのです。私の居場所などありましょうか。泡と共に私は抵抗せず沈んでいくその感覚に任せていました。

 ところが突然私の身体は浮き上がってしまったのです。潮騒にむせかえりながら私は砂浜に打ち上げられました。何故と呻きながら砂浜に這いつくばります。私はもう生きる術がないというのに。これも神の試練だと言うのでしょうか。塩辛い水を吐き出し、砂浜に身体を横たえました。水を吸って重くなったチュニックのせいで動けそうにありません。

 いっそのこともう一度海へ沈もうかと思ったときでした。聞いたことのない言葉が聞こえたのです。それもとても美しい声で。私は顔を上げました。私より少し背の高い少年が私の顔を覗き込んでいたのです。血管が透き通りそうに白い肌に真っ黒な目。黒い癖っ毛は後ろで結ってあります。顔立ちはおそろしく整っていましたが彫りは浅く、時々見た東方から来る異人に似ていました。何よりも衣が奇妙でした。

 濃紺の上質な袖の長い衣を正面で打ち合わせ、群青の薄い衣を羽織って、ゆるりとしたブレーの裾を引きずっておりました。どう見ても異人の服装でありましたが私はその姿を見た途端、自然と凪いだ心となり運命を受け入れてしまったのです。少年は落ち着いた声で何かを言い、人を呼び寄せました。さっと大人が集まり私の身体はあっという間に持ち上げられてしまいました。

 朦朧とした意識の中どうにか目を開けていました。コンスタンティノープルの海の色とは全く違う深い群青。白波を跳ねあげるその激しさ。ざっと開いた水平線の傍らにはごつごつとした岩山が。なんという異邦。十つの私でもその異常さに気づき震え上がりました。ここでの異人は私なのです。

 一体どうしてこのような場所に飛ばされてしまったのか、まさかあの者たちは天使ではあるまいか、そのようなことを思ったものです。

 目を覚ますと私はチュニックを脱がされ、あの奇妙な衣を着せられていました。かぐわしい植物を編んで作られた敷物が辺り一面に敷いてあり、四方に木の柱が立っており薄い布で場と場が仕切られておりました。私が住んでおりました王宮は堅い石で部屋を仕切っていましたのでこのジパングの様式に慣れるまでは驚くばかりでした。全てが木で造られ扉はなく、風がよく通り、中庭まであるのです。

まだ身体はけだるかったのですが私は身を起こし、あの方の姿を探しました。寝ていた私の身体にかかっていたのは群青の袖の長い衣。あの方のものに違いありません。

 仕切りの布が揺れ、私は背を正しました。あの少年が来たのです。歳は近いに違いありませんでしたが、私は伏さずにはいられませんでした。その瞬間、私は自身が亡国の王子であることをすっかり忘れ去っていたのです。少年がどのような立場であるかも知らなかったというのに。

 少年は腰をおろし私と同じ目線になって口を開きました。とてもきれいな声でしたが私は何を言っているのかわからず首を横に振りました。少年は少し考え、紙と黒い皿と筆を持ってきたのです。筆で少年は何かを書き出しましたが私はやはりそれを解すことはできませんでした。それはまるで絵のような文字だったのです。少年は、やはり悩んでいましたが自らを指して微笑みます。

「セ・ン・マ・ン」

 名をセンマンというようでした。

「ぺ・ト・ロ・ス」

 逆にセンマン様は私の名を解することができないようでした。トヅキマル、と小さく呟き私の顔を覗き込みました。貴方様がそうお呼びになるなら、と口走ります。伝わるはずもございませんでしたがセンマン様はにっこり笑いました。

 それが私とかの方との出会いでした。素性の知れない私を拾い、寝食を与え、言葉がわからない私に必死でジパングの言葉を教えてくださったのです。

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