ショッピングモールを出て、歩いて5分ほど離れた公設の大型複合施設に向かう。児童館はその複合施設の中にあり、高校生まで無料で借りられる防音スタジオはさらにその中にある。この大型複合施設は高層ビルで、児童館は3・4階にあった。受付を済ませ、職員の人から使い方の注意事項を聞く。無料でアンプやマイク、ドラムセットも借りられるとの話に瑠璃は驚喜していた。そして、機材の使い方がわからなかったら聞いてね、と言われて送り出された。防音スタジオは受付の上の階にあり、階段を上ると重低音が聞こえてきた。ドラムの音はスタジオから若干漏れているようだ。


 スタジオ前のベンチに2人で並んで座り、前の組が出てくるのを待つ。その間に顔と舌、上半身のストレッチをする。


 漏れ聞こえてくる音を聞く限り、相当練習を積んでいるようで、調和がとれていた。ボーカル、ギター、ベース、ドラムの標準的なバンド編成だと蒼は推測した。


 終了時間の5分前にスタジオの防音ドアが開いて、高校生とおぼしき男女が2人ずつ出てきた。ギグバッグを背負った女性が瑠璃と蒼の目が合った瞬間、なにこのかわいい2人組、と声を上げ、他のメンバーにも囲まれた。中学生? と聞かれても、2人はコクコクと頷くのが精いっぱいだった。他にもいろいろ聞かれたが、状況に適応した瑠璃が全部答えた。


 俺らにもあんな初々しい頃があったな、だの、あんたはあんなにかわいくなかった、だの言いつつ4人は階下に向かった。


「コミュ強怖い」


「もういないよ。安心して」


 固まる蒼に瑠璃が声をかける。


 まさかこんなイベントが起きるとはと思いつつ、蒼はスタジオに足を踏み入れ、重い扉をしっかり閉める。


 初めて入るスタジオの中はいままで嗅いだことのない匂いがした。全周囲が防音壁で、数本のスピーカー、ポータブルアンプに音響システム、ギターアンプやドラムセットなど一通りそろっている。まずは瑠璃のためにマイクスタンドを用意し、マイクケーブルを音響システムにつなぐ。


「やったことあるの?」


「ないけど、スイッチ類には単語だけだけど説明が書いてあるから、見れば接続も調整も見当がつく。同じ人間が作っているんだから、わかるように作ってあるものさ」


「それはそうだけど……洞察力すごくない?」


 蒼は有線マイクのテストを完了させ、ワイヤレスマイクもチェックする。蒼はマイクスタンドを瑠璃に持たせ、スピーカーとの位置を確かめつつ、発声をうながす。


 1組のスピーカーから瑠璃の声が大音量で出たが、幸いハウリングしなかった。


「うわ、音圧がすごい!」


「本当だね、慣れないとね」


 蒼もワイヤレスマイクを手に声を出す。ハウリングしていないようだ。


「何から始める?」


「まずは発声練習。休憩中にどのくらい弾けるか確認。その後、カラオケ音源で歌の練習、最後にギター伴奏で合わせよう」


「計画できてる」


「もちろん。それで、練習してきた?」


「してきたよ――『 2人は魔法少女マジカル!』だよね」


「魔法少女コンテンツ中興の祖と言うべき、このシーズンのこの主題歌でがんばる!」


 なるほど、決意表明とはよく言ったものだと蒼は思う。『 2人は魔法少女マジカル!』は蒼と瑠璃が生まれるより前の作品で、魔法少女ものの停滞期に作られ、その人気を再燃させた記念すべき作品だ。


 もし屋外ステージでこの曲をやりきれたのなら、学校の誰かに見られたとしても、自分が魔法少女シリーズが大好きなことに彼女は胸を張れるだろう。しかし『中興の祖』なんて言葉、普通の女子中学生は使わないとも蒼は思う。


「えーと、僕も歌うんだよね」


「細野くん、声変わりしてないから、いいよね」


「してたらできないよ」


 瑠璃は楽譜に蛍光マーカーで線を引き、蒼に歌う部分を指示する。主にサビの終わりの部分だった。考慮はしているとは考えられた。


「僕が歌うのはフレーズの最後の部分ですか」


「合わせやすいでしょう『とつ·ぜん! 最強!』」


 蒼は協力をすると、彼女の力になると決めていたから、断る理由はなかった。




 90分はあっという間に過ぎ、後片付けをして5分前にスタジオを出る。待っていた次の組に『とつ·ぜん! 最強!』と声をかけられ、1人はサムアップして入っていった。どうやら漏れ出ていた蒼と瑠璃の歌も、ここの利用者も悪い感じではないらしいことがわかり、蒼の気持ちは救われた。


 終了報告で受付に行き、ついでに駅前ステージの話を聞くと、同じようにストリートデビューをしたい利用者は毎年何組かいるらしく、市に登録しなくても、児童館から『ステージ利用テスト中』の看板を借りれば30分間使わせてくれることを教えてくれた。朗報だった。次に使えるか聞き、空きはなかったのでキャンセル待ちと抽選の申し込みをして、2人は大型複合施設を後にした。


 駅まで歩きながら話をするが、瑠璃の顔色は来る前より良くなったように蒼には見えた。ストレス解消ができたに違いない。


「細野くんのギター伴奏は当たり前だけどまだ練習が必要だね」


「僕が下手なのもあるけどリズム感ないから合わなかったね」


「普通はドラムに合わせるんだよね――2人で合わせる方法は考えます」


「あと、アコギに曲が合うかどうかという問題があるね。できなくはないけど」


「無駄に出費することはないし、私は、おじいさんの形見のギターでステージに上って欲しいな」


「そうする」


 蒼は頷き、元気の塊のようになった瑠璃を見る。


「もう一度、屋外ステージを見てから帰ろう」


 蒼は同意し、再び駅前広場の屋外ステージ前に至ると、小学生男子がステージの上に寝転がってカードゲームをしていた。


「平和だあ」


「あそこで僕らが演奏していても大して誰も見ないから心配無用だろうね」


「でも、小さな一歩だから踏み出そう」


 そして2人は駅に歩いて行った。


 瑠璃は地元駅で、蒼は集合した駅で降りることにした。


 地元駅のアナウンスが流れ、電車の扉が開き、瑠璃が降りる。瑠璃はホームで小さく手を振るだけだったが、蒼は今日一日でまた距離が近くなった気がして、電車が動き出しても小さく手を振り続けた。


 すぐ瑠璃からメッセージが入って、蒼は慌てて開ける。


〔ランチ美味しかった〕


〔また行こう〕


〔デート楽しかったよ〕


 そのメッセージを目の当たりにした瞬間、熱くて甘い血液が蒼の心臓から流れて出してきて、スマホを持つ手が震えた。


〔デート、僕も楽しかった〕


〔またね〕


 蒼は指を震わせたままメッセージを返したが、それが彼の心臓の限界だった。


「デート、か」


 独り言を言い、今日起きた出来事をその言葉でかみしめ、深呼吸をする。

 

 それでようやく、蒼は目的の駅で電車を降りられたのだった。

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