新人たち

「フッ、やるじゃないか……新人闘士誕生だな」


「ムゥン。お主の戦ぶりも見事だったぞ」


 キラーチワワのティンキーちゃんを屠ったハシムとジョバンニ。

 二人の闘士はコロシアムの中央で熱い握手を交わしていた。


「色んな意味でダーティな戦いだったけど、終わり良ければ全て良し、か」


 東都の胸を誇らしい気持ちが満たした。

 殺伐としたコロシアムの中にも、人間性の欠片は存在するのだ。

 この世界にもまだ救いはある。そんな気がした。


「この勝利を御柱様に――」


 ハシムが凍りついた御柱様……。

 つまり、トイレの前で膝をついて祈りを捧げる。


 ここでようやく東都は気づいた。

 自分が取り返しのつかないことをしてしまったことに。


「あ、しまった……アレ、どうしよう」


 砂上に鎮座する白亜の柱。


 これまで幾多の不可能を可能にしてきたトイレ。

 だが、東都はまだ一度もやっていないことがある。


 そう――撤去だ。


 世界各地にトイレを置いてきたが、まだ一度も撤去したことがない。

 いや、そもそもそんなことができるのか?


 トイレは獣人たちの弓や槍でも貫けないほどに強化されている。

 人間をはるかに超える力を持つ獣人でさえそうなのだ。

 人の力で破壊することはほぼ不可能と言っていいだろう。


 力付くで撤去できないとなると、運ぶしか無い。

 もしコロシアムの職員がこれをどこぞに運ぶとなるとどうなるか?

 敬虔な柱の男、ハシムは黙っていないだろう。

 いやそれどころか、第2ラウンドが始まってしまうにちがいない。

 東都は早急にこのトイレをどうにかする必要があった。


(そうだ、スキル、スキル欄に撤去なんてあったか?)


 とっさにステータスウィンドウを開いてそれらしいスキルを探す。

 しかし、無常にもそんなスキルはどこにもなかった。


「くっ、どうする……?!」


 試合終了にともない、鉄格子の扉が開かれた。

 そして、暗闇の中からコロシアムの職員が現れ、こちらに近づいてくる。

 当然、彼らの顔には疑問が浮かんでいる。


 あんなものはコロシアムの仕掛けに存在しない。あるはずがない。

 そのまま何処かに持っていかれる。これだけで済めばいいが……どうだろうか。

 最悪反則扱いで無効試合にされる可能性もある。


「おい、なんだあれ?」「オレが知るかよ……」

「ティンキーちゃんを倒したのって、ほとんどアレのおかげじゃねぇ?」


(ま、まずいぞ……ッ!)


 案の定、コロシアムのスタッフはトイレを怪しんでいる。

 早急にどうにかしなくては。悩んだ東都は、窮余の一策を放った。


(よし、勢いに任せてすべてを「煙に巻く」ッ!)


『ハシムよ、今私ができるのはこれだけです……では、さらばです』


「ハッ! ありがたき幸せ!!!!」


「あの柱、しゃべったぞ!?」

「な、なんなんだ?!」


(行けッ! 暖房全開!! トルネードウォッシャー全開!!)


 東都は誰よりも素早く動いた。強烈な熱気により、トイレの表面を覆っていた氷は瞬時に溶解、そして沸騰し、周囲に立ち込める白い霧となった。


 荘厳な雰囲気が立ち込める中、地鳴りのような音が聞こえる。

 トイレがトルネードウォッシャーの水流を放ったのだ。

 

<ドドドドドドドドッ!!!!>


 渦を巻く水流が天を目指す龍となり、白亜の柱を昇天させる。

 キラリと鮮やかな光を残し、天空を飛んでいくトイレ。

 いずこかにたどり着くかわからぬが、それは東都の預かり知らぬことだ。


「ふぅ……ひとまずこれで危機は脱したぞ」


 東都の思い切りが功を奏した。あまりにも異常な光景に、コロシアムの観客も、スタッフも、皆ぽかんとしている。


 みな、状況を飲み込めずにいるのだ。

 説明されたとしても、飲み込める者がいるかは疑問だが。


「いったい、アレは何だったんだ?」

「いきなり現れて、空を飛んでいったぞ?」

「がやがや」「ざわざわ」


「あれは……そう、守護神です!」


「守護神、だって?」


「はい。あの白い柱は遠い西の地、致死率十割大森林の中に現れた古代の守護神でして……恵みとか何かそういった感じのアレをもたらすソレです!!」


「ふむ……ふむ?」「えっと……そうなのか」


 東都はマシンガンのように言葉を繰り出し、コロシアムの係員を圧倒する。

 これにより彼らは、意味はわからんが何となく分かった、といった顔をしていた。


 説明しよう!

 東都が無意識に使ったこの心理テクニックは〝アンカリング効果〟と言う。


 アンカリング効果とは、最初に提示された情報がアンカーを落としたように、人間の判断に影響を与え続けることを指した心理現象のことだ。


 人間は、最初に手にした情報を〝標準〟あるいは〝基準〟と思ってしまう。

 いや、思い込んでしまうのだ!!


 ここにひとつ例を出そう。

 君たちは犬は「ワン」と鳴くと思っている。

 しかし、英語圏では「バウワウ」スペイン語圏では「グアウグアウ」だ。

 妙に思っただろうか。これがアンカリング効果だ。


 アンカリング効果は、人間が外部から入ってきた情報を処理する時に、認知的な簡便性――つまり「楽さ」を求める傾向から生じる。


 君が完全に無知な状態から手にした最初の情報は、判断を素早く下すための「ヒント」として機能する。この「ヒント」を疑い、正誤を判断しながら取り替え続けるのはとてつもない労苦を伴う。なかなかできることではない。


 故に、人は最初の情報に固執しようとするのだ。


 東都が語った「白い柱は我らの守護神である」というカバーストーリーが信憑性を持って受け止められたのも、無理からぬことであろう!!!


 コロシアムにいた観客、職員、そして――囚人たちも例外ではなかったッ!!


「守護神……あれが……俺達を救った守護神!」

「御柱様ばんざい!!」「柱様!!」


 絶体絶命の危機をトイレに救われた囚人たちは、皆一様に涙を浮かべて天空に消えた白い柱に祈りを捧げていた。


 やがてコロシアムの職員からまばらな拍手が始まり、輪のように広がっていく。

 それは観客たちにも伝わって、万雷の拍手、喝采がコロシアムを満たす。


<ワアアアアアアアアアッ!!!>


 金管が高らかに吹き鳴らされ、祝いの紙吹雪が空を舞う。

 命を拾った囚人たちは、みなハシムの真似をして「I」の字になっていた。


「なんか……ヤバイことになっちゃった……かな?」




※作者コメント※

トイレを介して心理学まで学べるなんて、実に教育的ですね(すっとぼけ

しかしトイレがどっか飛んでいったけど、これ、絶対後でなんとかなるやつでは…

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る