誉れはトイレで死にました

 なんとか獣人たちの襲撃を撃退した東都たち。

 クサイアス号は川を下り続け、夕方にフンバルドルフの港に到着した。


「ふう、ようやくフンバルドルフに到着したな」


「無事……ではないですね」


 クサイアス号には無数の矢が突き立ち、ハリネズミのようになっている。

 見るからに痛々しく、とても無事とは言い難かった。


「ところで、エルさんは大丈夫ですか?」


「あー……それなんだけど」


「……ほまれはトイレで死にました」


「こんな感じ。」


「これは重症ですね」


 エルの肌からは水気が失せ、ミイラのようになっていた。

 いまにも二段飛ばしで天国の階段を駆け上りそうだ。


「彼が飲んだ酢は私のより古かったから、それが悪かったのかしら」


「たった一日でこの違いって、劇薬どころではないのでは」


「死は誰にでも訪れる。生は苦しみだ……」


「腹痛は人を哲学者にするなんて言葉があるけど、彼も例にれないようね」


「実際はいろいろれてますけどね」


「人生とは苦痛の間に幻想があるのではない。幻想の間に苦痛があるのだろう」


「仕方がない。しばらくそっとしておけ。港に入ると色々忙しいからな」


「はぁ」


 しおしおになったエルのかわりに、ウォーシュ伯爵が船の指揮を取ることになった。彼は水夫たちに向かって、港の桟橋に船をつけるよう指示を飛ばす。するとフリントは船首に向かってどすどすと走り、角笛を吹き鳴らした。


 港に角笛の音が響き渡ると、桟橋の上にいた男たちが反応する。彼らは先端にランタンがぶら下がった棒を振って、灯りの動きで何かの合図をした。


 ドワーフたちはその合図に答えるように帆を半分に下げる。次に彼らは船にしまってあったオールをとり出して、桟橋に船を寄せていった。


 桟橋に近づくと、船は見事なまでにピタリと止まる。オールを手放したドワーフたちは長大な板を4人がかりで運び、甲板から桟橋に橋を渡した。


「さぁ、降りた降りた!」


 ドワーフの声に背中を押されて、東都たちは船から桟橋に降りる。


「うわ、ちょっと怖いなこれ……」


 東都が古びた板の上を歩くたびに、足元でギシギシと悲鳴があがる。

 板一枚を挟んだ下には真っ黒なゲリべの水がある。板の上にいたのはわずかな時間だったが、東都はとても生きた心地がしなかった。


「それにしても、なんか臭いですね」


 フンバルドルフの港に降り立った彼が真っ先に感じたのは、腐った魚のような悪臭だ。吐き気のする生臭い臭気は、東都の足元から立ち上っているようだった。


「ウム。これがフンバルドルフの臭いだ」


「港を出てすぐに市場がありますが、そこの商人たちは、売れなかった魚や野菜をゴミとしてゲリベ川に投げ捨ててますからね」


「この港はそういったヘドロが集まっている。足を踏み外すなよ? 一週間は臭いが取れんぞ」


「ひぇ……」


 東都が桟橋に降り立って港を眺めていると、分厚い帳簿を持った身なりの良い男が寄ってきた。伯爵は彼を港長こうちょうと呼んで挨拶する。

 どうやら彼はこの港の管理者らしい。


「フンバルドルフにようこそ、ウォーシュ閣下。旗印を見た時はこの目を疑いましたよ。まさか閣下直々のお越しとは」


「楽にしろ。ちょいと客人に国を案内したくてな」


「客人、ですか……?」


「ウム。ほれ、そこの黒髪の男だ。彼はトートという」


「異国人ですか?」


「そうだ。格好を見てわかる通り、彼はこの地の者ではない。はるばる東の果てより死の砂漠を越えて、ベンデル帝国にやってきたのだ」


「ほう、それはそれは……彼が代表者ですか?」


「いや、彼だけだ。トート殿はたった1人で砂漠を越えた」


「な……?! たった1人で砂漠超えですと?! いったいどうやって?」


(みんな砂漠の話をすると驚くなぁ。どんだけヤバイところなんだ……?)


「えっと、僕は魔術師でして、魔法の道具から水を出すことができるんです。それを使って東の国から砂漠を越えてきたんです」


「なんと、魔法の道具ですか? それはさぞかし貴重な……」


 驚いた様子の港長は、ふと視線をクサイアス号の甲板に向けた。

 するとそこには大量のトイレが積み上がっている。異常な光景を目にした港長は驚きに見開いた目をさらに見開き、目玉が飛び出しそうな顔になっていた。


「まさか――あれが全部?」


「いやいや港長、あれはレンガだ。やたらデカくて白いが、ただのレンガだ」


 伯爵は港長にジャラジャラと音を立てる袋を渡して肩を叩く。

 彼は袋の重さを確かめると、そのままふところにしまいこんだ。


「な、なるほど、レンガでしたか。伯爵がおっしゃるなら間違いない」


「ウム。それでトート殿はたまたまドバーに立ち寄ってな、わしが客人としてもてなしておるところだ。フンバルドルフに案内したのもそのためよ」


「では個人的な訪問、と。伯爵はフンバルドルフのご自身のお屋敷にお泊りで?」


「そうなるな。他に何か?」

「い、いえ、とくには」

「ならば下がれ」

「はいっ!!」


 細かな質問を繰り返す港長。

 しかし伯爵が威圧すると、彼はすごすごと下がっていった。


(わぁ、ヒドイものを見た。伯爵の身分によるゴリ押しだぁ……でも助かったな。あの大量のトイレを調べられたら、説明が面倒だったし)


「ふぅ、やっと行ったか」


「僕の出したトイレを船上に置いたままだと、さすがに目立ちますね」


「では、港の倉庫に運び入れさせては?」


「そうするか……あ、待て。2つ屋敷に持っていこう。1つは屋敷で使う。もう1つは街に置くやつだ」


「はい。ドワーフたちに伝えておきますね」


「そうしてくれるかコニー。港湾組合の人間は使いたくない。持ち運べるものだったらなんでも荷物を抜くからな」


「ハッ」


「伯爵さんはあの港長っていう人があまり好きじゃなさそうですね」


「わかるか?」


「えぇ、なんとなくですけど」


「トート殿は鋭いな。あの港長。エッヘン宮中伯とのつながりが深くてな」


(エッヘン……何かビミョーに偉そうな名前だなぁ。)


「エッヘン宮中伯ですか?」


「ウム。エッヘンは皇帝陛下が不在になったあと、フンバルドルフの代官についた男だ、ヤツは街を我が物のように扱っておる。あの港長はエッヘンの腰巾着でな」


「あ、なんか嫌な予感」


「エッヘンは何だかんだと難癖をつけて港に入った荷物を取り上げる。港長はそのつまみ食いのおこぼれをもらっとるのよ」


「つまりは汚職ですか」


「そういうことだな。まったく感心なヤツだよ」


「ドワーフに運ぶよう伝えてきました。伯爵、これを」


「おお、忘れるところだった。街を案内する前に、トート殿もこれを」


「布? それとくつ?」


 伯爵はコニーから受け取ったモノを東都に渡す。

 それは毛羽けば立った麻の布と、異常に靴底が高い下駄のような靴だった。


「そう、これがフンバルドルフを歩くための必需品だ。」





※作者コメント※

みなさまお待ちかね(?)ようやく現地の都市に入りました。

さて、ベンデル帝国の衛生状況はどうなってるのやら……。

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