序章 船橋燃ゆ

 西暦2025(令和7)年8月15日。終戦から80年の節目を迎えたその日は真夏日だった。


 日本各地では慰霊式典が行われ、市民は平穏の時を過ごしながら、慰霊の思いを捧げていた。300万もの死者を出した悲劇を後世まで語り継ぎ、二度と同じ惨禍を招かない様にするための誓いが執り行われていた。


 異変は真昼、突然として訪れた。千葉県船橋市に突如として、古代ローマのそれを彷彿とさせる重装歩兵と、中世ヨーロッパのイメージに即した騎兵、そして怪異の大軍団が現れ、蹂躙と虐殺を開始したのである。


 首都圏東部に現出したこの世の地獄は、僅か一夜で10万近くの死者・行方不明者を生み出し、終戦記念日を多くの国民の血で汚す事となった。政府に対する衝撃は大きく、閣議決定による自衛隊の防衛出動は即決で成された。


 だが、戦後初の大規模戦闘は、幾多もの混乱と二次被害をもたらした。魔法なる能力を用いて攻撃してくる敵は、警察官を容易く殺傷せしめる威力があり、地竜や飛竜といった生物兵器も、軽装備部隊にとって大きな脅威となった。


 さらにインターネット上では、『自衛隊が市民を虐殺している』等というデマが拡散し、自衛隊の行動に対して大きな制限を課す事となった。だが流言飛語と流した者達と、それを利用した者達は戦後に如何様な影響をもたらすのかを全く想定していなかった。


 ともあれ、自衛隊は懸命に戦い、圧倒的な技術的格差を用いて大勝した。未知の侵略者が現れた構造体と、その先に通じる場所の占拠にも成功し、ようやく一息つく事となったのである。


・・・


2週間後 国会議事堂


 伊沢曜一いざわ よういちは、政治家である。


 ついこの前の選挙で当選したばかりの、35歳を迎えたばかりの若き衆議院議員は、本来ならば政権与党の議席数確保のための要員として、微妙な影響力しか持たない存在であった。


 だが、政治家としての素養は十分ながら若すぎる事と、それでも理解すべき点は十分に理解している事、そして何より自国の事を真剣に考える模範的な愛国者であった事が、彼の運命を大きく変えたと言っていいだろう。


「この国には、本当の意味での改革が必要だ。それも、本来なら非道だと誹られる類の手段で改革を行わなければならない。悲しい事に、『合法な手段』は悪しき利権を得る者達の十八番と成り下がってしまった」


 伊沢のこの失望の色がにじむ発言は、戦後80年を機に噴出した、日本社会の歪みに対する嘆きそのものであった。そして9月1日、非常事態宣言により人の行き来が厳しく制限される都心の永田町にて、陸上自衛隊第1師団と米海兵隊の特殊部隊は国会議事堂と首相官邸、そして防衛省市ヶ谷庁舎を強襲。議場に集う国会議員を拘束したのである。


 彼らを率いていたのは、伊沢を含む与野党の若手議員であった。左派的な思想を持つ者までもが参加している事に、野党の老練な議員数名は愕然となるが、国会議事堂から連れ出された後に彼らはようやく、『国難』が日本を襲っている事を理解したのである。


 『令和の改新』と呼ばれる事になる政変は、当然ながらメディアから『不当なクーデターだ』という声が噴出したが、伊沢ら政治家が直ぐに対処に出る事は無かった。物理的な損害を受けた企業を筆頭に、コマーシャル等でスポンサーを務めている者達が、テレビ局や新聞社といった既存のマスメディアを見限り始めたからである。


 経営の要である出資者から愛想を尽かれ始めた衝撃は大きく、上層部は政府を厳しく批判していた評論家やコメンテーターを降板させる事でスポンサー撤退の撤回を企業側に求めた。無論降板された者達や、彼らに関係の深い者達が『業務妨害』やら『誹謗中傷』やらの容疑で刑事告訴された事は言うまでもない。


「政府に対して批評を行う事は民主主義にとって必要な自浄作用である。が、我が国の場合はメディアが自身の都合ありきで偏った批評や報道を続けていたが故に、社会は看過できぬ歪みを抱える事となってしまった」


 伊沢を長とする臨時政権は、テレビ局及び報道各社に対し、広報ガイドラインを配布。適切なバランスで政府の政策・方針に対する賞賛と批難、国家及び国民に対する敬愛の精神を養う番組の製作と放送、自衛隊員含む国家公務員の扱いを軽んじる様な言動の自粛を求めた。強制ではなくあくまで要求であったが、風見鶏と天邪鬼が合体したかの様なマスメディアの薄汚れた尊厳を叩き潰すには丁度いい機会であった。


 伊沢はこのやり方に不満を持っていたが、仕方のない事として割り切った。そうして日本の戦後体制は、呆気なく終わる事となったのである。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る