2-7 逆鱗

 あまりにも突然の出来事に、私達は皆一様に瞠目した。


「はぁっ!? アイツ、どこ行った!?」


 慌てるドライに、フュンフの声が応える。


「ここだよ」


 随分と離れた位置からだった。そちらに皆が振り向くのを待ってから、一拍遅れてフュンフの姿がその場に顕現する。消えた時と同じく、刹那にしての登場だ。


「瞬間移動……テレポーテーションか!?」

「違うよ」


 ドライの推測に、フュンフは首を左右に振った。そうして、得意げに正解を告げる。


「僕は普通に歩いてここまで移動したんだよ。ただ、皆の目には見えなくなってたんだ。――〝透明化〟。僕は透明人間になれるんだ!」

「は? 透明人間だと?」

「そう! 初日の選定の儀式の時も、僕はこの能力のお陰で食人鬼に襲われずに済んだんだ!」


 少し面映ゆそうに、けれど誇らしげにフュンフは語った。こんなに喋る彼を見るのは初めてだ。もしかしたら、ずっと誰かに聞いて欲しかったのかもしれない。

 しかし、驚愕から覚めた後のドライは鼻で嗤った。


「何だ、ただの逃げスキルじゃねーか。そんなん、サーモなんちゃらとか積んでるロボ相手だと普通に見つかりそうだし、使えねーな」


 サーモグラフィーのことだろう。〝透明化〟の力がどこまで及ぶのか分からないが、視覚に頼らずそうした体温や心拍などの身体情報で位置を感知することは、確かに機械兵になら容易だろう。

 フュンフの頬が、さっと青ざめた。声も萎んでいく。


「そ、そんなこと……これまでの訓練でだって、見つかったことないし」

「訓練用だからサーモなんちゃらとか積んでねーんじゃねーの? それか、単にてめーが眼中になかったんじゃね? こんなクソ弱そうな陰キャ、放っといたところで何の脅威にもなんねーってな」

「そ、そん……っ」

「つーか、わざわざスキル使わなくったって、普段からてめーの存在感なんて無に等しいじゃん。居ても居なくても変わんねーっつーか」

「おい、ドライ」


 いくら何でも言い過ぎだ。止めようとするが、ドライは自分で自分の言葉がツボに入ったのか、高らかに哄笑を上げた。


「ハハッ、スキル要らずじゃねーかよ! 強っ!」


 不意に、ドライの高笑いが途切れた。不思議そうに己の胸元に目線を落とす。じわりと広がる、血の紅。


「あ?」


 ぽかんと開いた口からは、続く言葉の代わりに苦悶が洩れた。

 胸元の紅がより一層広がりを増す。グラスが手から滑り落ち、音を立てて割れた。その手で、ドライが患部を抑えようとした、その時――彼の上半身が内部から破裂した。

 降り注ぐ肉片が、料理を紅くトッピングする。胸から下の千切れた身体が、力無くその場にくずおれた。ドライの首は吹き飛んで床に転がり、苦痛に歪めた表情の中、どこか疑問の色を抱えたまま永遠に動きを止めていた。


 もう何度も見た、人体爆破の瞬間だった。


「ッきゃああああっ!!」


 遅れて、悲鳴が轟く。セーラのものだ。私はただ茫然とその光景を眺めていた。すると、そこに――。


「……るさい」


 低く押し潰したような、フュンフの声がした。反射的に声の方角を見るも、誰も居ない。かと思えば次の瞬間にはテレビの電源を点けたみたいに、唐突にフュンフの姿が出現した。耳を塞ぐ形で抱えた頭を癇癪を起こしたように左右に降り動かしながら、彼は喚く。


「うるさいうるさいうるさい! うるさいんだよ、お前! いい加減黙れよ!!」

「ひッ」


 セーラが悲鳴を呑み込んだ。しかし、フュンフの言葉は、彼女に向けられたものではなかったようだ。


「僕は選ばれた存在の筈だろぉ!? 尊ばれ、畏怖されるべき特別な存在なんだっ!! なのに何だよ、何でいっつも、どこ行ってもお前みたいな奴が居るんだよ!? お前みたいな奴がっ! いっつもいっつも僕を見下して底辺扱いして! ふざけんな! 底辺はテメーの方だろ!? 死ねよ!! 消えろッ!!」


 彼が詰っているのは、ドライだった。今しがた落命した相手に、フュンフはまだ「死ね」と恨み言を繰り出す。

 彼の手に握られた真っ赤なあれは……食器のナイフか? ぽたぽたと血が滴り落ちる、柄の部分までが真紅に染まったナイフ。……あれで、ドライの胸を?


「フュ……」


 呼び掛けようとした途端、フュンフの姿が再び消えた。ハッとして辺りに視線を巡らせると、程なくセーラが叫び声を上げた。


「ひいっ、いやぁあっ!!」


 宙に浮かぶ赤いナイフが、セーラの胸元に突き付けられている。彼女はテーブルを離れ、食堂の入り口へと向かっていたようだ。その途中で見えざる存在に捕捉されてしまったのだ。


「うるさい! 逃げるな! お前もムカつくんだよ! 女ってだけで、弱者のくせに周囲から甘やかされてチヤホヤされて! いいご身分だなぁ、おい!?」

「ひ、ひぃいいッ!」

「落ち着け、フュンフ!」


 席を立ち、そちらにゆっくり近寄りながら私が声を掛けると、矛先が――文字通り、赤いナイフの切っ先がこちらに向いた。


「お前もだ! 善人ヅラしていい子ぶりやがって! お前に庇われる度に、僕がどれだけ惨めな気分だったのか、お前みたいな鈍感な強者には分からないんだろうなぁ!? ああっ、ムカつく!!」

「っ!」

「もう、ただの逆恨みじゃん」


 ツヴァイが酷く冷めた声音で呟いた。すると、赤いナイフが今度は彼を指した。


「言っとくけど、お前もだぞ! そのお綺麗な顔、ズタズタにしてやりたくて仕方なかったんだ! そんな容姿に生まれてたら、初めから人生勝ち組で楽しくって仕方ないだろうなぁ!? チートじゃねーか!! 生まれながらにして人生の勝ち負け決まってんだよ!! 貧乏くじばっか押し付けやがって! ふざけんなっ!! ふざけんなよぉっ!!」


 喉の奥から絞り出すように、フュンフは怨嗟を唱えた。それは、呪いだった。自分の境遇を呪う、自分を取り巻く全てに対しての嫌悪と苛立ち、溜まりに溜まった鬱憤。ここまでの激情が、大人しい彼の中に人知れず潜んでいたというのか。抑圧されていた本当の想いが、ドライが引いてしまった引き金で今まさに堰を切ったように溢れ出していた。


「お前ら全員大っ嫌いだ!! そうだ、お前らが居る所為で! 僕は特別になれないんだ! お前らさえ居なければ……お前らさえ居なければっ! 僕が唯一なんだ!! お前ら皆、ぶっ殺してやる!!」

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