1-3 覚醒
熱い液体が喉奥に注ぎ込まれ、反射的に嚥下した。
――甘い。
熟れた果実のような芳醇な香りに、濃厚なチョコレートを思わせる味わい。……何だろう、これは。
舌先からとろりと溶けて、口内に広がっていく。甘美な感覚に、拡散していた意識が集約する。脳髄に痺れるような快楽があった。
もっと……もっと、欲しい。求めて、貪るように舌を絡めた。
「んっ……」
途端、鼻にかかったような吐息混じりの声が耳朶を打った。驚いて目を開くと、至近距離にやたら綺麗な顔がある。長い睫毛が震えて持ち上がり、紫電の瞳と瞳が合った。
「ッ!?」
動揺に強張る私の口から、柔らかな弾力のものが離れていく。それは、相手の唇だった。接合していた舌先から互いの唾液が糸を引き、中空でぷつりと途切れては仰向けの私の顎先を汚す。その感触に、私は酷く困惑した。
「気が付いた?」
濡れた唇を指先で拭いながら、彼は艶然と微笑んだ。よく見ると、唾液だけじゃなく何か紅い液体も混じっているようだ。
訳が分からなかった。今、己の身に何が起きていたのか。勘違いでなければ、私はこの青年と――。
戸惑い、見上げる私の疑問に答えるように、彼は言った。
「君、なかなか目を覚まさないから、血を与えた方がいいかと思ったんだけど……良かった、効いたみたいだね」
安堵するように息を吐く青年。私はまたぞろ混乱した。
血を? 与えた? それでは、先程私が飲み下した、あれは――。
その時、誰かがしゃくり上げるようなか細い泣き声が耳に届いた。何事かと横たわっていた身体を起こす。青年が慌てて背を支えてきた。
「急に動かない方が……」
大丈夫だ、と応じようとしたが、目に映った光景に衝撃を受けて、私は言葉を呑んだ。
辺りは正に地獄絵図だった。黒灰色の金属の壁床に、紅いインクをぶちまけたような血の海がそこかしこに広がっている。その中に溺れるようにして、幾つもの遺体が転がっていた。
遺体の多くは原型を留めておらず、パーツ毎に細切れに分解された肉塊のようになっている。飛散した内臓が強烈な臭いを放ち、思わず口元を押えて呻いた。
「これは……」
泣き声の主は、部屋の片隅で膝を抱えて震えていた。赤毛のセミロングの女性だ。だだっ広い室内を見渡してみると、他にも何人かは生きた人間が居るようだった。
人間……人間、か?
記憶の回路が繋がるようにして、幾つかの情景が脳内を駆け巡った。眼鏡で白衣の男の狂気じみた話。化け物へと変貌する子供達。
そして私の番が来た時、この白銀の青年が襲われかけているのを見て、それから……。
それから? どうなったんだ?
その後のことが何も思い出せない。とりあえず、青年は無事だったようだが、一体何が起きたんだ? ……私は?
確認すべく己が身を見下ろして、私はギョッとした。酷い有様だった。着ているものはズタボロに破け、血で真っ赤に染まっている。しかし、どこも痛みは感じない。不審に思って探ってみると、傷の類は見当たらなかった。この血は他人のもの? ……それとも。
――高い自己再生力。
男の話していた言葉が浮かび、目眩を覚えた。
まさか、
「来るなっ!!」
強い静止の声が飛んだ。泣く女性とはまた別の方角からだ。見ると、二人の人物が対峙している。一人は、金髪でガタイの良い目付きの悪い男。もう一人は、
……いや、まだ居る。鳶色の男性が背に隠すようにして、今一人。彼と同じ髪色の、そっくりな顔の青年が蹲っていた。双子だろうか。微かに唸り声を上げる歪んだ形相を見るに、その人物はもう手遅れと知れた。――ゾンビ化しかけているのだ。白衣の男の言葉を借りるなら〝
金髪は、警戒する鳶色にはお構いなしにズカズカと寄っていく。
「庇ってんじゃねえよ。そいつ、もうバケモンじゃねえか」
「違う! こいつは僕の弟だ! 化け物なんかじゃ――あっ!」
突如、背中の弟が兄に飛びかかった。大口を開いて兄の肩に牙を突き立てる。
「ほら見ろ、言わんこっちゃねえ!」
金髪は何故か愉快げに嗤うや、二人の元へ一気に距離を詰めた。兄にかぶりつく弟の頭を鷲掴みにし、力任せに引き剥がす。抉れた肩から血を流し、それでも兄は弟の方へと手を伸ばした。
「やめろっ!!」
再度上がる静止。しかし金髪が聞き入れることはなかった。金髪は鳶色弟の頭を掴んだまま、もう片方の手を構える。その腕が、ぎゅるるとドリルのように渦を巻き、形状を変化させた。
「!?」
形だけじゃない。腕から先の部位だけが硬質な鋼色に転じている。まるで、そこだけ金属製の槍を取り付けたような――。
何だ? あれは。
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