chapter.1 新生式

1-1 追憶

「何故だ」


 押し殺したのは、怒りか、悲しみか。激情をひた隠すよう、私は努めて平静な声音で問うた。


「何故、こんなことをした――02」


 適合体No.02 〝zweiツヴァイ〟の逃亡を受け、軍部から彼の追跡及び殺処分の命令が下された。

 永年の相棒の突然の行動に、私は困惑を禁じ得ない。当人も分かっていた筈だ。逃げ出したら命は無いことを。なのに、何故――。


 何故、私は友をこの手に掛けねばならないのか。


 ツヴァイは刹那、表情を消した。そうすると人形めいた綺麗な顔に一層の凄みが増す。息を詰めて答えを待つ私に、彼は直後口元に笑みを刷き、


「さぁ? 何でだと思う?」


 茶化すように、問い返した。

 〝君にそれが分かるかな?〟とでも言いたげな、挑戦的な瞳。その紫水晶アメジストのような紫色を見つめていると、ふと過去の記憶が刺激された。

 そうだ、私はこの瞳に魅せられたのだ。

 ツヴァイと初めて逢った、あの惨劇の日に――。



   ◆◇◆



 紫電の瞳は、虚空を見つめていた。

 瞬きすらせず心をどこかに置き去りにしたように、淡々と映る景色だけを瞳に宿す様は、まるで無機質な人形を思わせた。


 絹糸のように細く癖のない白銀の髪。宝玉のような紫の瞳。肌は透けるように白く、その為唇の桜色が艶やかに映えている。女とも見紛うような中性的な美貌の持ち主だが、細身ながらにしなやかな筋肉を帯びた肢体は確かに青年のものだと分かる。

 百を超える多人数が詰め込まれた空間にいても、その人の周りだけが明らかに空気が違っていた。


 モーセの海割りの如く、人波がその人を遠巻きに不自然な間隔を空けている。だから、自然とそこに目が行ったのだ。

 当の本人は集う視線にもざわめく周囲にも全く我関せずの様子で、外界から一人だけ隔絶されたような超然とした存在感を放っていた。

 長い睫毛が影を落とす。その憂いを帯びた横顔が、妙に気に掛かった。


 何故だろうか。全てを諦めたような――そんな目をしていたからだ。


 不意に、ぷつんと微かな異音が耳を衝いた。

 意識を引き戻されるようにして音の出処を探る。すると、部屋の中央前方に設えられた巨大モニターにいつの間にか人の姿が映し出されていた。眼鏡で白衣で医者のような印象を与えるが、それ以外にはあまり特筆すべき点のない、どこにでも居そうな中年男だ。


「皆さん、この度は当施設にようこそお越しくださいました」


 スピーカーから電子管を通して男の声が届く。思いの外甲高いテノールで、男はここの責任者だと名乗った。


「皆さんもきっと、今日の日を待ち侘びていたことでしょう。規定通り、これから皆さんにはこの施設で兵士となる為の教育を受けてもらいます」


 会場内にピリリと緊張感が走った。

 そうだ。遂にこの時が来たのだ。この日、国中の孤児院出身の十八歳の若者達が招集された。予め定められた約束事だった。孤児院で育った子供達は、高校を卒業し成年を迎える歳頃になると、兵士となる為に国の特殊な教育機関に送られる。

 それというのも、を与える為だという。


「皆さんも周知のように、現在人類はAI達の反乱により未曾有の危機に晒されています。皆さんの中にも機械兵によって親類を奪われた方が多いのではないでしょうか」


 ――おにいちゃん!


 脳裏に、閃光のように過ぎる光景があった。手を振り駆ける幼い妹の笑顔。それを温かく見守る優しい両親の姿。

 全て奪われた。突如始まった、AIによる人間狩り。AIが自ら生み出した機械の兵団が町を襲った。訳も分からぬままに蹂躙され、生き残ったのは己ただ一人。

 戦災孤児として同じような子供達の集まる施設に送られ、無力感に苛まれる日々の中――私は決意した。


「仇を討つのです」


 画面の男が熱弁を振るう。その言葉に、私の、あるいはこの会場内の皆の心情が共振した。


「AIに立ち向かい、一矢報いてやるのです。その為の力を我々が授けましょう」


 正に渡りに船。家族の仇を討つ。AIに復讐する。戦争を終わらせるでも平和を取り戻すでもいい。とにかく、私は闘う。兵士となるのだ。その為だけに、これまで生きてきた。

 会場内の熱気が上がる。昂揚が最高潮に達した――その時だった。


「ぐゎばッ」


 後方から妙な声が聞こえた。張り詰めていた気がそちらに逸らされる。見ると、三列ほど後ろの小柄な男性が身を折って嘔吐えずいていた。

 床にぶち撒けられた胃の内容物。えた臭いに周囲が身を引く。


「ちょっと、大丈夫?」


 髪の長い女性が心配そうに声を掛けた。そうして、苦し気に呻く男性の背をそっと擦ってやる。


「ああ、時間のようですね」


 そんな中、画面の男だけが変わらぬ調子だった。録画なのか? 訝しく思って見遣ると、男は応えるように告げた。


「実は、力の源は既に皆さんの中にあるのです。皆さん、ここに来る前に移動の車中で眠ってしまったのではないでしょうか」


 確かに、そうだった。てっきり、昨夜興奮してなかなか寝付けなかった所為だろうと思っていたのだが……。


「その時に、皆さんの体内にとある錠剤を投与しました。そろそろカプセルが溶け出す頃合いでしょう」


 悲鳴が上がった。再度視線を後方に繰ると、そこには理解不能な光景が待ち受けていた。

 小柄な男性が、長髪の女性の腕に噛み付いている。その形相は明らかに常軌を逸していた。焦点の定まらない瞳は血のように赤く染まり、露出した肌には異様に突出した血管が浮いている。そして、深々と肉に食い込む鋭い牙。その姿は、まるで――。


「永年の苦境に立たされ、我々は考えました。人間は、人間のままでは決して機械には敵わない。奴等に対抗するには、もっと強大な力を得る必要があるのです。強大な……人智を超えた存在になる必要が」


 ――化け物だ。

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