マスクの日

天木犬太

マスクの日





朝。


教室の扉を開くと、窓際の席に座る彼女の姿が目に入った。


いつものように、文庫本に目を落としている。


扉を開いたまま佇む僕の姿に気が付くと、軽くひらりと手を振ってきた。


彼女の口元には、真っ白なサージカルマスク。


「お……」


おはよう。


そう口に出そうとした瞬間、


「おーっす」


気の抜けた声が右隣から発せられる。


「……はよう」


坊主頭が素敵な悪友だ。


「あれ? 彼女さん」


教室を覗き込むようにして言う。


「マスクの日じゃん」


彼女は既に文庫本に目を戻している。


「……」


悪友は僕の肩に肘を載せて言った。


「今日はちゅーできねーな」


「はあ!?」





「はー、だる」


「その柄かわいいね」


「ダブルマスクってどうなん?」


体育の授業中。


グラウンドの隅、木陰のベンチで女子たちが喋っている。


その集団から少し離れた位置で、彼女はひとり文庫本に目を落としている。


「おーい、余所見してんな」


「あ……ごめん」


ぼーっとしていて注意を受けた僕がサッカーの紅白戦に戻ろうとした時、


彼女が目を上げて僕を見ていることに気が付く。


マスクの表面が蠢いて、彼女の目がいたずらっぽく笑う。


(ばーか)





「じゃあまた明日」


下校中。


いつも彼女と別れる細い路地のすみっこで、


「ん」


と彼女が腕を広げる。


僕は彼女の背中に手を回し、彼女の耳に軽く頬を添わせながら、


「今日は……駄目だよね?」


「うん、ごめんねー」


「いや全然……」


心地好いシャンプーの匂い。


「ていうか別に……俺は気にしないけど……」


「は? 私が気にするんだよ」


「あっ……はい」


そうですね……。


「……」


ずっ、とひとつ彼女は鼻をすすると、


「ちょっと待って」


僕から離れて背を向ける。


「準備するから」


とマスクを外し始めた。


「え? いや、そんな無理にとは」


「私もしたいし」


ずっ


「よし、おっけ」


くるりと正面を向いた彼女が、僕の腋腹に腕を差し込んでくる。


「ふふ」


マスクのない彼女の唇が近付いてきて、


「あ、やば」


すぐに離れた。


彼女が手をやる鼻の穴からは、赤い液体がたらりと垂れている。


すん


「えっ」


僕は彼女の手首を掴むと


「やっ」


彼女が逸らそうとする口元に顔を寄せる


「ん」


鉄の匂いが口の中に広がった


「ぷは」


ぬちり、と


離れた僕と彼女の唇は、細い赤色の糸で繋がっている


「……」


「……」


「……」


「……」


「……変態」


そうですね。





END

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