普通だった少年の普通じゃない日常 ~あの、俺の能力『自身操作』ってなんですか~
アルケミ
第1話
「ねえ、私と一緒に来てくれないかな」
この言葉を、この差し伸べられた手を、この光景を、彼が忘れることは一生ないだろう。
なんの異常性も持たず、普通でしかなかった自分が、渇望していた異常な存在。それに成ることを拒む理由などどこにもない。
ゴクリ、と覚悟を決めるように生唾を飲み込み彼は目の前の少女が差し出す手を取った。それが、平坦でありながら、安泰であった人生から大きく外れると感じながらも。
自分が主人公でないと気付いたのはいつ頃だろうか。まだ、サンタクロースを信じていたころは、自分は何でもできて、世界はもっと狭いものだと思っていたはずだ。しかし、そんな幻想はいつのまにか砕かれていた。自分はただの一般人で、なんの異常なところもない。だが……
「……夢?」
ジリジリとうるさく鳴る目覚まし時計と、カーテンの隙間から差し込んでくる朝日に、少年は睡眠から意識を覚醒させられる。寝起きでぼやける視界の中、手探りで目覚まし時計を止めると、少年はベッドから身体を起した。
眠い目を擦りながら洗面所まで行き、冷たい水で顔を洗って目を覚ましてそのまま台所へと行くが、そこには朝食を作る母も、新聞を読む父も居ない。
しかし、少年に両親が早くに他界してしまった。なんて物語のような重い理由は存在しない。ただ、両親が共働きで家を開ける事が多い、それだけだ。少年は手早くトーストと珈琲を用意すると、テレビを付けて朝の天気予報あたりを見ながら朝食を頬張る。
(主人公、か……)
天気予報のアナウンサーが快晴を伝えているのを眺めながら、夢で考えていたことを朧おぼろ気に思い出す。
「自分の人生の主人公は自分自身だ」なんてよくある言葉で片付けるのではなく、主人公というのは周りにいるだけで影響を与え、物事の中心になれるような人物の事であると彼は考えている。
そんな事を考えていると、既にいつもの登校時間になっていた。思ったより思考に熱中してしまったようである。急いで残りの準備を終えると、
「いってきます」
特に返されることのない一言を行ってから玄関の扉をくぐる。これが、少年こと
(特別か、俺には縁のない話だな……)
通学途中、光一はまだ朝の事を引きずっていた。
誰しも、小さなころは自分が何か特別な存在と無意識に思い、疑問を持ってはいないものだ。だが、そんな考えは、何らかの挫折であったり、知識がついたが故の気づきであったりを通して砕かれるのが普通だ。
この少年も例外ではない。光一も何らかの形で挫折なり、気づきなりをへて自分が
それでも、特別と呼べる存在に自分が成れたのなら……
「オッス、光一」
後ろから肩を叩かれると同時に、男らしい声の挨拶が聞こえてくる。叩かれた衝撃で前によろめき、先ほどの思考は中断させられ振り返る。
「ああ、おはよう。健司」
今、光一に挨拶してきた身長百八十センチを超えるガタイの良い男は、齊藤健司という男。光一が百七十五センチなのだが、目の前にいる健司はガタイの良さも合わさり、中肉中背の光一と並ぶと数字以上に大きく見える。
「なあ、光一。ちょっと頼みたいことがあるんだが」
「数学の課題なら写させないぞ」
「な、なんで分かった!」
「何年の付き合いだと思ってるんだ。こんな朝からしてくる頼み事なんてバレバレだっての」
しかし、このまま頼みを突っぱねるのも忍びない。何か購買で奢ってもらう代わりに、課題を見せるとしよう。そう考えていると、
「なら、購買のコロッケパンと烏龍茶でどうだ」
「……よく分かったな」
「バーカ、何年の付き合いだと思ってんだ」
「そうだな」
そんな感じで、光一は斉藤とたわいもない会話しながら自分の教室へと向かい、教室の扉に手をかけたその時。
「邪魔」
ガラリと勢いよく扉が内側から開き、慌てて光一は手を引っ込める。中から出てきた顔を赤らめた女生徒は、二人の間を通って何かを誤魔化すような速足で去っていってしまった。彼女の名は
(ま、どうせアイツがいつものをやらかしたんだろうな)
光一はそう結論づけると、再び教室へと歩を進める。
「どうしたんだ? あいつ」
「大体予想はつくけどな」
そう言って教室に二人が入ると、横顔に大きな手形をつけた少年が挨拶をしてきた。彼の名は
「おはよう光一、健司」
「おはよう智也。大体予想出来るけど一応その手形の理由を聞こうか」
「どうせまたセクハラでもしたんだろ」
「いや、違ぇよ! しかも"また"って何だよ、それだといつも俺がセクハラをしてるみたいじゃないか」
「じゃあ山崎に何をしたんだ?」
「そ、それは……転んだ拍子にちょっと胸を⋯⋯⋯」
「やっぱりお得意のラッキースケベか」
「はぁ、それは不可抗力だっての、それにそんなラッキーはいらん。もしここに凛が居たら今頃俺はミンチになってたよ、……早いとこ詞乃に謝ってこないとなぁ」
そんな会話をしながら、ため息をつく天河が自身の席に座る際に、光一が一言。
「言い忘れてたが、さっきからお前の後ろに凛が居るぞ」
「え?」
天河はその光一の言葉に顔を青くしながら、油が切れかけたロボットのような動きで振り替えると、そこには彼の幼馴染である久崎凛くざきりんが鬼の形相でそこにいた。
「あんた詞乃ちゃんの胸を揉みしだいたらしいわね?」
「ご、誤解だ!触りはしたが、揉みしだいたりなんてしてない!……あ」
「ふーん、触りはしたんだ?」
「まて、話を聞いて……」
「問答無用!」
天河は、光一達の会話の一部始終を聞いていた久崎から平手打ちを食らうと、横顔の真っ赤な手形をもう一つ増やすのであった。
そんな彼を横目に光一は自身の席に座り、二人のやり取りを眺めていた。天河自身に非がある事は少ないのだが、今回のようなトラブルに彼は巻き込まれる事が往々にしてある。“主人公”その単語が再び光一の頭によぎったが、
(ゲームや漫画じゃあるまいし、そんなのいるわけないか)
非現実的だと小さく笑って自身の考えを否定する。と、担任教師が眠そうな目をして教室に入ってきた。
「光一も今日は道場寄ってく?」
今日の授業も全て終わり、生徒達が「早く部活行こうぜー」等の話をするなか、光一が帰り支度をしていると久崎がそう訪ねてくる。
「ああ、寄らせてもらうかな」
「分かった、ほら智也行くわよ」
「うわっと、引っ張るなよ。凛」
光一はそう返すと、久崎に手を引かれ先に教室を出た天河を追って教室を出る。彼女の家は代々道場を営んでいた家系である。今の師範は彼女の祖父であり、その好意で偶に道場を借りて武道に触れさせてもらっているのだ。道場へ行く道中で斉藤と合流し、古めかしい雰囲気を醸し出す道場へと入る。
「遅かったわね、あんたら」
「そっちが速いんだろ、智也を引っ張って先に行くからだ」
そんな会話をして光一らは靴を脱ぎ、胴着に着替えて道場へと入る。板張りの床の感触がひんやりと心地よい。
「おお、これは久しぶりに元気のある子供らがきたな」
光一達が準備体操や軽い組手等をしていると、袴姿の老人が道場の扉を開けてそう言う。
「おじいちゃん、今日は智也達が来るって連絡したじゃない」
「そう言えばそうじゃったな、どれ久しぶりに相手をしてやるからかかってきなさい」
この老人こそが、国崎の祖父でありこの道場の師範、久崎宗一郎である。彼はそう言って孫娘との会話を切ると、光一達から五メートルほど離れて構えをとる。もう七十台にもなるというのに、その構えにふらつく様子は見られない。
「凛のじいさんと組手するのは久しぶりだからな、前回のリベンジも含めて最初は俺にやらせてもらうぜ」
斉藤はそう言って宗一の前に立つ。傍からみれば、老人虐待にしかみえない体格差。
「最初はお主か、先手は譲ってやるから全力で来るといい」
「それじゃあ、お言葉に甘えて全力で行かせてもらうぜ!」
斉藤は構えたまま動かない宗一に向かって、助走をつけた右の正拳突きを繰り出す。
「まだまだ力に頼り過ぎじゃな、そんな突きじゃ老人だって倒せやせんよ」
宗一郎はそんな助言を言う余裕を見せ、斎藤の突きを最小限の動きで右に回避する。斎藤は直ぐに追撃の左フックを出すが、
「久崎流 柳」
「うぉっ!?」
宗一郎は、それに手を添えて受ける。勿論、ただ手で受け止めるのでは、単純な筋力差で押し切られるのが関の山なのだが、宗一郎の技術は絶妙な体重移動と手の動きにより、まるで柳が強風に対してしなることで折れぬかのように、斉藤の拳を受けることを可能とする。
斉藤は攻撃の向きを意図せぬ方向に変えられたことでバランスを崩し、その隙をついて宗一郎は左拳を斉藤の腹に向かって打つ。斉藤は防御姿勢を取ろうとしたが、正拳があたる直前に、宗一郎は右掌底を斉藤の顎に入れていた。腹に意識を向けていたいた斉藤は、反応できずにまともに掌底をくらい倒れる。
「お主は力がある分攻撃ばかりに目がいっておるの、もう少し防御にも気を配らんといかんな」
「ああ、次はそこを直してリベンジしてやるからな、じいさん」
斉藤はそう言ってよろよろと起き上がり、久崎や天河達が待機する場所に戻った。
「ったく、あんなパワフルな老人がいるかよ」
「俺らの数倍のキャリアのある武術家だぞ、あしらわれるのが普通さ」
「それもそうだな、光一は次いくのか?」
「……いや、俺は最後でいいや。智也、凛、行って来いよ」
「そう、ならお先に行かせてもらうわ」
「健司の仇をとってやるよ…………健司、空から見ていてくれよ」
「勝手に殺すな!!」
斉藤の叫びを背中に受けて意気揚々と立ち上がる久崎を、会話の中に居ながらもどこか場違いな感覚を覚えながら光一はその場で座っていることしかできなかった。
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