第1話 邂逅、そして会談

大暦2025年8月16日 ローディウス大陸北東部海域 大東海


 その日、海には珍しく靄が立ち込めていた。


 その海を数隻の木造帆船が、塔の様に聳え立つマストに幾重にも張った帆に風を受けて、東の方角へ進む。その上空には、この世界特有の生物である飛竜ワイバーンが舞い、それを手繰る者はマスト上部の見張り台よりも遠くの海域を見渡している。


 彼らは、ベルジア王国と呼ばれる国の海軍に属する、哨戒艦隊である。ワイバーンを陸地から離れた洋上で運用するために、マストを右舷側に寄せつつ左舷側に大きな張り出しを設ける事で、重心を安定させつつワイバーンの離着陸を可能としている飛竜母船を司令船とし、十数門のカノン砲で武装したガレアス船や、帆船として優秀な機動力を持つカラック船で構成されている。


 ローディウス大陸の東方向には、国は何もない。ただ青い海が広がるばかりだ。かつて、何人もの冒険者が、この水平線の先には何があるのか探るべく、船を駆って漕ぎ出していったのだが、帰ってきた者は一人としていない。


 では、なぜそんな方角の哨戒に当たっているのか。それは、ベルジア王国の存在するローディウス大陸を取り巻く国際的な状況が原因だった。


 総面積400万平方キロメートルの広さを持つローディウス大陸の大半を占めるローディア帝国は、4000万ものヒト族のみが住まう軍事国家である。対して大陸北東部に位置するベルジアは農業立国であり、1000万はいる人口の半数を亜人族と総称される種族…具体的には獣人やエルフ、ドワーフなどが占めている。南隣のマーレ王国も同様であり、こちらは豊かな海産物と豊富な金属資源の輸出で栄えていた。


 そしてローディア帝国は、国家戦略として『亜人を殲滅せんめつし、ヒト種の王道の下で大陸を統一する』ことを掲げている。それはすなわちベルジア・マーレ両国との敵対を意味していた。そしてベルジアは、共通の脅威を持つマーレと互いに助け合って、ローディアに対抗してきたのである。


 その大東海に異変が起きたのは先日の事。日食とはまた異なる形で、文字通り昼夜が逆転したその日、東の漁村の上空に、突如として巨大な怪鳥が現れたのである。ワイバーンではとても追いつけぬ様な怪物の出現に、国中は大騒ぎとなっていた。


 これに対して有効な手立ては今のところない。だが何も対策しない訳にもいかなかったため、こうして洋上に飛竜母船を中心とした艦隊を配置して、早期に発見・迎撃する事としたのである。


「提督、3番騎より入信!方位051、距離20マイル32キロメートルの地点にて大型の船らしき物体を視認したとの事です!」


 司令船「バロニア」の甲板上、船楼に設けられた指揮所にて、艦隊を指揮するアドス提督は報告を受ける。


「そうか…警告を発する準備をしておいてくれ。件の船に対して臨検を行う」


 命令を受け、7隻の船は帆を広げて前へ進んでいく。その際マスト頂点に設置されている魔法具により、艦隊は15ノットという帆船としては高速と言えるスピードで、この青い海を突き進んでいた。


 やがて30分後、艦隊は目前の水平線に船影を視認する。やがて距離が縮まるに連れて、アドスは驚きを露わにする。


「何と巨大な船か…まるで洋上を城郭が進んでいるかの様だ」


「全く、ですな…」


 アドスと船長がそう言葉を交わす中、船員が報告を続ける。


「提督、船長!相手船よりカッターが降ろされました!」


「迎えを寄越してきたか…よし、接するぞ」


 アドスはそう言って、相手を迎えに行くのだった。


・・・


「しかし、奇妙な事が立て続けに起こるものだ」


 いそかぜ型ミサイル駆逐艦「はまかぜ」の艦橋にて、艦長の飯岡いいおか少佐は呟く。第5艦隊第9対潜艦旅団に属するこの艦は、冷戦後期に防衛海軍の近代化プログラムに沿って建造されたカシンⅡ型ミサイル駆逐艦である。


 オリジナルよりも船体を僅かに拡大させ、装備の追加に耐えうる容量を確保した本級は、10センチ速射砲や各種ミサイル、対空ガトリング砲などを装備し、バランスのよい性能を有する、就役当時は東アジア最強の駆逐艦として名を馳せていた。「はまかぜ」の就役から30年以上が経った今も尚、近代化改修を経て台湾を拠点に行動している事がその優秀な性能の証左であろう。


「ともかく、複数の意味で話が通じる相手で助かりました」


「そうなると、いいのだがな…」


 やがて数分が経ち、相手の指揮官が艦橋に現れる。


「ようこそ、「はまかぜ」へ。本艦の艦長を務める飯岡と申します」


「ベルジア王国海軍提督のアドスだ。貴官らは我が国の領海に対して無断で立ち入っている。それに対する警告を発するべく、こうして臨検に赴いた」


 相手は英語でそう言い、飯岡もしっかりと英語で応じる。


「その件に関しましては、私より謝罪致します。ですが我が国は現在、未知の現象に遭って状況の把握に努めている最中なのです。その状況理解の最中の不注意である事を、どうかご理解頂きたい」


「不注意、か…我が国は現在、とある都合により警戒を厳しくしているのだ。こうして無用な衝突で、この豊かな海を血で汚すのを防げただけでも僥倖だ」


 この後、「はまかぜ」は7隻の軍船に取り囲まれながら、北東の港町サルバへ連れていかれたのであった。


・・・


日本国東京都 内閣総理大臣官邸


 戦後、日本は軍事面においてソビエト連邦から多大な影響を受けたのであるが、その影響は建築の分野にも及んでいた。


 東京大空襲によって甚大な被害を受けた後、旧首相官邸は『悪しき帝国主義の象徴』として取り壊され、代わりにスターリン様式を用いた新官邸『永田宮殿』が建造。地上5階建ての巨大な建物はまるで北東の方角に位置する皇居を見下すかの様に聳え立ち、この国がソビエトの潜在的な影響下にある事を視覚的に訴える形となっていた。


 『国土奪還戦争』後、ソビエトの精神的支配からの脱却をスローガンとした当時の政権の下で、永田宮殿は曳家の技術を用いて移転し、首相公邸として再利用。代わってモダニズム建築が取り入れられた新首相官邸が建てられた。この『クリスタル・パレス』の異称も持つ新官邸は規模こそ永田宮殿と同等ながら、屋上には広大な敷地を持ち、有事には中央部の吹き抜けにある大型エレベータを用いて、地対空ミサイル発射機や対空機関砲を設置する事が出来るのである。


 その首相官邸の会議室にて、守・J・ジューコフ内閣総理大臣を筆頭とする閣僚達は、防衛軍参謀本部からの報告を受け取っていた。


「そうですか。ベルジア王国、ですか…」


 茶色のオールバックが印象的なジューコフ首相はそう呟き、椅子に自身の体重を掛ける。彼は朝鮮戦争後に日本に移住してきたソ連地上軍軍人の孫に当たり、自身も20年前は防衛陸軍兵士として、イラクにおける平和維持活動に参加した経歴を持つ。30歳に陸軍中尉で退役した後は新社会党を前身とする日本社会党より出馬し、若き政治家として活躍していた。


「いずれにせよ、現状把握と国民への公表は急がなくてはなりません。我が国が地球と全く異なる環境に置かれた事は間違いないでしょう」


 西部軍管区や北部軍管区にて、朝鮮半島やユーラシア大陸が見えなくなったという情報はすでに官邸に届いており、政府上層部と有識者会議は『今日本国は地球とは全く異なる世界の上にある』との結論を下していた。すでに人工衛星の喪失に伴う混乱と被害が発生しており、政府は戒厳令を発して事態の対処に向かっていた。


「彼の国の調査と理解は、海軍に継続してもらいましょう。先ずは当面の問題に対する対処です。農林水産大臣、現状と対応を教えて下さい」


 ジューコフの問いに、倉内幸男くらうち ゆきお農林水産大臣はレジュメを読みながら答える。


「はっ…先ず貿易が途絶えた事は明白であり、すでに全ての総合農業プラントに対して緊急生産体制を指示しております。しばらくは全ての飲食店に対して営業制限命令と営業管理命令を発令しなければなりませんが、5年は持たせる事が出来るでしょう」


 冷戦時より日本は、アメリカ海軍の誇る原子力潜水艦部隊と、ソ連海軍太平洋艦隊に属する潜水艦部隊による通商路封鎖に怯えなければならなかった。特に食料と燃料の不足は深刻な危機であり、様々な作物の栽培・生産を行う総合農業プラントが日本各地に建設される事となった。


 その中でも有名なのが、伊豆半島の険しい山々を切り崩して築き上げた熱海人工盆地と、石川県七尾市に建設された総合農業プラントであり、ここでは輸入に依存していたカカオ豆とコーヒー豆の大量生産に成功。今では『温泉ココア』『能登コーヒー』といったブランド価値を得ている。


「次に燃料ですが、石油は備蓄分とオハの燃料開発プラントを考慮すると、幾つかの制限・管理命令を発して10年は持たせる事が出来ます。原子力発電所も全力稼働状態にあり、夕張・筑豊の両石炭プラントには人造石油の増産命令をすでに送っております」


 戦後、日本はエネルギー資源をソビエト連邦に依存する事となったが、だからといって自発的な確保手段の模索は怠らず、夕張や筑豊の炭田には人造ガソリン生産工場を建設。北陸の油田開発に、中東諸国との貿易強化、国土奪還戦争後の樺太の地下資源開発政策もあり、21世紀初頭における対ロシア依存率は10パーセントを切っていた。


 備蓄量も非常に多く、日本各地に築かれた地下資源備蓄基地には石油や各種地下資源が平時の消費量換算で3年は持つだけの量が蓄えられている。冷戦期の名残は2011年の東日本大震災や、2019年の対馬戦争に伴う海域封鎖でも役立てられ、日本が『世界で最も安定した国』の呼称で呼ばれる所以を証明してみせていた。


「ですが、問題はさらにあります。まず海外資産800兆円分が消失し、経済に甚大な被害が出ております。『宝物庫』に蓄財されている資産の開放と重要産業への手当支給により被害の縮小に勤めておりますが、問題の根本的な解決にはつながらないでしょう。ともかく、ベルジア王国と無事に接触し、何らかの関係が結べれば、改善が見込めるでしょう」


 経済産業大臣の言葉に、ジューコフは小さく頷く。そしてこの2日後、政府は外交官を乗せた艦船をベルジア王国へ派遣したのである。

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