第33話 雨のち晴れ
月曜日は朝から雨が降っていた。天気の悪い日は憂鬱になる。灰色の分厚い雲にエネルギーが吸い込まれていきそうだ。
紺色の傘を差しながら学校までの道のりを歩いていると、前方に水玉模様の傘を持っている女子生徒を発見した。背恰好から誰かはすぐに分かった。
「おはよう、
隣に並んで挨拶をする。声をかけられた羽菜は驚いた表情をしたが、すぐにふわりと微笑んだ。
「おはようございます。綾斗くん」
それだけで沈んでいた気持ちが上昇した。
隣を歩いていると、羽菜のスクールバックに笠地蔵のマスコットが付いていることに気付く。昨日クレーンゲームで取ったものだ。笠地蔵はゆらゆら揺られながら、穏やかに微笑んでいる。
「それ、鞄に付けてるんだね」
「はい。子供っぽいでしょうか?」
「そんなことないよ。そういうマスコット付けている女子も多いし」
「そうですよね。ありがとうございます」
羽菜は笠地蔵を撫でながら目を細めた。その仕草にドキッとしてしまう。昨日、その笠地蔵が自分と似ていると言われたせいで変に意識してしまった。
邪念を悟られないように隣を歩いていると、羽菜は笠地蔵を見つめながら言った。
「この笠地蔵は、ご利益があるのかもしれません」
「ご利益?」
「はい。学校までの道のりで綾斗くんと偶然会えたらいいなぁと思っていたんですけど」
羽菜は顔を上げ、どこか嬉しそうに微笑んだ。
「本当に会えました」
その一言で、憂鬱だった気持ちは綺麗さっぱり吹き飛んだ。やっぱり自分は単純な性格のようだ。
教室に着くと、いつも通りの賑やかな空気に包まれた。自分の席に着こうとすると、
一応、保健委員だから声をかけようかとも思ったが、お節介になるかもしれないからやめておいた。席に着くと、
「おはよう、水野くん」
「おはよう。昨日はありがとう」
「こちらこそ」
鞄からペンケースを出そうとしていると、雅は頬杖をつきながらどこか気の毒そうに目を細めた。
「水野くんも大変やなぁ」
「……何のこと?」
何を指して大変と言われているのか全く分からなかった。固まっていると、雅は悪戯っ子のように微笑んだ。
「恋愛相談ならいつでも乗るで?」
その言葉で、余計な気を回されていることに気が付いた。
「お気持ちだけで十分」
十中八九、昨日のショッピングで綾斗が羽菜に好意を抱いていることに気付いているのだろう。試着室に二人きりで籠っていた現場を見られたのだから、もはや言い訳のしようがない。
クラスメイトに言いふらすようなことはしないだろうけど、身近な相手に恋心を悟られているのはどうにもやりずらい。また一つ、悩みの種が増えてしまった。
*・*・*
昼休みが終了する15分前。綾斗は保健委員の仕事のために保健室に向かっていた。保健室で
保健室に入ると、やけに静かなことに気付く。間宮先生の姿はない。職員室にでも行っているのだろうか?
室内をうろうろしていると、奥のベッドで誰かが寝ていることに気付く。気配を消して様子を伺ってみると、木崎愛未が眠っていた。
ブラウスのボタンを上二つ開けて、胸元が見えそうになっている。スカートは捲れあがって、真っ白な太腿も露わになっていた。
いつもは猫のような瞳で小悪魔チックな微笑みを浮かべているが、今は無防備な寝顔を晒している。目を閉じていると、長い睫毛が際立った。
彼女に対しては特別な感情は抱いていないが、こんなに無防備な姿を見せられたらドキッとしてしまう。寝返りを打ったら、スカートの中まで見えてしまいそうだ。
こんな姿を他の生徒に見られたら大変だ。綾斗は足もとで丸まったタオルケットを掴んで、そっと彼女の身体にかけた。
その瞬間、彼女は目を覚ます。ぱちんと猫のような瞳に見つめられた。
「ああ、なんだ、水野くんか。良かった」
愛未は驚いたように目を丸くしながら安堵の声を漏らす。「良かった」という発言から、また無害認定をされていたことにも気付いた。
「大丈夫? 体調悪いの?」
「うん。ちょっと頭痛くて。雨が降ると駄目なんだよね」
「低気圧だから」
「かも」
愛未はベッドから起き上がって、うーんと背伸びをする。
「けど、ちょっと寝たら良くなった。午後は授業出れそう」
肩をほぐすように腕を回す。その拍子に、ブラウスの胸元からピンクの布が見えてしまった。綾斗はさりげなく視線を逸らす。
愛未はブラウスのボタンを一番上まで留める。ちょうどその時、保健室の扉が開いて間宮先生が入ってきた。
「あれー、菩薩くんじゃん」
「だから水野です」
いつも通り訂正したところで、綾斗が愛未と一緒にいることに気付く。
「愛未ちゃんも一緒なんだー」
「すいません。勝手にベッド借りてました」
「それはいいけどー。んんー?」
間宮先生は、ベッドの上で座る愛未とその前で立つ綾斗を交互に見つめる。何だか嫌な予感がする。
「まさか菩薩くん、今度は愛未ちゃんと」
「違います」
光の速さで否定する。またとんでもない容疑をかけられてしまった。そんなやりとりを見て、愛未はクスクスと笑う。
「水野くんが私に手を出すなんてありえませんよ。なんてったって菩薩様なんだから」
やっぱり無害認定をされていたようだ。いまの状況ではそう思われていた方が都合が良いけど。
「いやいや、油断は禁物だよー。彼だって男の子なんだからー。ほら、菩薩の顔も三度までっていうじゃん?」
「それを言うなら、仏の顔も三度までです。勝手に人のことを害悪認定しないでください」
あくまで笑顔で釘をさす。そんなやりとりを見て、愛未はまたしても笑い出した。
「ふふふっ、水野くんってマミちゃん相手だと、結構ズバズバ言うんだね。教室ではそんなイメージがなかったから意外」
「訂正する箇所が多すぎるから、自然とそうなってるだけだよ」
「そっかぁ。けど、マミちゃんの言う通りだね。油断しちゃ駄目だよね。なんとなく、水野くんって恋愛に発展するイメージがないから危機感が薄れるんだよねー」
その言葉は、ジワジワと効いてくる。いま一番気にしていることだから。すると間宮先生も同意するように頷く。
「恋愛に発展するイメージがないってのは分かる気がする。なんでだろう、良い人過ぎるから?」
「あー、それはあるかもしれないですねー」
女性陣の間では共通の認識があるようだ。綾斗は小さく溜息をつく。
「要するに、友達としては安心だけど、恋人にするには物足りないってことですか?」
「ざっくり言えばそういうことだね~」
間宮先生はあっさりと頷いた。こちらが傷つくことなど、まるで想定していないかのように。
恋人としてもの足りないということは、いつまで経っても羽菜と付き合えないということだ。本人から直接友達のままでいたいとは言われたが、簡単に受け入れられるものではない。できることなら、恋人に昇格したい。
「どうすればいいんだ……」
心の声をうっかり漏らしてしまった。その言葉を間宮先生は聞き逃さなかった。
「そんなの簡単だよ」
間宮先生はにやりと笑いながら綾斗の目の前までやって来る。突然距離が縮まったことに驚いていると、間宮先生は綾斗の顔を覗き込みながら、ちょんと指先で唇の端に触れた。
「相手をドキドキさせればいいの」
綾斗は呆気に取られていた。間宮先生は、挑発するような力強い目でこちらを見つめている。くるんとカールした長い睫毛がやけに印象的だった。
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