第26話 目撃者

 昼休み。綾斗あやとは委員会の仕事を片付けるため、保健室に向かった。虫歯予防デーのアンケートを、昼休みまでに提出しなければならないからだ。


 アンケートは午前中のうちに全員分回収済みだ。保健室の先生に提出するだけだからあまり時間は取られないだろうけど、羽菜にはLIENで委員会の仕事があることを伝えていた。


【ごめん。今日は保険委員の仕事があるからお昼は一緒に食べられない】


 一時間目終わりにメッセージを打つと、すぐにメッセージが返ってきた。


【了解です】


 少し前だったら、あまりに素っ気ない態度にショックを受けていただろうけど、今となれば動揺することはない。これが羽菜の通常営業だ。怒っているわけでも寂しがっているわけでもないと思う、多分。


(さっさと提出して教室に戻ろう)


 保健室の扉の前で小さく溜息をついてから、扉を開ける。


「失礼します」


 礼儀正しく挨拶をすると、白衣を着た保健室の先生と目が合った。


「はーい、どしたのー?」


 片手にサンドイッチを持ってフレンドリーに迎えてくれたのは、養護教諭の間宮まみや玲香れいか先生。綾斗たちが入学した年に新任でやって来た先生で、生徒からは「マミちゃん」の愛称で親しまれていた。


 ダークブラウンの髪をひとつに束ねていて、一見すると落ち着いた印象だが、目元のメイクがやけに気合が入っていることから、生徒達の間では元ギャルなのではないかと噂をされている。


「あ、菩薩くんじゃん。やっほー」


 間宮先生はひらひらと手を振る。この人はいつもこうだ。綾斗のことを「菩薩くん」と渾名で読んでくる。こういうノリの軽さも元ギャルと言われる所以だ。


「水野です。虫歯予防デーのアンケートを提出しに来ました」


 しれっと訂正してから、アンケート用紙を渡す。当たり障りない笑顔を浮かべるのも忘れてはいなかった。


「んー、ありがとう。全員分集められた?」

「はい」

「え!? マジ!? 凄くない?」

「別に凄くないですよ」

「いや、凄いよ。全員分集められなかったクラスも結構多いよ? アンケート用紙を失くした生徒も何人かいるみたいだし」


 アンケート用紙を失くす人が一定数いることは、綾斗も想定済みだ。だから対策をしている。


「何部か余分に印刷しておいたので、失くした人にはその場で新しい用紙を渡して書いてもらいました」

「うっわ! 神! いや、菩薩様」

「だから水野です」


 わざとらしく拝む間宮先生に、笑顔を保ったまま訂正した。ノリが軽すぎてクラスメイトと話しているような気分だ。


「君は真面目だねぇ。隙がないというか」

「そんなことはないですよ」


 真面目なんて言葉は、生まれてこのかた何百回もかけられてきたけど、きちんと訂正をしておいた。すると、間宮先生は頬杖をつきながらニマニマと笑う。


「でもさ、そーんな真面目な優等生も、ちゃーんとやることはやってるんだね~」

「何のことです?」


 そんな反応をされるとは思わなかった。驚きつつも冷静に尋ねると、間宮先生はさらに面白そうにニマニマ笑った。


「とぼけないでよ。この前、階段で彼女と抱き合ってたじゃん。いけないね~、学校でイチャイチャするなんて」


 間宮先生から具体的な話が出てきたところで、事の重大性に気付いた。羽菜とハグをしている瞬間を見られていたんだ。


 ハグとものことは二人だけの秘密だから、本当のことを話すわけにはいかない。綾斗は冷静を装いながら否定した。


「抱き合っていたわけではありませんよ。階段でよろけたところを抱き止めただけです」


「いーや、違うね。十秒近くは抱き合っていたもん。あれは事故じゃない」


 間宮先生は腕を組みながら何度も頷いていた。チラッと目撃したわけではなく、一部始終を見られていたらしい。こうなれば事故だと言い逃れすることはできない。


「別に隠さなくても良いんだよ? 高校生なんて異性に興味を持つ年頃なんだし、彼女とイチャイチャするのなんて普通じゃん」

「別に彼女というわけじゃ……」

「え!? 彼女じゃないの?」


 綾斗の言葉で、間宮先生はにやけ顔を引っ込めて目を丸くする。


「彼女じゃなかったら、どういう関係なの?」

「ただの友達です」


 嘘をついているわけではない。だけど友達と言ったことで、更なる混乱を招いてしまったようだ。


「彼女でもない女子と抱き合う……。えぇ……もしかして菩薩くんって案外チャラい子だったりする?」


 とんでもない誤解をされてしまった。この文脈で、羽菜のことを友達と宣言したのがマズかった。間宮先生は考え込むように腕組みをする。


「いやー、まさか真面目な優等生にそんな一面があったとはねー」


 頭が痛くなってきた。このとんでもない誤解をどうやって解けばいいんだ?


「まあ、生徒の恋愛事情にとやかく言うつもりはないから安心して」


 ひとまず咎められることはなさそうだ。これ以上、余計な詮索をされないようにさっさと立ち去ることにした。


「失礼しました」

「んー、恋愛相談ならいつでも乗るよん」

「結構です」


 綾斗は清々しい笑顔を返してから、保健室を出た。扉を閉めてから、深く溜息をつく。


「最悪だ……」


 よりにもよって面倒くさい人にバレてしまった。これでは先が思いやられる。


 重い気持ちのまま教室に戻ると、思いがけない光景を目撃した。羽菜とみやびが机を並べて一緒にお弁当を食べていた。そこで今朝のやりとりを思い出す。


『うちはうちの意思で、白鳥さんと友達になる』


 雅は宣言通り、羽菜と友達になろうとしているのかもしれない。彼女の行動力には感心させられた。


 教室の入り口で呆然としていると、雅と目が合う。驚いていると、雅はぱちんとウインクをした。


 そこで綾斗は確信した。やっぱり相良雅は、“分かっている”女子だ。

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