第24話 図書館デート

「水野くん、楽しそうやなぁ」


 帰りのホームルームが終わった後、隣の席に座る相良さがらみやびがニマニマしながら話しかけてきた。指摘されたことで、綾斗は表情を引き締めてお得意の作り笑顔を浮かべる。


「そうかな? いつも通りだと思うけど」

「いつもより表情が柔らかく見える」

「気のせいだよ」

「ふーん」


 いまいち納得していないようだ。綾斗は、敵わないなと苦笑していた。


 京都から転校してきた相良雅はクラス一の美少女と言われているが、彼女がただの可愛いだけの女子ではないことを綾斗は知っている。


 彼女は人のことをよく見ているし、些細な変化にもすぐに気付く。観察眼に優れているのだろう。雅からすれば、綾斗の変化なんてお見通しなのかもしれない。


 とはいえ、雅に羽菜との関係を明かすつもりはない。笑顔を取り繕っていると、雅の彼氏である藤間ふじま千颯ちはやが駆け寄ってきた。


「雅ー、帰ろー!」


 明るい声で名前を呼びながら飛んできた千颯は、机の前までやって来るときゅっと急停止する。満面の笑みを浮かべる千颯を見て、雅の表情が僅かに緩んだことに気付いた。


「うん。帰ろかぁ」


 雅はスクールバックを肩にかけて立ち上がる。なんてことない、仲睦まじい彼氏彼女の日常だ。だけど彼らの関係は、どうにも一筋縄ではいかない。


「わっ!」


 背後からソローッと忍び寄り、千颯の肩に両手を置く人物が現れる。突然触れられたことで、千颯は「うわあっ!」と飛び跳ねながら驚いていた。


 そんなに良いリアクションをするから、みんなに弄られるんだろうなぁ、と思いながら綾斗は苦笑した。


 背後から現れたのは、クラスメイトの木崎きさき愛未あいみだ。愛未は千颯に甘えるように、肩に顎を置いた。


「千颯くん、私も一緒に帰っていい?」

「ええ!? う、うん。もちろん!」


 あ、許可するんだー……。口には出さなかったが、綾斗は密かに驚いていた。


 雅に視線を向けるも、特段怒っている様子はない。ニコニコ笑っているばかりだ。彼氏が目の前で誘惑されている反応には思えなかった。


「ほななぁ、水野くん」

「じゃあな、水野」

「ばいばーい」


 綾斗に声をかけると、三人は仲良く教室を出て行く。その後ろ姿を眺めながら、綾斗は首を傾げた。


「合法ハーレム?」

「なんですか、それ?」


 うっかり口に出してしまったところを、運悪く羽菜に聞かれてしまった。綾斗は笑顔を取り繕いながら誤魔化す。


「なんでもないよ。それより行こうか」

「……はい」


 羽菜は不思議そうにしながらも、それ以上追及してくることはなかった。


*・*・*


 学校を出てから、綾斗と羽菜は電車に乗り、羽菜の家の最寄り駅で降りた。羽菜の通っている図書館は、駅からは徒歩5分。二人はのんびり図書館までの道のりを歩いた。


 本格的な夏到来はこれからだというのに、太陽は夏と変わらないエネルギーで照り付けている。外を歩いていると、じんわり汗が滲んできた。夏はもうすぐそこまで来ているらしい。


「そういえば、もうすぐ宿泊学習ですね」


 羽菜から話題を振られて思い出した。夏休み前には宿泊学習がある。山の麓にある宿泊施設に滞在し、山歩きをしたり野外炊飯をしたりするイベントだ。


 楽しみにしている生徒は多いが、綾斗はほんの少し憂鬱だった。普段の学校生活でさえ常に気を張って過ごしているのに、二十四時間気を張っていないといけないと考えると気が重い。


 だけど、そんな風に後ろ向きな考えは、大ぴらには言えない。空気を悪くするだけだから。


「そうだね。楽しみだね」


 思ってもいないことを口にすると、羽菜はじーっと綾斗の顔を見つめた。


「本当にそう思ってますか?」


 図星を突かれた。上手く取り繕ったつもりだったけど、羽菜にはお見通しだったようだ。諦めて素直に白状することにした。


「本当は、ちょっと面倒くさいって思っている」


「その気持ちは分かります。当日もそうですが、班決めとか部屋割りとかも面倒くさいですよね」


「うん。分かる」


 誰と誰が同じ班になって、誰かがあぶれて……なんていうやりとりは、教室内がギスギスする。その空気に触れているだけで、重苦しい気分になるのは容易に想像できる。


 そんな中、ふと羽菜のクラスでの立ち位置を思い出す。そういえば羽菜は、いつも教室の隅っこで本を読んでいる。まだクラスに馴染めていないようだった。


 悪意を持ってハブかれているわけではない。何となく近寄りがたいのだ。


 その理由は、真面目だからとか隙がないからとか感情表現が乏しいからとか、さまざまな要因がある。


 親しくなればそんな一面も可愛らしく思えるけど、初めて声をかけるのは少し勇気がいる。もしも羽菜からハグともの申し出をされなかったら、綾斗も声をかけることはなかっただろう。


 ふと、羽菜が班決めであぶれてしまう展開を想像してしまう。周りがわいわいがやがやはしゃいでいる中で、ぽつんと席についている様子を思い浮かべると、いたたまれない気持ちになった。


 どうにか円満に班決めをしたい。部屋割りのことも考慮すると、女子グループの協力がいるだろう。


 羽菜を快く輪に入れてくれる女子はいないか考えていると、ある人物を思い出した。


「どうしました?」


 黙って考え込んでいたところで、羽菜に声をかけられる。そこで考えるのを一時中断した。


「ううん、何でもないよ」


 またしても綾斗は笑って誤魔化した。


*・*・*


 図書館の自動ドアを潜ると、ひんやりとしたエアコンの空気に晒される。暑い外からやって来ると天国だった。


 図書館の匂いは、結構好きだ。インクと埃の混ざったような匂いは、不思議と心が落ち着いた。


 羽菜はスクールバッグからハードカバーの本を取り出すと、カウンターで返却の手続きを済ませる。綾斗は後ろから何の本を借りているのかこっそり覗いてみた。


 羽菜が借りていたのは、合唱部を舞台にした青春小説だ。綾斗自身は読んだことがなかったけど、タイトルは知っている。


 返却手続きを終えると、羽菜はくるっと振り返り、こちらを見上げた。


「綾斗くんも本を借りますか?」

「うん。そうしようかな」


 ここで借りないと答えたら図書館デートが終わってしまいそうだったから、借りることにした。


 ハードカバーの小説が並んでいる棚に向かう。作家名であいうえお順になっている棚を眺めていると、羽菜は声を潜めながら尋ねてきた。


「綾斗くんは、どんな本が好きなんですか?」

「そうだねー……」


 脳内で作家検索をしながら棚を眺めていると、目の前によく知った名前が現れた。


「この作家の作品はよく読んでいるかな」


 綾斗があげたのは、とあるミステリー作家だ。緻密な心理描写が特徴的で、犯人であっても事件の犯行動機に思わず納得してしまう。この作家の小説は、何作も読んだことがあった。


 綾斗の言葉に、羽菜は納得したように頷く。


「綾斗くんがミステリー好きなのは、分かるような気がします」

「本当?」

「はい。きっとこの作家さんのお話に出て来る人達のように、綾斗くんも人一倍あれこれ考えているのでしょうね」


 さらっと言い当てられて驚く。恐らく羽菜は、この作家の本を読んだことがあり、その上で綾斗との共通点を言い当てたのだろう。羽菜の前で好きな本の話をしたら、心を丸裸にされそうな気がした。


「そういう羽菜ちゃんは、どんな本が好きなの?」

「そうですねー……」


 話を振ると羽菜は人差し指を立てながら、本棚の前で目的の本を探していた。


「この作家さんの本は、結構好きですね」


 羽菜があげたのは、部活や職場を舞台にした作品を多く出しているエンタメ作家だ。先ほど返却していた本も、この作家が書いたものだ。


 正直、意外だった。理論整然と話す様子から、SFやミステリーを好むようなタイプに見えたから。驚いていると、羽菜は言葉を続ける。


「私は、本を通して知らない世界を知るのが好きなんです。自分の経験したことのないスポーツや、この先も経験することのないであろう職業に触れることで、自分の世界が広がっていくような気がするので」


 その言葉を聞いて納得した。羽菜は本好きというだけでなく、知的好奇心の塊なのだろう。そんな姿に、ますます惹かれている自分がいた。


「ちなみにさ、こういうジャンルの本はあんまり読まないの? 女子の間では人気みたいだけど」


 綾斗は本棚から一冊の本を取り出す。羽菜に見せたのは、十代に人気の恋愛小説だった。綾斗の手元から表紙を覗き込んだ羽菜は、困ったように眉を下げる。


「恋愛小説は、あまり読みませんね」

「どうして?」


 何気なく尋ねると、羽菜は視線を落としながら呟いた。


「恋愛は、難しいので……」


 その言葉も納得できる。羽菜は、恋愛とは無縁の場所にいるような気がしたから。羽菜は澄んだ瞳で綾斗を見つめる。


「だから綾斗くんとは、お友達のままでいられたらと思っています」


 その一言で、舞い上がっていた心が静かに死んでいくのを感じた。

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