第6話 してほしいんですか?

 カラオケからの帰りに、駅で羽菜はなを見かけた。羽菜は乗車口の一番後ろの列に並びながら、ハードカバーの本を読んでいる。


 その姿を見て、無意識にホッとしている自分がいた。


 声をかけるか、かけまいか悩む。一応友達だから声をかけても嫌な顔はされないだろうけど、読書の邪魔をしてしまうかもしれない。


 あれこれ考えていると、羽菜がこちらに視線を向けた。羽菜は真顔のまま、小さく手を振る。その反応を見て、声をかけてもいいと判断した。


「いま帰りなんだ。部活でもしてたの?」


「いえ。自習室で勉強してました」


「さすが優等生」


綾斗あやとくんは……なんだか疲れた顔をしていますね」


 図星をつかれて焦った。いつも通りに振舞っていたはずなのに。もしかしたら顔色から疲れが滲み出ていたのかもしれない。


 羽菜はパタンと本を閉じると、綾斗の顔を覗き込んだ。


「なにかあったんですか?」


「ちょっと友達とカラオケに行っていただけだよ」


「楽しくなかったんですか?」


 あまりに直球で尋ねてくるもんだから驚いた。もっとこう、オブラートに包んだ聞き方があるだろう。


 回りくどい言い方をしないのも、羽菜の個性なのかもしれない。変に取り繕わない羽菜を見ていると、自分だけ取り繕っているのが馬鹿らしく思えてきた。


 だから綾斗も思わず直球で返してしまった。


「楽しいというよりは疲れた。人と合わせるのは疲れるね……」


 こんな風に自分の意思で本音を伝えたのは久しぶりだ。いつもは心に浮かんだ感情を一度精査して、言葉にしていたからだ。変な奴だと思われず、人を不快にさせないための処世術が、いつの間にか標準装備になっていた。


 だけど、羽菜の前では本音を晒せた。ハグをしたことで、いつの間にか羽菜に心を開いていたのかもしれない。


 ハグのことを思い出すと、あの感触も蘇ってくる。気付いた頃には羽菜のぬくもりが恋しくなっていた。


 羽菜にハグされたい。そうすれば、全身に圧し掛かるような疲れも吹っ飛ぶような気がした。


「ハグ、したい……」


 心の声が漏れる。次の瞬間、自分がとんでもないことを口走っているのに気が付いた。


「ごめん! なんでもない!」


 綾斗は即座に否定する。羽菜は目を丸くしながら綾斗を見つめていた。


「してほしいんですか?」


 こくりと首を傾げる。綾斗の欲求を引き出すような聞き方だった。


「ちょっと疲れていたから、ほんの一瞬そう思っただけだよ。こんな外じゃ駄目だよね。人目があるから、ルールに反するし」


 羽菜の自尊心を傷つけないように注意しながら、先ほどの失言をなかったことにする。だけど結果的に、自分からハグを求めていたことを認めたような言い方になってしまった。


 羽菜はチラチラと周囲を気にしている。それから淡々とした口調で呟いた。


「ここでは駄目です」


「そうだよね」


「でも、ここじゃなければいいですよ」


 次の瞬間、羽菜は綾斗の手首を掴んだ。


「こっちに来てください」


 羽菜に手を引っ張られ、ホームの端に連れて行かれる。端に向かうにつれて、人が少しずつ減っていった。


 ホームの一番端まで辿り着くと、人はほとんどいない。すると羽菜は自動販売機の横を指さした。


「ここならいいです」


 自動販売機の横は、いい具合に物影になっていた。人目に付かないという条件はクリアしている。


 自動販売機の横に移動すると、羽菜は両手を広げた。


「どうぞ」


「本当にいいの?」


「構いません。早くしないと人が来てしまいますよ?」


 羽菜に急かされながら、綾斗は近付く。目の前までやってくると、ふわりと背中に華奢な腕を回された。綾斗は羽菜にハグされていた。


 密着している部分からぬくもりが伝わってくる。羽菜のぬくもりに包まれているだけで、重々しく圧し掛かっていた疲れがすーっと消えていった。


 羽菜の言っていたことは本当だ。ハグにはストレス解消効果があるらしい。先ほどクラスメイトに感じていたモヤモヤも、どうでもよくなっていた。


 それにしても、1日に2回もハグをするなんて、ふしだらなのかもしれない。相手はただのクラスメイトだ。恋人というわけではない。


 こんなふしだらなことを続けていたら、頭がバグってさらに過激な欲求をぶつけてしまいそうだ。


 だけどそんなことは許されない。ハグ以上の行為は禁止されているからだ。羽菜とできることは、ハグをしてお互いの体温や感触を確かめ合うことだけ。


 今回のハグは、前回よりもちょっと長い。綾斗から中断していないことも影響しているのかもしれない。羽菜は綾斗の胸元でじっと身を寄せていた。


「……もう、いいでしょうか?」


 羽菜は身体を密着させながら、上目遣いで尋ねる。グレーの瞳はほんのり潤んでいて、頬はほのかに赤く染まっていた。


「うん」


 綾斗が頷くと、羽菜は背中に回した腕を解いた。恥ずかしそうに少し俯いた後、もう一度綾斗と視線を合わせた。


「元気、出ましたか?」


「うん、出たよ。ありがとう」


「どういたしまして」


 若干の照れくさい雰囲気が二人の間に流れる。すると、ホームに電車がやってくるメロディーが流れた。


「帰りましょうか」


「そうだね」


◇◇◇


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作品ページ

https://kakuyomu.jp/works/16817330662880922417

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