種飽かし
志央生
種飽かし
嘘だと言って欲しかった。受け止めきれないことほど時と場合を考えない。それが自分の身に降りかかればなおさら焦りが生まれるものだ。
「ねぇ、私できちゃったみたい」
何気ない会話の流れだったと思う。唐突に彼女が口にして最初は気づかなかった。言葉を意味として理解できたのは数秒ほど遅れてで、愛おしそうに変化のないお腹を摩る姿を見てだった。
「本当なのか」
確かめるように聞く私に満面の笑みで頷いて産婦人科の検査結果を机に出され、妊娠の周期を指さされた。日数的に自分との行為があった月と合致している。
しかし、それは月があっているだけで私の遺伝子を含んだ受精卵であるかは不確定とも言えた。そのことを正直に言っても素直に話を聞くわけもない。ならば、遠くから攻める事にしよう。
「そうか、それは良かった。ただ、お互いに年齢がいっているから産前の遺伝子検査を受けるのはどうだろう。事前に障害の有無や病気について知ることができれば、最悪は今回は流してしまってもいいだろうし」
彼女の手をとり優しく上から包み込む。そのうえでなるべく優しい言葉を選んで口にする。重要なのは子供を諦めさせること。検査で異常が見つかれば彼女も諦めるだろう。そのためなら、今回がダメでも次があると思わせることが大事になる。
私は柔らかく微笑みダメ押しに「大丈夫さ」と根拠のない言葉を振りかけた。黙ったままで聞いていた彼女の肩が震えるのを見て、話し合いは決したと思った。
「ダメよ、何があってもこの子は堕ろさないわ。たとえ検査して異常があっても育てるの、大丈夫よ私もあなたもいるもの」
思わぬ方向で説得が失敗したのだと理解させられた。彼女はこれが最後のチャンスととえているのかもしれない。こうなると女は面倒だ。是が非でも責任を求めてすがってくる。私はまだ自分の種かを怪しんでいるのに、この女は信じてやまないようだ。
「いやいや、検査して事前にわかったうえで育てるのは君が想像しているよりもきっと大変だ。それを今の君が正常に理解できていない。一旦冷静になってから先のことは決めよう」
彼女の両肩に手を置いて落ち着くように呼びかける。チラリとみた腕時計が時間の余裕を教えてくれた。
「君が落ち着いて先々のことを考えられたら、また連絡してくれ。今晩はもう帰るから」
そう言いながら彼女を椅子に座らせて、手近にあった自分の荷物を持つ。彼女は「いや、まだ」と続かない言葉を吐いていたが無視して玄関に向かう。靴べらすら使う気になれず適当に革靴に足を通して玄関ドアに手をかける。
「じゃあ、さよなら」
最後にそう声をかけて重たいドアを開けて外に出た。振り返ることもなく歩き出して一つ軽くなった肩を回す。後ろで外と隔絶するようにドアが閉まる音が響いた。
種飽かし 志央生 @n-shion
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます