第8話 放課後のハンバーガーショップ
女子高生ばかりだった。耳をつんざく高音の笑い声が、プラスチックな店内に響いていた。紙コップに入れられたコーヒーを手にしたまま、僕は困りだした。丸山さんと話したかったから、ここにしたのに、これでちゃんと話せるのかな……。
学校近くのマクドがこうなる時間帯だというのは知っていた。近くにある女子高のだべり場であり、もう少し時間が遅くなると、僕がいた高校の生徒が入り込んでくる。
店の中を見渡す。席、あるのかな……。あ、あった。あわてて向かう。そこは2人が向い合わせで話せるだけの小さな席だった。机にピッタリくっつけられた低い壁がある。その上に置かれた偽物の観葉植物には、うっすら埃が積もっていた。
温かいコーヒーを両手で抱えたまま、僕はあたりの声に耳を傾けていた。
専門用語でずっと男性アイドルの話しをしてる。
VTuberの動画をみんなでのぞき込んで笑っている。
だるそうに何か楽しいことを探している。
隣の席の女子高生が、向かいの席にいる子へつまらなさそうにたずねた。
「もうすぐ春休みだけど、どうする?」
そうだね。もう3月だし。僕には関係なくなったけど……。
僕は高校を辞めた。
結局、姉さんの負担になるのなら、辞めるしかなかった。
説得には松浦さんの助けを借りた。たいへんだった。姉さんは行けなくなった高校に未練があり、僕にそんな後悔をさせたくないと何度も言っていた。でも、これは自分の決めたことだ。後悔なんてない。
でも……。
僕は、僕にはなれなかった隣の女子高生が、少しだけうらやましかった。
少しだけ、だけど……。
「よっ、ふっちー」
着崩した制服姿のいかにもギャルな丸山さんが、僕の前に立っていた。
「ごめん、呼び出しちゃって」
「いいって。川上のときは助かったし」
向かいの席に座ると、丸山さんは不機嫌な気持ちをそのまま僕にぶつける。
「で、なんで、辞めたん? 学校のことでなんかあんなら、言ってくれたら私がなんとでも……」
「家庭の事情、なんだ」
「何それ」
「姉さんから離れて、いま別の人の家で暮らしている」
「ああ、それで」
丸山さんは僕の姿をちろちろと見る。まだ肌寒いからグレーの薄いニットに、春色のカーディガンを重ねていた。スカートはふわりとした春らしいロングスカートにしてみた。
品定めが終わったのか、丸山さんは僕を見ながらにんまりとする。
「似合ってんじゃん。最初に会ったときより落ち着いてる。なんか、毒気が抜けた感じ」
「毒気って」
「でで。今日呼び出した相談って何? 学校のことじゃないんでしょ?」
「そうなんだ。どうしたらよくわからなくて。聞いてもらえる?」
「うんうん。この頼れるお姉さんに聞かしてみ?」
僕は姉さんと別れてからの話をした。家を出たこと、松浦さんのところへ逃げたこと、いまは松浦さんちで暮らしていること……。そして気持ちが揺れていることも。
姉さんに言われてから、松浦さんを困らしたいから、ご飯が食べたいから……、僕にとって女装はそういうものだった。
でも、いまは……。
何のために女の子の格好をしているのか、わからない。
僕はどうしたらいいのだろう。
悩んでいたら「他の人に聞いてごらん」と松浦さんに言われた。自分でわからないものは他人に聞くしかないらしい。だから、僕は……。
「それって、恋バナ?」
丸山さんが目を細めながら、ふふんと笑いかける。
僕はそれを否定したかった。それを認めたら、迷惑がかかるから……。
「ふっちー、また逃げてる」
「違うよ、僕はただ……」
「だって、どう考えても、その松浦というのとラブじゃん」
「わかんないんだよ……」
「キスしたいとか、ヤリタイとか、そういう感情はあるの?」
「わかんな……くもない」
僕はスカートの裾をぎゅっと握る。
「うはー。これは応援がいるわ。玉っちも呼んでいい? 恋バナは数多いほうがいいよ」
「ちょ、ちょっと!」
スマホを手にした丸山さんが電話しようとするのを、僕は必死に止める。恥ずかしすぎる。だから丸山さんだけに聞いてみようと思ったのに、これじゃ……。
でも、無情に画面は押される。
「あ、あれ」
着信音がそばで聞こえた。丸山さんが立ち上がる。
「玉っち、いた! ……あ」
あちゃーという顔を丸山さんがしていた。僕も立ち上がる。低い壁の向こうに、玉川さんと川上が座っていた。
「玉っち、今日は親戚の子と買い物行くとか言ってなかったっけ?」
「もー! まるー!」
「ごめんごめん。デートの邪魔して悪かったって」
「ち、ちが……くはないけど」
顔を真っ赤にして玉川さんは目をそらす。川上はうつむいて、テーブルをじっと見ている。
「でさ、そっち行っていい?」
「えー、なんでよー」
「そっち、4人座れるし」
「だから、なんでって!」
「恋バナしたいんだよ」
「誰の?」
「ふっちーの」
玉川さんと川上が、とっさに僕へ振り向く。
僕はあいまいな顔をして笑うしかなかった。
◆◇◆
それから1時間ほど4人で話していた。結論はまったく出なかった。
途中でポテトとコーラが買い足され、丸山さんと玉川さんは、それが恋なんだと、さまざまな事例付きで僕を説得していた。川上はひとりそんな様子を困ったように眺めていた。
しなびたポテトをひとつ取り、丸山さんはため息をつく。
「どうしたらふっちーは自信がつくのかな……」
「だって変だよ……」
「何が。どこが。どのへんが? こんなにかわいいのに」
「でもさ……」
「ああもう、めんどっちー! いいかげん、中身が女だとわかれよ」
ふてくされて丸山さんは、ポテトを口にくわえたまま、机に突っ伏す。
そんなことを言われても困る。それを認めたくない。だって……。
「川上はどう? 思うこと、言ったれ!」
そう言われて、川上は少しあいまいな目を僕に向ける。
「まあ、なんというか……」
「ほら、がつんと!」
「性別とかどっちでもいいと思うけどさ。どっちかに寄って気持ちが楽なら、それでいいんじゃないかな……」
丸山さんが起き上がる。ひきゃーという感じで、川上を褒め称える。
「いいぞ、良く言った! さすが、玉っちに惚れられたイケメン! ふっちーにキスしかけた男!」
川上がかわいそうに思った。顔を真っ青にしてあわてていた。玉川さんのほうに振り向いて、必死に弁明しだす。
それにしてもいつ丸山さんに話したのか……。こうなるとは思わなかったのか……。
玉川さんはストローでコーラを飲みながら、すまして言う。
「私、心広いから、別にいいよー」
ごぶごぶという音を立ててコーラを飲み切ると、玉川さんは僕に向かって話しかけた。
「ねえ。このことを書いとくのはどう?」
「書く? 何に?」
「最近、体験談とか私小説っていうの? あれ読むのハマっててさー。ネット小説っていろいろあって楽しいんだよね。えぐいのも多いしー」
「そんなの書けないよ……」
僕がとまどっていると、丸山さんが腕組みしながら匠のように言う。
「なら、『女装めし』ってタイトルはどうだ?」
玉川さんは「いいねっ」と親指を立てながら笑う。
みんな勝手に……。
川上に助けを求めようとしたら、入り口のあたりを指さしていた。
「ヤバヤバ、激ヤバ」
その先には、紺色のカーディガンを制服の上に羽織った委員長がいた。そして隣にはスーツ姿の男がいた。
丸山さんは、まるでやんちゃな悪役のように、声を上げた。
「よお、委員長。男連れかい?」
何かを察したのか、男はそそくさと逃げ出した。
委員長はそれを振り返りもせず、薄く笑いながら僕たちのそばに来た。
「やっぱり、ここに来るんじゃなかった。あれの言うことを聞いたのが間違いだったわね」
「ずいぶん若いお父さんだったな。『お父さんに会いに行く』ってそういうことかよ」
「本当の父親のときもあるわ」
「ひでえな」
「校則を何度も破って叱られているあなたに言われたくないわ」
「なら校則に死ねって書いてあったら、死ぬのかよ!」
椅子に座ったままの丸山さんと、それを見下すように見ている委員長。ヒリヒリとした空気が流れ出す。
そこに割り込むように、玉川さんがスマホの画面をえいっと委員長に見せつけた。
「写真撮ったから!」
その手は少し震えていた。それでも玉川さんは委員長にきっぱりと告げる。
「あなたも本音と建前がだいぶ違うんじゃないんですか?」
「それがどうしたと言うの?」
「みんな違うんです、外と中じゃ……。誰も中は見ることができない。それでもお互い歩み寄ることはできるんです」
委員長がふっと息を吐きだし、あきらめたように言う。
「いいわ。私が歩み寄ります。玉川さん、それでいいかしら?」
「はい。もう、まるにかまわないでください」
「ええ、いいわ」
「なら、この写真はいま消します。でも」
「でも?」
「意見が聞きたいんです。今日の渕崎さん、どうですか?」
委員長が僕を見て笑った。
「かわいいわ」
びっくりした。こんな僕を嫌っているものだと思ってた。
「お互い良い恋愛をしましょう」
そう言うと委員長は後ろを向いて去っていった。
はじかれたように丸山さんが僕の肩に腕を回す。
「ポテト大盛りつけるから付き合え! おまえの恋が実るようにお祝いだ」
「わからないって言ってるでしょ? 本当にこれは恋なの?」
「ばか、当たり前じゃん」
丸山さんが僕の頬を指先でつつく。
「ふっちーはずっと言ってんだよ。これはおいしいご飯を食べて、誰かに食べられるまでの恋バナだって」
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次話は9/7 20時ごろに公開! お楽しみにっ!
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