第4話 上野のスイーツビュッフェ


 お布団の要塞に僕は立てこもっていた。

 うすい掛け布団は僕の城壁。

 枕はいつでも敵に向けて発射可能。

 食事も取らず、寝ているふりをして、あるゆる人々の侵入を防いでいる。


 そんな僕を、姉さんはそっとしておいてくれた。


 頭の中がずっとぐるぐるとしていた。

 委員長から投げつけられた言葉が何度も泥流になって襲いかかっている。


 ――将来、とても困ることになるわ。


 いま困ってる。


 ――それはもう女の子とは違う。


 自分でよくわかってる。僕は女の子にはなれない。


 ――みんな勉強したり友達作って、いろんなことを経験している。


 それが普通なんだろう。でも、僕は普通はなれない。


 ――それはいましかできないことだから。


 いましかできないことが……女の子の恰好をすることなんだ。


 ……ああ、もう。


 そうやって1週間が過ぎた。

 お布団の中にいるのもそろそろ飽きた。

 抜け出してこっそり夜食のおにぎりを作っていたら、ちょうど帰ってきた姉さんに抱き締められた。


 「夏稀、大丈夫? 平気なの? 心配したんだからね」

 「ごめんなさい」

 「松浦さんから聞いてたよ。同じクラスの子に会ったんだって?」

 「うん……」

 「気にしないでいいからね。学校には、行きたくなったときに、行けばいいんだから」


 むぎゅっとされる。お酒の匂いと姉さんの甘い匂いがした。

 僕は「苦しい」と嘘をついて、姉さんの腕から逃げ出した。


 「姉さん、他に何か聞いてる?」

 「ううん、何も。どうかした?」


 僕が女の子の格好になっていたことを、松浦さんは姉さんに知らせなかったようだった。どうせまた「君のかわいい姿を教えるのはちょっとくやしいからな」とか、いじわるなことを思っていたに違いない。

 でも、少し嬉しかった。

 少しだけ……。


◆◇◆


 やけ食いがしたい。

 むすっとしながら、真夜中にそう思っていた。


 女装してご飯食べてる暇があったら学校へ来い。

 委員長が言ってたのはもっともだ。正しい話だ。

 でも。

 なんでそんなことを言われなくちゃいけないんだよ。


 むう。

 むしゃくしゃする。


 腹が立つと、おなかが減る。

 おいしいものをたくさん食べないと、気持ちが収まらない。これはあるべき自然の姿……だけど、お店で何皿も料理を頼むのはいかがなものか……。

 だって恥ずかしいし。

 ここはあまり目立たず、こっそりと大食いをしたい。


 うーん。

 いい方法はないかな……。


 そういえば松浦さんが言ってたっけ。ホテルの朝食がビュッフェスタイルになってて、いろいろ取ってたら食べ過ぎたって。それかな……。布団をかぶり、真っ暗ななか、スマホで検索する。ホテルのスイーツ食べ放題、自然食系ビュッフェレストラン……。あ、流行ってるんだ。たくさんある料理をちょっとずつ取り、好きなものを何でもたくさん食べられる仕組み。それは女性に人気がある。欲張りさんなんだよ、女の子は。ふふ。まあ、僕は男だけどね……。


 よし、決めた。

 やはり、ここは行かねばなるまい。


 スイーツビュッフェに!


◆◇◆


 上野にやってきた。見上げるは白いファッションビル。その最上階に目的地はある。そこはケーキを中心としたビュッフェスタイルのお店で、お客さんは学生や若い女性が多く、男性がひとりで最も入りにくい食べ物屋さんとされているらしい。女装しながらご飯食べてるような僕には、なおのこと難しい。

 でも、気にしなかった。怒ってたから。


 洋服は秋色のワンピースに萌黄色のカーディガンを羽織っている。これなら大丈夫。松浦さんが「おっ、かわいいな」と言ってくれてたし。たぶん……。僕はぎゅっと服の裾を握る。


 エスカレータでどんどんあがっていく。ここは、東の109と呼ばれているだけあって、それぞれのフロアには、女の子向けの洋服やアクセサリーがたくさん売られている。あ、あのワンピースかわいい、ゴスロリっぽいのもかわいい、きぐるみっぽい、これもかわいい! フロアが変わるたびにかわいいもので頭の中がいっぱいになったけれど、怒りの炎はまだしっかりと心の中で燃えていた。


 最上階。

 ついに来ちゃったぞ……。


 ちらっと店内を除くと、時間帯のせいもあるのか、お姉さんたちや制服を着た女子高生しかいなかった。キャハハとした笑い声が聞こえてる。少しだけ気後れする。ダメだ、行かなきゃ。お店に入ろうとしたら、券売機でチケットを買えと張り紙があった。その通りにしたら、「あと1時間30分」と書かれたレシートが出てきた。いいじゃないか。時間いっぱい暴れちゃる。


 店の中に入ると、にこにこしたお店のお姉さんが通路側の席に案内してくれた。


 「当店のシステムについては、わかりますでしょうか?」


 僕はよくわからないままうなづいた。あまり声を出したくなかったから。


 「それではお時間までお楽しみください」


 お姉さんがレシートを見えるところに置いていく。


 さあ、ここからは戦いだ。

 僕は席に座りながら考える。何をどう攻めるのか。どうすればこのお店を味わい尽くせるのか……。うーむむ。


 ま、いいか。

 むずかしく考えずに。


 ケーキだよ、ケーキ。

 わあーい。


 早速ケーキが置いてあるショーケースへ向かう。


 パァァァァ。

 ケーキの天国がそこにあった。


 たくさんのケーキ。いろいろなケーキ。おいしそうなケーキ。ショートケーキ、チョコケーキ、チーズケーキ、イチゴのスフレ、桃のタルト、マスカットのミルフィーユ、フランボワーズのムース、ミニシュークリーム……、などなどなど。


 みんなおいしそう。

 たぶん僕、瞳がハートになってる。

 とりあえずちょっとずつ……、いやおいしいそうなのから……。


 チリリリン。

 鈴の音がした。


 「季節限定のココナッツバナナタルトができましたー」


 お店の人が声を上げていた。空いたところに新しいスイーツを補充していく。

 そこに群がってくるライバルたち。

 瞬く間に消えていくココナッツバナナタルト。

 ああん、おいしそうだったのに……。


 負けていられない。

 ちゃんとたくさん食べなきゃ。


 はちみつレモンババロアとチーズケーキ、ショートケーキ、と目についておいしそうなものをお皿に取る。紅茶もいっしょにドリンクバーからもらってきた。


 さあ、宴の準備は整った。

 いざっ。

 あむっ。


 あむあむ、むはむは。


 あまーい!

 おいしいーっ!


 はちみつレモンババロアは、レモンの香りが効いてて、すっきりさっぱりして、まったりとおいしい。

 チーズケーキはチーズ濃いめな感じで香ばしく、これもまたおいしい。レアチーズケーキより、こんなベイクドチーズケーキのほうが僕は好きだな……。

 ショートケーキは、いちごの甘酸っぱさ、そしてクリームの甘さ、スポンジの触感、まさに三味一体。いつでも誰でも満足するケーキオブケーキ。ここのはクリームが軽めで、たくさん食べられそう。


 あ、また、チリリリンという音が聞こえた。

 次はラズベリーのタルトらしい。

 いいな……。次から次へと、いろんなケーキが出てくる。これこそ、パラダイス!


 そんなふうに思っていたら。


 んぷ……。

 口が甘々になってつらい。

 こんなはずでは……。

 おしるこに柴漬けや塩こぶをつけてくれるお店があったけれど、ああいうのが欲しい。切実に……。


 チリリリン。

 「パスタが茹で上がりました!」


 ん!

 パスタがある!

 頭の中でふくよかなイタリアおばさんから「パスタをお食べよ!」って言われた気がする!


 でも、さっき見たショーケースには、パスタはなかったような……。どこにあるんだろう?

 もう一度ケーキが置いてある辺りを探してみると、「パスタのご注文はスタッフにお声かけください」と張り紙に書かれた。


 声を出すのか……。

 ちょっと嫌……。

 でも……。


 お店のお姉さんが気づいて、僕に近づいてくる。

 仕方ない。うん、やけ食いのためだ。

 僕は勇気を出して言葉を出す。


 「これ……」


 バレないかな……。ちらっとお姉さんを見る。


 「クリームサーモンパスタですね。茹で上がりましたら声をおかけしますので、お席でお待ちください」


 にっこりとお姉さんは笑ってた。


 変に思われていないかな……。

 席に戻りながら、またワンピースの裾を握る。


 ほどなくして「パスタができました」と呼ばれた。お姉さんから受け取ると席まで持ってく。いい香りがする。お盆をテーブルに置き、椅子に座る。


 では。いざ。

 はむっ。


 わー。

 もっちもちだー。


 生パスタってこんなにおいしいんだ……。

 うどんぽい感じもする。でも違う。

 アルデンテってこういうことかな。

 ソースはバターの風味が効いてて、かなり好みのクリーミーな味。

 これはおいしいな……。


 パスタをひとくち。ケーキをひとくち。



 ひぎゅゅゅゅゅゅゅゅゅゅゅ!


 甘い。

 しょっぱい。

 甘いー。


 うわわっっっ、続いてきちゃうよおお。



 怒りの炎は、もうすっかり消えていた。

 甘いのしょっぱいの連続攻撃に、なすすべもなく完膚なきまでに。


 少し余裕が出てきた。紅茶を飲みながら、周りを眺める。

 みんな誰かといっしょに来てる。

 話しては笑い、うなづいて、それから……。

 僕もこんなふうに、誰かといっしょにご飯を食べることはできるのかな……。


 さて、お茶を飲んで、もう一皿いってみよう。

 パンダケーキいってみようかな。でも、ホールケーキだから、みんなに取り分けられて、顔がざっくりいっちゃってるけど……。

 チョコケートもいいな。シャインマスカットのタルトもおいしそう。

 どうしようかな……。


 ん?

 誰かに肩を叩かれた。


 「やっぱり、ふっちーじゃんかー!」


 ぶはっ!

 げぼっげほっ!!

 思わず紅茶を噴き出した。


 「あ、わりぃ」


 な、なんてことすんの?

 って、あれ? もしかして……。


 「あははは! ウケる。どしたん、その格好」

 「……」

 「いじめかなにかなん?」

 「……」

 「おーい、同クラの丸山だよー、覚えてる?」

 「……」


 人間、イザというときは、言葉が出ないものなんだね。


 イマふうの女子高生である丸山さんは、休み時間になったら声を上げて笑ってるような人だった。


 「まるー、ダメだよ。これいじっちゃダメなやつだよ」


 あ、玉川さんだ。いつも丸山さんとセットでいた。

 ふたりとも高校の制服姿でここにいる。


 「だってウルトラスーパーレアキャラに会ったんだよ。声ぐらいかけなきゃ」

 「でもさー、まるー。だいぶキョドってるよー」


 玉川さんが僕をチラチラと見て困っている。


 僕は覚えていた。

 丸山さんと玉川さんは、いつもふたりで、にぎやかな昼休みを過ごしていた。

 僕はそれを横目で見ていた。だって、仲良さそうな雰囲気がうらやましくて……。


 せっかく学校から遠く離れた上野へ来たのに、これじゃ……。

 僕は感情の整理がつかないまま、小さく声を出す。


 「ふっちーって……、なにそれ……」

 「ほらやっぱり、渕崎じゃんか。なっ」


 玉川さんへ振り向き、丸山さんはにやにやと笑う。玉川さんはますます困る。


 「まるー、なーって言われても……。ごめんね、渕崎君。あ。さん、と言ったほうがいいのかなー」

 「でさ、でさ。ふっちー、ここのはちみつレモンババロア、おいしくね?」


 さすが丸山さん。何でもないように僕へ声をかけてくる。


 「……うん、香りがいいよね」

 「そうそう、はちみつとレモンってやっぱり最高だし」

 「たまに自分でレモン絞って、レモネード作るよ」

 「えー、何それおいしそうじゃん。今度飲ませてよ。ホットにするん?」

 「うん、まあ……」


 丸山さんはなんというか……。

 空気を読まないという人というか、空気がない人というか。


 椅子を引く音がした。そのままふたりは座る。ばったりと出会った友達へそうするように。


 「ふっちー知ってる? ここ、パンダのケーキもあるんだって。もう食べた?」

 「……パンダの頭、残酷なことになってた」

 「あははは、わかる。ぐちゃってなってて、ゾンビ映画かって」


 ゲラゲラと笑う、丸山さん。

 つられて玉川さんも笑いだした。

 僕もなんだか笑ってしまった。


 「でさ。玉っちがショートケーキ、5個も食ってやんの」

 「もう、まるー」

 「玉っち、川上に告ったんだけど、ふられたんだよ」


 顔色を変えた玉川さんが慌ててさえぎる。


 「ちょ、ちょっと、まるー、それ言っちゃダメー」

 「だから、やけ食いしてんの」

 「こらー、もー」


 玉川さんが丸山さんの頭をぺしぺしする。必殺ナントカチョップとか言いながら。

 これなら僕も言えるかも……。


 「……似たようなもんだよ」


 丸山さんが玉川さんからの攻撃を素早く受け止めながら、僕に目を向ける。


 「ふっちーもなんか嫌なことあったん?」

 「委員長に会った。この格好で……」

 「「あー」」


 ふたりでハモられた。僕は友達に愚痴るように話す。


 「いろいろ言われて……。正しいかもしれないけど……。なんか気が収まらなくて、やけ食いしに来たんだ」


 玉川さんが腕組みをして、うんうんとうなづいた。


 「あの委員長じゃ、どうしようもないよねー。まるの天敵だしー」

 「偉そうに言うくせにさ。言うだけなんだよ、あいつ」

 「委員長被害者の会を作ったら、絶対みんなで入るよねー」


 委員長ってそんな人だったんだ……。

 丸山さんが身を乗り出して、手にしたスプーンを向ける。


 「あんなの、気にすることないっしょ」


 え……。僕は少し驚いて言葉を漏らす。


 「そうなの?」

 「どうでもいいじゃん。気にしたほうが負けなんよ」

 「でも、こんな格好だし……」

 「それは言い訳」


 言い訳……。うん……。それはだって……。

 ワンピースの裾をぎゅっと握る。何度もまた……。そして、ゆっくりと手を離した。


 「気になるよ……。人の目は……」


 丸山さんが僕をじっくりと探るように見つめた。


 「ふっちー、自信持ってええよ。かわいいし。玉っちもそう思うっしょ?」

 「うんー。髪をまとめて、ちょっと眉を整えたら……」

 「おっ、玉っちの姉属性に火が付いた」

 「なにそれー」

 「この髪だって、玉っちがやってくれたじゃんか」

 「そうだけどさー」

 「ふっちーもやってもらいなよ。編み込みやったら似合うと思うし」

 「私としてはツインテもいいかなってー」

 「髪、触っていい? うわ、サラサラすぎ!」

 「ほんとだ……。これ地毛? めっちゃ触って気持ちいいー」


 僕は「そう?」とだけ恥ずかしく言う。


 この雰囲気、いいな……。

 なんかいいな。なんか……。

 きっといまの僕は、嬉しいポップン味かな……。


 「あ、ふっちー。アドレスちょうだい。インスタでもラインでもいいからさ。ねっ」

 「え? でも……」

 「楽しかったっしょ? うちらも楽しかったから、また会ってダベろうよ」

 「うん、まあ……」

 「ほら。これ、私の」


 差し出されたスマホを僕はじっと見る。どうすればいいんだろう? ぼっちはこれだから……。

 やり方がわからないので、自分の連絡先をスマホに表示させて、丸山さんに見せた。


 「おっけー。いまフォローすんね。……はい、できた。なんかあったら呼ぶから無視すんなよ」


 ニッと丸山さんは笑う。

 楽しかった。女の子の輪に入れた気がする。

 でも……。


 「……僕はこれでいいのかな?」


 丸山さんが少し怒った。


 「は? 何言ってん。そんなの当たり前じゃん」


 それから僕を励ますようにやさしく笑ってくれた。

 僕は励まされたんだと思う。

 それはとても温かくて、じんとして……。


 「あっ、まるー、もう時間ないよー」

 「わっ。ほんとだ」


 玉川さんが持ってたレシートには、もうすぐやってくる時刻が書かれていた。

 ふたりはあわてて立ち上がる。


 「ごめんね、渕崎くん。まるはこんなんだけど、いい奴だからさー」

 「じゃあね、ふっちー! またな!」


 彼女達が手を振る。

 僕は手を小さく振り返す。


 僕はケーキを食べる。

 甘いケーキをモリモリと、パクパクと。

 またしょっぱいもの食べたいな。そしたら次はどうしようかな……。


 ふふっ。

 僕は笑った。


 だって、体が甘くてしょっぱくて、いっぱいになってるから。




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次話は9/3 19時ごろに公開! お楽しみにっ!

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