第3話 渋谷のフルーツパフェ



 窓の外には、6月の雨が降っていた。街路樹へ、信号で停まる車へ、行き交う人々の傘の上へ、みんな平等に雨粒が降り落ちる。頬杖をつきながら、僕はそんな渋谷の街を見下ろしていた。


 松浦さん、早く来ないかな……。

 ここは、あんまりにもゆったりしていて、思い出したくない記憶ばかり浮かんでしまう。


 あっけなく死んでしまった両親のこと。

 大学を辞め、働きに出た姉さんのこと。

 高校は行きなさいと姉さんに言われたけれど、3か月しか通えなかったあの高校のこと。

 そして、それからもう1年が過ぎているだなんて……。


 コップの中の氷がカラリと音を立てた。


 この渋谷のフルーツパーラーは、居心地がとてもよかった。ふかふかのソファー、白いテーブル、落ち着いた木目調の仕切り、緑色の壁……。落ち着いた雰囲気がそこにあった。こうして待ちぼうけしていても、ため息ひとつだけで過ごすことができる。


 今日は雨のせいなのか、お客さんも少なく、ゆったりとした時間が流れていた。ぽつりぽつりと店にいるのは、みんな女の人ばかり。いまの僕は、レトロなデザインのお嬢様ぽいワンピースを着てきた。少しでもこんないいお店に溶け込めるようにと願いながら……。

 こんな言い訳と、知りたくない感情が、泥のように溶けあう。僕はそんな泥につかり、やがて溺死するのだろう。


 「このまま消えてしまったら、いいのにな……」


 何度目かのため息といっしょに、ひとりごとをつぶやく。ふと思い出す。同じ言葉を聴いて、松浦さんが「どうでもいい考えに引きずられるのは、きっと糖分が足らないからだ」と言ってたのを。うん。そうかも。そういうことにする。


 テーブルに置かれたメニューをぱらりぱらりと見ていく。パフェ、プリン、フルーツサンド……、いろいろあるけれど、どんなものでも主役はフルーツ。そこが喫茶店やケーキ屋さんと違うところ。やっぱりクリームやスポンジといった名脇役があってこそ、主役が輝く。


 さて、どれにしよう。ここは絶対パフェだよね。フルーツパーラーでパフェを食べる。なんとも正しい。主役感たっぷりのヒーローのように思える。


 パフェにもいろいろある。メニューには旬の果物が載ってた。桃、メロン、シャインマスカット……。いきなり難問過ぎる。桃、おいしいよね……。シャインマスカットも秋っぽくてぴったりな気がする。あ、桃といっしょのもあるんだ。うーん。メロンもいいし……。


 悩んでいたら、ふと自分が着てきた服を思い出した。パフスリーブが入ってほんわりと膨らんだ袖口を指でつまむ。


 そうだ。

 お嬢様と言えばメロンです。

 そうであるのなら。

 ここはもう優雅にメロンのパフェです。


 値段はそれなりにするけれど、まあ……。松浦さんがあとで払ってくれるはず。


 よし、決めた。

 小さな声で通りがかった店員さんを呼ぶ。メニューを指で差してお願いをする。


 「特選マスクメロンパフェですね。ありがとうございます」


 ほっとひといきする。いつも注文は慣れない。声のせいでバレないかとどきどきする。きっとバレているかも。きっと、それで……。僕は泥に沈む気持ちを抱えたまま、雨が降る窓の外を見つめていた。


 「お待たせしました。こちらになります」


 うわ。うわー。

 金色の豪奢なお皿に載っけられたガラスの器。そこには、クリームとシャーベットが半分ぐらい入っていて、上には大胆にカットされたメロンがたくさん刺さっている。クリームはその真ん中にちょこんと乗っててかわいい。圧倒的なメロン。最高の主役だった。


 それでは、いただきます。金色のフォークをメロンに差し、口に運ぶ。



 んんんっっっ! お口の中に甘いのがあふれちゃうぅぅぅ!

 じわっとするっ! じわっとするよぉ!!

 これ好き! 好きっっ!!



 甘みにコクがある。これは誰でも言うかも。このコクというのは、うまみのこと。果物のくせにうま味がある。それがぎゅっと詰まっていて、なお甘くて。これでは、たまに食べているスーパーのメロンが、固いスポンジのように思えてしまう。


 これはとんでもないぞ……。


 次にクリームをちょこっと乗せて食べてみた。これもすごくいい。クリームのなめらかさが、メロンのコクと合わさって、なんともまろやかな味になる。


 ガラスの器の奥をスプーンですくって、キラキラとしたシャーベットを食べてみる。んっ、おいしい。これもメロンのおいしさがぎゅっとしてて、ひんやりとしていて……。


 おいしさの余韻は、とても長く続いた。一口食べるだけでこんなに幸せになるなんて……。女の人はみんなこれを知ってるのかな。ちょっとずるい。


 テーブルに誰か近づいてきた。

 松浦さんかな?

 顔をあげる。

 そして目が合った。


 「え……」

 「うん? あ、もしかして渕崎君?」


 バレた。その人は高校のクラス委員長だった。名前はもうわからないけれど、高校が始まって早々に張り切ってた彼女のことは覚えている。

 僕は黙ったまま席を立つ。


 「逃げなくていいわ。ちょっと話がしたいし。ずっと気になっていたのよ。私がいたクラスに登校拒否の生徒が出てたことをね」


 そのまま向かいの席に座られてしまった。どうしたらいいのかわからなくなる。どうしたら……。


 「いっしょに食べましょう。ほら、座りなさい。あ、末長さん。私、プリンアラモードをお願いね」


 親しげな様子で、店の人が返事をする。そのまま店の奥に向かってく。

 力が抜ける。倒れこむように元の席に座る。


 僕は必死に顔を上げないようにしていた。

 笑われる。おかしいと思われる。変態だと蔑まれる。絶対、絶対に……。


 委員長はばったり会った友達のように話しかけてきた。


 「パフェおいしかった?」

 「……はい」

 「良かった。そのメロンの調達は本当に苦労してて。そう言ってもらえると嬉しいよ」

 「……どういうことですか?」

 「この店はね。うちの親が経営してる。親に用事があるときは、学校を早引けして、こうして店のほうに来てる」

 「そう、なんですか……」

 「ねえ、渕崎くん。みんな心配してたけど……、その姿では学校へ行けない理由がいろいろあるのでしょうね」


 顔を上げる。

 委員長は、ただ微笑んでいた。僕を見ながらうっすらと笑っている。


 話すべきなんだろうか……。

 僕は仕方なく心の中で繰り返してた言い訳を、そのまま委員長に伝えた。


 「僕はただ……。女の人が多い店に、男の格好で来るのが嫌なだけで……」


 委員長は手を組むと、諭すように言う。


 「普通は、そんなふうに考えないものよ」

 「そうかもしれないけど……」

 「確かにうちは女性のお客様のほうが多いけどね」

 「だから、僕は……」


 ため息をつくと、委員長は冷ややかに笑った。


 「あなたは似合っているほうだとは思う。かわいいとは思うよ。でもね、世の中はそう思う人ばかりじゃないわ」

 「何を……言って……」

 「その姿は一時的なものとは思うけれど、あなたにはもっとたいせつにしないといけないものがある」


 たいせつなものって何?

 一時的って……。

 黙り込んだ僕へ、委員長は冷えた正しさを告げる。


 「渕崎君、いまそういう格好をするのは、将来を狭めてしまうことになるわ」

 「僕は、ただ……」

 「わかってるの? これから髭も生える。体も大きくなる。声も低くなる。それはもう女の子とは違う」

 「そう……だけど……」

 「私にはどうでもいいことだし、あなたにとってもどうでもいいことかもしれない。ただね。私はあなたのことを心配しているの。将来、とても困ることになるわ」


 正論だった。委員長の言うことは正しい。やさしさからそう言ってる。

 でも……。


 そんな正しさが僕を殺しに来る。


 「このことは学校では言わないわ。渕崎君は安心してて」

 「でも……」

 「わかった。なら、ここの支払いは私が持つから。それなら信頼してもらえる?」

 「でも、それじゃ……」


 ぱっと伝票を委員長に取られてしまった。


 「学校に来なさい。渕崎君が優先すべきは、そっちだから」

 「そっちって、どっちに……」

 「渕崎君、みんな勉強したり友達作って、いろんなことを経験している。それはいましかできないことだから。そう思わない?」

 「でも……」


 僕はうつむく。溶けている食べかけのパフェをじっと見つめる。


 学校に行きたくない。おいしいご飯を食べたい。好きなことをしていたい。笑っていたい。安心したい……。


 学校に行かなくてはいけない。勉強しねばならない。友達を作らねばならない。青春を過ごさねばならない。働いて学費を出してくれる姉さんに申し訳ない……。


 女装してご飯を食べ歩いているだなんて、委員長たちから見たら……。


 僕はどうしようもない人間。消えていなくなりたい。いますぐに。

 そうしたらきっと、みんなが幸せになれる。


 「僕は……」


 ざらりとした黒い気持ちが体を蝕んでいく。

 なんかもう……。味がよくわからないや……。


◆◇◆


 傘を差さずに、そのまま外へ出た。


 膨らんだ感情が行き場をなくして、どうしようもなくなって、じわりじわりと瞳からあふれてしまう。雨と混ざり合って、ぼやけた地面へ落ちていく。


 「夏稀君、何かあったのか?」


 目の前に黒い傘を差した松浦さんがいた。


 「同級生に会った……」


 松浦さんが黙って僕に傘をかける。


 「なんか……もう……。やだな……」


 松浦さんが濡れた僕の頭をぽんぽんとする。それから、安心させるように声をかける。


 「そうか、そうだな。いやでいいさ」


 その声を聞いたら、どうにもならなくなった。頑張って抑えていたのに、僕は嗚咽を漏らしながら泣き出した。

 松浦さんが慰めるように僕の肩を抱き寄せる。冷たい雨の中、そこだけが温かった。




----

次話は9/2 19時ごろに公開! お楽しみにっ!

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る