第8話 心の傷

 俺には、両親の記憶がない。


 テラの話だと、雪のちらつく2月初旬、赤ん坊の俺はある小さな神社の拝殿の入り口に、毛布にくるまったまま籠に入れられ置かれていたのだという。


「これは大変だ。こんな幼子を寒空の下に置いていくなんて。急がねば命の危険が。早く誰かに知らせなければ!」


 そんな慌てるテラに手をのばし、俺はにこにこと笑っていたらしい。


 寒空の下ずっと俺に寄り添い鳴き続けるテラ。それに気づいた神社の宮司が俺を見つけ、急いで病院に連れて行ってくれたらしい。


 その神社の宮司こそが俺を育ててくれた、有馬ありまたかし。俺のじいちゃん。子供のいなかったじいちゃんは、これもご縁だと言って俺を養子として育ててくれた。とても礼儀に厳しい人だったけど、何もない俺に優しさと生きるすべを教えてくれた。


 猫と話せることに気づいたのは3歳くらいだったかな。というか、どうしてテラの言ってることがじいちゃんに伝わらないのか、ずっと不思議だったんだ。


 まさか自分に猫と話せる力があるなんて、思いもしなかったからね。


 でも小学5年生の時に心に大きな傷を負う出来事があった。もう誰にも話すことはないと思っていたけど、同じ猫と話せる力を授かった咲ちゃんには話しておくね。


 

 俺は子供の頃から静かな性格で、昼休みになるとひとりで図書館で過ごすようなヤツだった。唯一友達と呼べるのは近所に住んでいた健ちゃんくらい。


 あの日は猛暑日が10日以上続く7月の中旬。あと少しで夏休みはいる日の放課後の出来事だった。突然の夕立がきて、俺は準備していた傘を広げ学校の門を出ようとしていた。すると雨でずぶ濡れになった白い子猫が迷い込んできたんだ。


「……どうしよう。ママどこなの?ママ寒いよう」

 

 その子猫の体は冷えきって小刻みに震えていた。俺は子猫をそっと抱き上げて話しかけた。


「おまえどうしたんだ。迷っちゃったのか?」


「おにいちゃん助けて。ここはどこなの?おうちに帰りたいよう」


 子猫は高い声でママ、ママって何度もなくんだ。もしかすると俺はママのいる子猫のことが羨ましかったのかもしれないね。


 それから子猫に話を聞きながら歩いていくと学校近くの一軒の家にたどり着いた。インターホンをおしたが返事はなく、道を挟んだ遠くの方から女性の声が聞こえてきた。


「ゆきちゃ~ん。ゆき~。ゆきちゃ~ん」


「ママ。ママの声がする」


 白い子猫は俺の手を元気よく飛び出し、夢中で雨に濡れた道路を走りぬけ、彼女の胸にとびこんだ。俺はすぐに背を向け家に向かって走った。傘をさすことも忘れていたせいで、帰りついた頃には洋服はびしょびしょ。それでも嬉しかったんだ。あの子猫とお母さんの笑顔が見れたことがとっても。初めて猫と話せる力を持った自分が誇らしかったんだ。


 その次の日、お昼休みにいつもの図書館にいこうとする俺に健ちゃんが真剣な顔で話しかけてきた。


「なぁ昨日見ちゃったんだ俺。さくちゃんって猫と話せるのか?」


 健ちゃんは、俺が昨日雨の中迷い込んだ子猫と話しながら、家までたどり着いた一部始終を見ていたらしい。驚きで声をかけれなかったけど、思い切って相談したいことがあるという。


「つい一か月前くらいに野良猫を保護して、家で飼い始めたんだけど、ずっと元気がないんだ。あんまりメシもくわないし。病院にもいったけど、悪いとこもなくて。なぁ一度でいいからトラと話をしてくれないか?」


 あまりにも真剣な健ちゃんのお願いを断る理由もみつからず、俺はとりあえずトラと話してみるよと伝えた。


 放課後、俺は健ちゃんの家に立ち寄りトラの話をきいてみることにした。茶トラの雄、年齢は3歳くらいだろうか。野良特有の鋭い眼光で俺のことを見ていた。


「俺着替えてくるから、よろしくな」


 そういうと健ちゃんは自分の部屋への階段を駆け上っていった。俺とトラさんの間に沈黙の時間が流れる。するとトラさんが重い口をひらいた。


「お前、本当にオレの言葉がわかるのか?それとも健の勘違いか?」


「いや聞こえてるよ。トラさんは何か困ってるの?どこか痛い?力になれるかな」


 トラさんは、本当にわかるのかとためらいの表情だったけれど、何かをひらめいたように俺の顔をみてこう言ったんだ。


「ひとつだけお願いがある。懐かしい外の空気を感じたいから、帰りに後ろの玄関のドアを少しだけあけたままにしてくれないか?」


「それだけでいいの?」


「あぁそれだけで十分だ。そうすればすぐに俺は元気になれる。それと健に心配かけたくないからこのことは黙っていてほしい」


「わかった。帰りに玄関のドアを少しだけ開けたまま帰るよ。早く元気になってね」


 そう言って俺はトラさんと約束を交わした。健ちゃんにはトラさんとはうまく話ができなかったと伝え、一緒にゲームをして帰った。トラさんに言われたとおりに玄関のドアを少しだけ開けたまま。あの子猫を送り届けた日と同じように、猫のちからになれることへの誇らしさを胸に俺は眠りについた。


 次の日、健ちゃんは学校を休んだ。次の日も、また次の日も。風邪でもひいたのかと心配して健ちゃんの家を訪ねた。インターホンを鳴らすと健ちゃんのお母さんがこう話してくれた。


「実は、さくちゃんが遊びに来た日の夕方。トラが家を逃げだしてしまって、すぐ近くの道路で車に跳ねられて死んでしまったの。健はトラのこと大好きだったからとてもショックだったみたいで。部屋で泣き続けてて。心配してくれてありがとう。もう少し様子をみてみるから、学校で待っててあげてね」


 その話を聞いて俺の頭の中は真っ白になった。俺のせいだ。角を曲がったとこにあった電柱にうずくまり何度も嘔吐した。焼けつくような喉の痛みとともに、計り知れない後悔が押し寄せる。ただ力になりたかっただけなのに。


 そのまま夏休みを迎えたため、9月になるまで健ちゃんの姿をみることはなかった。そして2学期の始業式。登校した健ちゃんに謝ろうと勇気をだして声をかけた。


 振り向いた健ちゃんは怒りで真っ赤になり、握りしめた拳は震えていた。


「お前のせいでトラは死んだんだ!二度と俺に近づくな!」


「ご、ごめんなさい。だってトラさんが外の空気を感じたいって言うから……」


「そんなはずないだろ!猫と話せるなんて、嘘ばっかり言いやがって。玄関のドアなんか開けたら、猫は逃げるに決まってるじゃないかこのばかやろう。大嫌いだ」


 健ちゃんは人目も気にせず大声で泣き叫んだ。その後、学校中で俺の噂は広まった。平気な顔をして猫に虐待行為を繰り返す最低なやつだって。それから俺は学校のみんなに嫌われ居場所を失ったんだ。


────────────────────


今回は8話目を読んでいただき、ありがとうございましした。


悲しいシーンを含んでいたため、複雑な気持ちになった方がいらっしゃったら、本当に申し訳ありません。


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