迫る決断、遮断される結末 その8

「私は三年前からここにいます。最底辺の洗濯女から始め、徐々に信頼を勝ち取り、身を隠しながら情報を収集していました。この国は念話に頼りすぎるところがあるので、傍受すれば簡単に集まりますしね」


「やっぱり出来るのか、傍受……!」


「当然でしょう? 私からの念話、やけにタイミング良く掛かってくるとは思いませんでしたか」


 あるいは、と思った事はある。

 現代においても、盗聴や傍受を完全に防ぐ手段は無い、という話を聞いた事がある。


 念話はまだ生まれて日の浅い技術だ。

 防諜意識がまだ低い段階であるなら、むしろされて当然とも思える。


 そして何より、戦時なのだ。

 技術の発展具合は著しく、競い合っては高めていく。


 隣国には魔法を開発してもすぐ模倣される、とケルス姫から聞いた事を思い出した。

 つまり、その技術を流していた一人がシュティーナで、その為に様々な情報に通じていたのだろう。


「あなたに対する情報も、そしてドーガについても非常に興味深いものでした。これを利用すれば、より簡易に事を為せる。上層部の判断は、そういうものでした」


「あぁ、そうか……。覚悟に感服とか、忠誠とか、最期まで共にするという耳当たりの良い言葉も……、全て嘘だった訳か……」


 マコトが突き放した言い方で蔑む。

 しかし、これにはしっかりと目を見据えた、覚悟ある瞳で否定された。


「いいえ、最期までお供すると言った、それに偽りはありません。むしろ、確実に使って貰う為には、最後までしっかりと誘導し、傍で見守る必要がありますから。私の存在が、あなたを逃さない楔に出来るかもしれない。ならば、成功に導く最後のピースとして、傍に置くのが最善……」


「馬鹿な……本気で言ってるのか? 死ぬんだぞ、君も……!」


 淡々と言い放つシュティーナが信じられない。

 マコトが喘ぐように諭しても、彼女の反応は変わらなかった。


「割の良い取り引きではないですか。むしろ、代価として安すぎるぐらいでしょう。敵国の消滅、直近の脅威の消滅、それをスパイと交換で達成できるのですから」


「狂ってる……」


「ご存知ないようですね。スパイは強い愛国心を持っているものですよ」


 そう言うと、両手を腰の後ろへ隠す様に動かす。

 あまりに自然な動作で見過ごしてしまい、そして次の瞬間には、その手にそれぞれ短剣が握られているのが目に入った。


「致し方ありません。こうなったからには、あなたから魔石を奪い取り、自ら使う事と致します」


「何を言うんですか」


 それまでマコトの傍で黙って見守っていたケルス姫が、流石に堪り兼ねて口を出す。


「無理ですよ。情報を漁っていたスパイであれば、良く分かっているのではないですか? マコト程の大きな魔力があってさえ、その使用は簡単ではない。普通の人間には不可能です」


「であったとしても、試してみなければ分かりません。不発の可能性も大いにあるとしても、使うだけなら……。自爆が前提であるなら、正確に、正常に扱える必要はないのですから」


「ぐっ……!」


 ケルス姫は悔しげに言葉を詰まらせた。

 ではやはり、形振り構わず自爆覚悟で使うのならば、絶対に不可能ではないらしい。


 威力の減衰、効果範囲の縮小、様々な弊害があろうとも、やりたい事は結晶剣への誘爆だ。

 元より死ぬつもりなら、その程度リスクにもならない、という算段だろう。


 マコトはシュティーナが動き出すより前にバイザーを下げ、右手に剣を構えた。

 後ろ手に合図を出してケルス姫を遠ざけ、それを見たシュティーナも、身構えて腰を落とす。


 堂に入った構えは、戦闘訓練を受けた者の特有の雰囲気を発していた。

 ナイフ一本で的確に、人を殺せるだけの技術を持つ――。


「ハッ――!」


 シュティーナが気合と共に床を蹴り、一歩の間合いで急激に距離を詰めてきた。

 マコトをそれを横っ飛びに躱し、ナイフから逃げる。

 しかし、動きは読まれていて、逃げた動きをそのままなぞる様に追い付いて来た。


「あなたは強い。それは確かです。魔力を振り回す戦い方で、魔物ごときは十分倒せる。でも、実力者との対人経験が、今のあなたにはない!」


「――くっ!」


 シュティーナの指摘は確かだった。

 魔物も決して愚鈍な相手ではない。だが、知恵を持つ獣と見るのが精々だった。

 襲ってくる時にも工夫があり、自身の特性を活かした戦い方をしていた。


 時に目を見張る攻撃もあっても、それはやはり人間が考えた戦術や、戦闘技法を上回るものではなかった。

 今のシュティーナがそうである様に、多彩な攻撃やフェイントを交えるものではない。


 マコトの肉体スペックは、確かに大したものだ。

 それでも、初見の達人相手に対応するには、いかにも分が悪かった。


 もしも記憶が十全だったら、互角かそれ以上に戦えていたかもしれない。

 だが、それをここで言っても仕方なかった。


「うっ、ぐ……っ! 当たらない!?」


 マコトも鋭い剣筋を見せて腕を振るうが、シュティーナの動きは機敏だった。

 動きの予想させないフェイントを織り交ぜ、簡単に攻撃を受けてくれない。

 メイドのお仕着せという、防具にならない衣服で戦闘しているのも、自分の技術に自信があるからこそだろう。


 そして、逆にシュティーナの攻撃は、容易にマコトの鎧を傷つけた。

 頑丈な素材の防具だから、その攻撃一つで斬り裂かれる事はない。

 しかし、鎧には幾つも隙間がある。


 そもそも身軽に扱う為、大部分の装甲は抜かれているのだ。

 彼女ほどの腕なら、攻撃箇所に困らないだろう。


 このままだと、一方的に攻撃されて負けてしまう。

 起死回生の何かが必要だった。


「――チィッ!」


 マコトは持てる力と技術で剣を振るう。

 直線的ではなく、点で突き刺す攻撃や、フェイントを仕掛けた攻撃もある。

 しかし、そのいずれもシュティーナには届かず、軽快なステップで躱されてしまった。


 マコトの喉奥から、悔し気な唸り声が漏れる。

 反して、シュティーナの表情には余裕があった。


 最初に見せた一抹の緊張も、既に顔から消えている。

 マコトの動きを見て、自分の相手ではないと判断したからかもしれない。


 だが、シュティーナも知っている筈だ。

 マコトは剣を扱えるが、魔法も同時に使えるのだ。


 そして、今となってはケルス姫の助けを借りて、数々の魔法を思い出している。

 マコトの左手に魔力が籠り、形となって放出されそうになった時、シュティーナの顔色が変わった。

 彼女は剣の一撃を避けるため距離を離したが、それは悪手だったと気付いたらしい。


「しまっ――!」


「もう遅い、【旋風ブルスキィ】!」


 身の丈程の小さな竜巻が、四方から囲んでシュティーナを襲う。

 だが、それもまた俊敏に回避し、左右へと飛び跳ね直撃を避けた。

 それでも発生した小型竜巻は、追尾して彼女を襲う。

 躱そうとした地点にも竜巻が待ち構えており、そのお仕着せをズタズタに切り裂いた。


「この程度――ッ!」


 接触はしても一瞬の間で、即座に竜巻から逃れて距離を取る。

 その時には、魔法で生み出した竜巻も効力を失って消えて行った。


 竜巻は確かにメイド服の裾や腰回りなど、幾つかの場所を切り裂いた。

 しかし、裂傷というほど深い傷はなく、またその箇所も僅かなものだ。

 戦闘続行には何の問題もなさそうに見える。


 そして、魔法を見せた事でシュティーナも本気になった様だ。

 ナイフを逆手に持って、目の高さで横にして構える。

 猫科を思わせるしなやかさで腰を落とし、眼光が鋭く輝いた。


 一触即発、爆発寸前の彼女に対し、マコトは武器を構えもせず、足先で床を叩く。

 それはまるで、既に勝負が付いたと言わんばかりの態度だった。


「ところで……。僕はもう、自分の匂い袋は全て使い果たしてしまった」


「は……?」


「――君はどうだ? まだ残していたか? 袋は無事か?」


「しまった!?」


 シュティーナは何かに気付いて下を向くと、腰の辺りに何かの液体が滲んでいる。

 顔を青くさせ、即座に服を脱ぎ棄てようとした。


 ――しかし、既に遅かった。

 次の瞬間には、何らかの攻撃がシュティーナを襲い、その腹を貫いている。


「……ごぶっ!」


 シュティーナは吐血した後、身体をくの字に曲げた。

 その腹からはサソリの尻尾に見える針が飛び出していて、血が点々と床に染みを作っている。


 どうやら匂いに敏感な魔物が、バルコニー下から尻尾を伸ばして攻撃して来たらしい。

 シュティーナは口からは盛大に吐血しつつも、何とか抵抗しようと短剣を尻尾へ斬りつける

 だが、硬い甲殻に阻まれ傷すら付かない。


 シュティーナは腹に尻尾が刺さったまま宙吊りにされ、更に高く持ち上げられる。

 その尻尾が一度揺れると、一瞬の速さで階下へ引っ込み、シュティーナを連れ去ってしまった。


「あぁぁぁアアアッ!!」


 肉が裂け、骨の砕ける音が聞こえ、彼女の悲鳴が響き渡る。

 次には、咀嚼音まで聞こえて来て、思わず耳を塞ぎたくなった。

 しかし、それも僅か数秒で終わりを迎えると、沈黙が場を支配した。


 マコトは我知らず、ケルス姫と目を合わせる。

 互いに言葉無く頷き、次いでバルコニーの出入口へ顔を向けた。


 ――あれは相手にすべきではない。

 まず逃げようという提案は、口に出さずとも、両者の間で一致した結論だった。


 マコトがそろりと動き出せば、それに合わせてケルス姫も動く。

 この状況にあって、極めて冷静に行動できるのは流石だった。


 本当なら大声を上げ、盛大に足音を立てて逃げ出したいくらいだろう。

 しかし、ケルス姫も伊達にここまで生き残ってはいない。


 バルコニーから音も無く逃げ出そうとしたのだが、その魔物はどうやらマコト達の存在にも気付いていたようだ。

 逃げ切るよりも早く、再びサソリの尻尾が襲いかかって来た。


「――ケルス!」


 敵の狙いはケルス姫だ。

 マコトは咄嗟に手を引いて、身体の位置を入れ替える。

 だが、尻尾の速度は予想以上で、守りきれずに姫の顔面を切り裂き、マコトの左手をも切り裂いた。


「あぁッ!!」


「うぐ……ッ!」


 幸い、マコトの手はガントレットによって護られている。

 頑丈な筈の手甲は真横に引き裂かれ、その折れ曲がった針先で抉られてしまった。


 出血は多く、手甲の中で血溜まりが出来ている感触はあるが、重傷という程ではない。

 そして裂傷の度合いでいうなら、ケルス姫の方がよほど深刻だった。


「ケルス、無事か……!?」


「う、あ、あぁ……ッ!」


 彼女は右手で顔半分を抑えて、痛みに喘いで身体を震わせている。

 覆われた手によって患部は良く見えないが、額から頬に掛けて切り裂かれた様だ。

 出血も酷く、流れた血は止めどなく顎下へ流れて落ちていく。


「拙い、すぐに止血……いや、治療を……!! でも、今は走れ! とにかく逃げるんだ!」


 マコトは左手でケルス姫の背中を押し、右手に握った剣で尻尾を弾く。

 硬質な音を立て、その刃先が深々と切り裂き、尻尾の先端を切り落とした。


「ギィィギリィィィ!!」


 階下から絶叫が聞こえて来るのと同時、その尻尾が乱暴に振り回される。

 それを尻目に、ケルス姫を押して走らせた。

 だが、マコトまで背中を見せて逃げる訳にはいかず、背中を捻りながら背後を窺いつつ走る。


 尻尾の追撃を予想して剣を構えていたのだが、振り乱された尻尾は、そのままバルコニーの下へ消えてしまった。

 少しは時間が稼げるか、と安堵した束の間、その直後に本体がバルコニーをよじ登って来た。


「嘘でしょ……!」


 それは一見すると、ワニの顔によく似ていた。

 鱗の代わりに蠍に良く似た甲殻に覆われていて、大きな相違点は幾つもある。

 だが平坦な頭部と突き出された大きな口、そこに並んだ鋭い乱杭歯が、まるでワニの様に見えるのだ。


 ただし、その巨体はワニの比ではない。

 顔の大きさだけで、人の身長ほどもある。


 そのワニが顔を更に覗かせ、次いで片手がバルコニーに掛かる。

 四本指の手は人の形に良く似ていて、関節の数まで同じだ。

 しかし、より暴力的なフォルムを持ち、爪は鋭く指も太い。


 そして、続く身体を見て後悔する。

 指を見た時点でそうではないか、と予想していたが、その巨体は人体とも良く似ていた。

 まるで爬虫類と哺乳類を掛け合わせ、両方の特徴を上手く混在させたものに見える。


 どちらかというと人間に近しい身体ではなく、むしろ四足歩行に適した構造だ。

 しかし、骨格からして二足素行も可能そうに思える。

 その巨大な魔物が、バルコニーへ大きな爪を立てながら登ってこようとしていた。


「逃げろ、とにかく逃げるんだ!」


 始めから戦うつもりなどなく、逃げの一手のつもりだった。

 そして、あれを見て更に戦意を失くした。


 とにかく、がむしゃらに走って扉に駆け込み、二人が潜ると同時に勢いよく閉める。

 危機を脱したように見えても、あの巨体が追ってくるなら、こんな扉は何の慰めにもならないだろう。


 マコトは左腕をケルス姫の膝裏に入れると一気に抱きかかえ、扉から一秒でも早く離れようと、全速力で走り去った。

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