迫る決断、遮断される結末 その6
「あなたが私に、残してくれた言葉があります。何事も不可能はないのだと、魔法は可能性なのだと。そして、可能性は無限大なのだと。……その言葉を、励みにして来ました。ですが、一人切りでは不可能だとも悟っています。だから、どうか、あなたの力を貸して頂けませんか……!」
「う……、いや……。それは……!」
ケルス姫の潤んだ瞳に見つめられ、マコトは咄嗟に言葉を返せなかった。
美貌に充てられたからではない。
その真摯な感情と言葉にこそ、心を揺り動かされているからに違いなかった。
「共に研究を通じ、想いも通じて来たと思っていました。決して、あなたを利用するつもりは無かったとも……。共に、この地獄を終わらせる事は出来ませんか」
「想い……? あの愛しの、というのは……、何か誘導的なものじゃなかったの……? いや、嘘でしょ?」
「公になれば問題ですから、誰にも知られる訳にはいかなかったと思います。王族として、次代の世継ぎを生む者として、決して許されない事でしょうから」
「それは……、そうだろうけど……。でも、顔を合わせてから言わなくなったから、てっきりそういうポーズなのかと……」
苦し紛れの言い訳と、気を悪くさせる様な台詞にも、ケルス姫は気にした素振りも見せない。
「あなたに言うな、と言われたものですから。そのまま続けていたとしても、反感が増すばかりだと思いましたので……」
「それは確かに、うん……間違いない」
「でも、いつだって、最初からその想いは変わらぬものでした」
ケルス姫が更に小さく笑むと、マコトは忙しなく左右へ視線を動かし始めた。
愛情を含んだ視線で見つめられ、動揺を隠しきれず、視線も合わせていられない。
――情けない。けど、実にらしい。
「……それで、どうでしょうか。……協力を、願えませんでしょうか?」
「あぁ、うん……。そうは……」
「あまり決断を急かしたくはないのですが……。今も女王は力を蓄え、そして、それに反して結晶剣は力を失っているでしょう。どうか……」
「それは……うん、そうなんだろうけど……」
頭を下げたケルス姫に、マコトは視線を彷徨わせて曖昧に頷く。
――どうするもんだか……。
マコトは、しばらく悩ましげに思案していた。
その間も、ケルス姫は乞い願う様に頭を下げたままだ。
沈黙は長く、静寂は更に長かった。
しかし、いよいよマコトが決意して、ケルス姫の肩に手を置く。
彼女が頭を上げて瞳を輝かせたところで、横合いから声が刺さって動きが止まった。
「――そこは即座に断って欲しかったところです」
唐突な闖入者に、マコトとケルス姫、二人が警戒も顕に声のした方へ身体を向ける。
だが、その声が聞こえた時点で、誰なのかという予想は既に付いていた。
そして、目を向けた先には、予想どおりの女性が立っている。
メイドのお仕着せを着た、冷淡に見える美貌の彼女――。
シュティーナが、一切の汚れも傷も見せず、バルコニーの大扉付近に立っていた。
「お前ッ――!」
ケルス姫は声を荒らげ、詰め寄ろうとしたものを、マコトが手で制して止める。
この状況にあって、どこまでも冷静で平坦に見えるシュティーナは、異常の一言に尽きた。
ケルス姫にしても、事前に誰かが来ると予測していた筈だ。
それでも、目当ての人物が現れた事で、激昂を抑えきれなくなったのだろう。
しかし、シュティーナの異常性は、単に冷静に見える部分だけではない。
魔物に蹂躙されている城内を歩いて、今なお無事で済んでいる。
ケルス姫の汚れて破れたドレスと、傷一つないシュティーナのお仕着せを見比べれば、その不自然さも際立つというものだった。
そのシュティーナが、感情を表に出さない視線を向けて、冷静な声音で言った。
「マコト様……。それは少々、迂闊すぎるのではありませんか? 情に訴え掛けるのは、騙しの手管の基本です。姫様は、この国を救いたいという思いが先行し過ぎて、物事の重大さを取り違えています。……どうか、正しい判断をお願い致します」
「シュティーナ……、君が言う事も、きっと間違いではないんだと思う。国家の存亡という意味では、現時点で絶望的だ。多くが手遅れで、魔物の氾濫も防げないのかもしれない。この国だけでなく、外に目を向けて考えた時、尚さら正しいのかもしれない」
ケルス姫からは驚愕の、シュティーナからは納得の表情を、それぞれから向けられる。
だが、シュティーナの言葉を、素直に信用する時期はとっくに終わった。
その本音を隠し、マコトを利用して事を為そうとしている。
果たして話すつもりがあるかどうか疑問だが、その真意は訊いておきたいところだった。
マコトもまた、同様の疑問を彼女にぶつける。
「なぁ、君は何者なんだ? 本当にメイドなのか? とてもそうは思えないんだけど」
「私は彼女など知りません! この城に、あの様なメイドは居ない!」
「それはまた御無体な。私はしっかりと、メイドでございますよ。嘘は申しません」
感情的なケルス姫と、対象的に冷静なシュティーナ。
その部分だけ見れば、ケルス姫が苦し紛れにシュティーナを排斥したがっている様に見える。
自らの邪魔をする者の排斥をしたいのに、十分な証拠や材料がないから、感情に任せている様に見えるのだ。
しかし、単に感情的となっているだけと見るには、ケルス姫の感情は異常だった。
そこには憎悪の視線が全く隠れていない。
お互いの目的が対局であるから当然とも思えるが、それだけではないだろう。
そのシュティーナが余裕を崩さない冷静さで、手の先を結晶剣へと向ける。
「無事、目的の魔法を手に入れられましたね。標的は目の前、それで全てが解決します。あなた様の覚悟が、実を結んだ結果なのです。その覚悟のまま、粛々と事を済ませば宜しいかと。私もお付き合い致します」
「それも一つの責任の取り方かもしれない……」
「マコト……!」
明らかに同意する発言に、ケルス姫が縋る様に腕を取る。
だが、マコトはそちらへ目を向けず、そのままシュティーナを一直線に見つめていた。
「でも、その前に一つ訊きたい」
「……何なりと」
「何故、君のお仕着せは綺麗なんだ?」
その質問に、シュティーナは全く反応を示さなかった。
虚を突かれた、という風には見えない。
だが、流暢に喋っていた口が閉じたのは、その失態を挽回しよう悩ませている様に見える。
彼女の表情は、その指摘を受けても一切動いていない。
だが、だからこそ、一介のメイドとしては異質だった。
完璧な感情制御、そして表情筋の制御は、単なるメイドの必須能力ではない筈だ。
いつだったか、よく出来た使用人は、主人に気配を悟らせないと聞いた。
その卓越した技術で魔物を掻い潜ってきた、という説明も受けた。
だからといって、その技術さえあれば地獄と化したこの城を、一つの傷も汚れもなく、動き回れるとは思えなかった。
それ以上の、隠密に特化した技術を身に着けていなければ、不可能だと思わずにはいられない。
だが、シュティーナには魔物を避ける道具もある。
「魔物を避ける匂い袋もあった。確かにあれは良く効いたよ。だけど、それを加味したって、そこまで綺麗でいられるものか?」
「匂い袋……そんなものが……。だから……!」
ケルス姫は何か思い当たる点があり、そして、どうやら合点がいったらしい。
その間にも、シュティーナは表情を変えていない。
しかし、マコトにその気がないと悟ってか、結晶剣へ指し示していた手を臍の辺りに戻した。
ただ、背筋の伸びた美しい所作で起立しているだけだ。
「私に魔物が寄って来ていたのは、それの為? 他所の階から異常な大移動、執拗な索敵……全てお前の仕業……!」
「その様な事実はございません。被害妄想を、こちらを攻撃する手段にすり替えないで下さいませ」
「邪魔だから、殺させようとしていたのでしょう!? 魔物による被害なら、マコトも不審には思わないものね……!」
ケルス姫は指先を突き付け糾弾する。
しかし、シュティーナにとってはまるで柳に風だ。
彼女の言葉など右から左で、ケルス姫とは目も合わせようとしない。
「魔物は女性ならば率先して襲うものです。魔力が強いともなれば、格好の餌と見られた事でしょう。それだけの話なのでは?」
「――いいえ、いいえ……! そう、マコトが目覚めたその時にも! まだ多くの猶予があったにもかかわらず、東棟へ魔物が流れてきた。対処している間に、マコトと接触、そして連れ出した……! それも全て、あなたがやったことなのでしょう!?」
「全く存じ上げません。全ての悪事を、私に擦り付けないで下さい。そもそも、事の発端は王室の傲慢さが呼んだ事ではないですか」
その一言で、ケルス姫の言葉が詰まる。
それまでの糾弾を堰き止めてしまう程、シュティーナの一言は重かったらしい。
「マコト様、耳を貸したりなさらないで下さい。姫様は必死に、あなたの心を繋ぎ止めようとしているだけなのです。……何故なら、あの方にはもう後がない。目的の為ならば、どのような出鱈目でも並べるでしょう」
「……それは今は良いんだ。それより、服に付いてまだ答えは貰ってない。魔物を引き連れて逃げた……、そうなんだろう? それなのに傷一つなく、汚れ一つなく、そこまで上手く逃げられるものなのか……?」
一度標的とされてしまえば、どこからともなく魔物は現れるものだ。
物音や悲鳴などで呼び寄せた訳でなくとも、誘引される様に魔物は現れる。
その理由こそ、ケルス姫が言っていた、女王の目を通して他の魔物を呼び寄せるからに違いない。
だから、目立ったやり方では、全く感知していない、別方向の魔物さえ呼び寄せてしまう。
匂い袋は、実際大した効果で、多くの魔物を引き寄せる。
だが、それだけで全ての状況に対応し、回避できるものではないだろう。
今のマコトの実力なら、あるいはそれも可能なのかもしれないが――。
それをやって来たのは、シュティーナなのだ。
「……えぇ、それもまた、貴族の嗜みです。既にお分かり頂けていると想いましたが……」
「貴族は戦場に立つ、というアレか……。高度な護身術を身に付けているって……? でも、本当にそんな事で?」
護身術、と口にしたところで、シュティーナの柳眉が僅かに歪む。
彼女は、敢えて明言を避けているかの様に見えた。
この場で、それを追求されたくなかったのだろうか。
確かに、この国の貴族全員が護身術を身に付けていたら、ここまで酷い事態になっていなかったかもしれない。
だが、誰も彼もが一流だった訳でもないだろう。
敢えて明言を避ける程、粗になるなる発言とは思えなかった。
「……随分と念入りに、お疑いなりますね。私の事が、今更そんなに大事でしょうか?」
「疑わしいものを疑うという、ごく真っ当な事をしているだけなんだけど……」
「疑えるだけの根幹を持たないでしょうに」
それはマコトを揺さぶり、そして突き刺す一言でもあった。
元よりこの世界の記憶も、常識も失くしてしまったマコトだ。
強弁されれば、そうなのかと納得するしかない場合は多く、そしてその為にこれまで動かされてきた。
だが、今のマコトはただ流されるままに動く駒ではない。
自ら考え、心の奥から湧き出る想いで行動する。
それこそかつて、シュティーナから伝えられた言葉でもあった。
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