迫る決断、遮断される結末 その4
バルコニーの先端まで辿り着いた後でも、マコトとケルス姫の間に言葉はない。
ただ、向かい合って立っているだけだ。
誰もが目を奪われる美貌にも、今では陰りが見えている。
本来なら、王族として表情を制御するのもお手の物だろうが、そんな余裕もないらしい。
マコトが東棟から動き出してから、多くのすれ違いや行き違いがあったからだろうか。
それとも、魔物から逃亡を続けてきた疲労から来るものだろうか。
その両方、という気がした。
ドレスに付着した多くの汚れや血の染みは、ケルス姫本人の物だけではないだろう。
魔物の返り血もまた、そこには付着している筈だった。
炎に炙られ焦げている部分も多く、それを一国の姫が今も身に着けている事態が、現状の悲惨さを的確に表している。
ケルス姫は疲れた表情でじっと見つめ、そこでようやく笑みを浮かべた。
到底、気安い間柄に向けられるものではなく、諦観によく似た笑みだった。
その笑みを浮かべてもマコトからの反応は薄く、困ったような眼差しを向けて来る。
「ようやく……というべきなのでしょうか。呼び掛け、待っていてと伝えても逃げられ、留まっていてと言っても逃げられ……。でも、今度の呼び掛けには応えてくれた……。でも、こうして直接顔を合わせてくれたなら、こちらの希望に沿ってくれる、と考えても良いのでしょうか?」
「……どうだろうね。やり方に不備があったと思うし、誤解させる部分も多かった。来るだけは来たけど、どうするかは話を聞いてからだ……」
「そうですね。……それに、妨害もあった」
ケルス姫はマコトから視線を切り、憎悪の籠もった瞳を斜め上へと向けた。
強張った表情からは、奥歯を噛み締め必死に堪える感情も伺える。
本当なら、喚き散らし、叫びたい様な心境だろう。
だが、一国の姫として、無様な姿は見せられない気概から、その様な態度を取っているように見えた。
「まずは、これを……」
表情と視線を戻したケルス姫が、その掌を差し出す。
肘まで届く長い手袋は所々破れていて、血の染みも付いていた。
痛々しさが目に入るが、それよりもそこに置かれたものに嫌な気配を覚える。
ケルス姫が差し出してきたのは、記憶の魔石だった。
今度は何を見せるつもりだ、という思いが去来する。
マコトは警戒のつもりか、拒絶のつもりか、その為に一歩下がった。
「誤解されている様ですが、この魔石は記憶を封じたものではありません。魔法が記されている結晶石です。色が違うでしょう?」
「確かに、これは緑色だ……」
これまで見て来た記憶の魔石は、例外なく青い色をしていた。
透き通った青に対して、差し出してきた魔石は深い緑色をしている。
宝石よりも細やかな輝きを持ち、波の様に揺蕩うものが内包されている。
それこそが魔石の中に、より強い魔力が籠められている証拠なのだろう。
「じゃあ、つまりこれが……」
「えぇ、直接顔を合わせる必要があったのは、これを渡す為です」
「魔法を簡易的に習得できるって聞いてたけど、これを使うのか……」
アキラが呆けた声を上げて、いつか聞いた話を思い出す。
誰にでも習得出来るような形に改良したのも、またマコトなのだと。
どういう方法かまでは知らなかったが、魔石を用いるとは予想してなかった。
「となると、これも記憶再生装置を使って……? いや、それだとおかしいか。他に別の装置が?」
「いいえ、恐らくそれで合ってますよ。……というより、あなたは勘違いしています」
「え、どういう事……?」
あれは映像装置でしかない筈だ。
謂わば、ヘッドマウントディスプレイと呼ぶべき代物で、魔法習得装置ではない。
今から実際の使い方を見て魔法を学ぼう、と言いたい訳でもないだろう。
仮にマコトには可能だったとしても、万人にも可能で、簡易な方法とは思えなかった。
「記憶再生装置、ですか……。それ、誰から聞いたのです?」
「誰って、シュティーナ……だけど。まさか……」
実際に記憶の映像としか思えないものが見えていたので、そう言われてすんなりと納得していた。
それ以上に相応しい名前もなく、だから何の疑いも持っていなかった。
「記憶を見る分には、それも正しい表現と言えるかもしれません。ですが、あの装置の本質は、脳に直接情報を植え付ける事です。あの映像……まるで現実と区別の付かなく見えませんでしたか? 目の前に映像が映っただけなのに、その場に存在するかのように錯覚までする。単に映像を見ているだけ、というには余りに……」
「いや、でも……、そういう事もあるのかと……」
「顎から下を、ヘルメットは覆っていないのに? 少し視線をずらせば、自分の胸元だって視界に入るでしょう? それなのに、一度として、違和感を覚えなかったのですか?」
覚えなかった、としか言えなかった。
マコトは絶句してしまって、何も言えない。
あのディスプレイ部分は、金魚鉢を逆さにした形のヘルメットだった。
首元は当然緩く、いつだって『リアルな映像』との境目は近くにあったのだ。
だが、一度としてその事に気付けていなかった。
「脳に直接、魔石に封じられた情報を書き込む。それが、あの装置の本質です。正式名称は転写装置といいます。なればこそ、誰にでも簡易に魔法を身に付ける事が出来るのです。――そして、この名称を正しく知っている者は限られる。……非常に、限られているのです」
「そういう……事か……」
その限られる人物というのが、つまりケルス姫を含めた極少数という事なのだろう。
そして、シュティーナは正式な名称を知らなかった。
何しろ、記憶をそのまま植え付けるという方法は、対外的にも良い印象を与えない。
利用者にその実態を教えていないのは問題だが、直接脳にコピー・アンド・ペーストする手法は、多くの人にとって受け入れられないだろう。
実利を取った結果の事かもしれないが、いずれにせよ、この場合シュティーナの正体を探るのに役立った。
そして、それを認めるならば、これまでマコトが見て来た映像も、目で見ていたのではないと認める事になる。
あくまでも、脳に転写されたものを見ていると、錯覚していたに過ぎなかったのだ。
考えてみれば、あのヘルメットにはスピーカーがない。
しかし、目の前にリアルな映像があるというだけで、音も聞こえて当然と思い込んでいた。
違和感というなら、この時点で違和を覚えて良さそうなものだった。
「話を戻しましょう。この魔石について」
「あ、あぁ、うん……」
マコトがぎこちなく頷いて、ケルス姫の掌に置かれたままの魔石を凝視した。
この中に封じられた魔法とは一体何か、その予想は付いている。
そして、それを差し出してくる理由も、今となっては理解できた。
「あなたがかつて宿していた魔法、それがこれです。あなたが開発した新魔法。これは魔力そのものを、爆発力に変換する力を持っています。直接的な破壊力こそ持ちませんが、接触すると魔力が暴発する、と思えば良いでしょう。人に使えば、人そのものが爆発物へと変わるでしょうね」
「なんと……、恐ろしいものを……」
「より強い魔力が、より強い爆発力を生む。そういう意味では、自分よりも強い、魔法使い殺しの魔法と言えるのかもしれません」
しかし、使う場所を選べば――。
結晶剣にでも使えば、一国を滅ぼして余りある、巨大な爆弾に早変わり、という訳だ。
「これを一度、私はあなから抜き出しました。それを今、お返しします」
「魔法を覚えるのも簡単なら、忘れる事も簡単、か……」
それもまた、記憶を抜き出す方法と、原理を同じにしているのだろう。
まるで、アプリのインストールかの様だ。
必要な時に導入し、使わなくなれば抜き出してしまう。
あるいは、他の魔法と交換する。
人が身に付けられる魔法の数に限界があるというなら、それは確かに便利な発明だったろう。
「でも、良かったの? この魔法を、君は隠し通す事だって出来た。出来るなら、永遠に使って欲しくないと思っていた筈だ」
「そうですね、それはそのとおりです」
「この魔法がなくても、あるいは僕なら、結晶剣を上手く破壊できてしまう可能性もあった」
アキラの戦闘力は凄まじい。
そして、魔力また、想像を絶するものがある。
使う魔法を選べば、新魔法より規模は落ちようとも、破壊は巻き起こせるという期待を持てる程に。
「えぇ、単に爆発力の強い魔法で破壊しても、城を吹き飛ばす程度の爆発は起こせるでしょうから。可能なら、あなたをここに近付けたくはなかった。……けれど、この場を選んだのは
「それは……魔物に?」
「魔物である事は間違いありませんが、そうではなく……。もうすぐ元凶に出会えると思うので、それはその時、お話しするとしましょう」
何を言いたいのか、誰の事を指しているのか、その口ぶりからも予想は付く。
今となっては、二人の間を引き裂き、決裂へと追い込んだ人物など他にいない。
その人物がこの場に現れると踏んでいるのなら、その時を待ってからでも遅くはなかった。
マコトはここでようやく、ケルス姫から魔石を受け取る。
そうして、胸元の宝石へと収納させながら問いかけた。
「でも、何故これを渡すつもりに? 君にとってはリスクの方が大きいんじゃないの?」
「えぇ、確かに最初はリスクばかりが大きいと判断しました。だからこそ、その魔法を取り除いたのです。……しかし、今となってはそれ無しで女王を倒すのも難しい。危うかろうとも、それに縋るしかないのです」
ケルス姫の眉間にシワが寄る。
隠している筈の疲れた表情が、そこで如実に表出していた。
「今となっては……? つまり、女王はより強大になっている……とでも?」
「その様に考えています。魔力を内包する物を食べ、卵を産み付けるのが魔物の本能です。ですが、魔力の含有量でも、生まれてくる魔物の強さに隔たりがある……」
顔を険しくしたケルス姫は、深刻な声音で言う。
そして、その内容から、どういう意味か僅かなりとも理解した。
魔物は地下からやって来る。
女王が産み出す魔物が、地下から溢れてやって来るのだ。
そして、魔物の個体が最初期より強くなっているのだとしたら、それはつまり女王もまた強力になっていると推測できてしまう。
ケルス姫は、当初は封じていた魔法を解禁する決断をした。
その必要があると判断したのは、初期の構想では対応し切れない、と判断したからだろう。
「全ては大局を見誤り、そして最初から全てを見誤っていた私達の責任。共に終わらせなければなりません」
「……私
「言う必要はないと思い、忘れたままで良いと思っていました。……でも、最初から思いは重ならず、今では大きく反する始末……。秘するつもりでいましたが、伝える事と致します」
ケルス姫の眼差しは、憐憫と苦難に満ちていた。
己を責める眼差しであり、マコトに対するものではない。
ただ一人、その重荷を背負うと決めた、為政者としての顔だった。
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