異様な空気に包まれる

 入学式が始まり、早速新入生が一人一人名前を呼ばれていく。3組の番は早めに来たので、今は既に終わっていて、後ろの遅い数字のクラスを待っている。


「ねえ。さっきの……。あの子と知り合いなの?」

「……わかんない。でも、そう見えたの」


 洋子と圭子が小声で話しているうちに、呼名は終わった。そして校長先生の話になれば、2人は一気に眠くなってしまった。さっきまで教室で居眠りをしていたというのに、うとうとしてしまう。校長先生の話は、ある意味では魔法のようなものだと2人は思った。


「ねえ、先生に見られてるよ?」


 2人がうつらうつらと眠たそうにしていると、<こうじ>からチョンッと肘をつつかれた。ビクッとして背筋を伸ばせば、先生達はその態度の変わりようで逆に睨んでくる。遠くで3組の担任、松下先生だけが笑いを堪えるようにそっぽを向いた。


「極端すぎ」


 <こうじ>の方も笑いを堪えているのかなんなのか、震え混じりの声でそう言った。顔には全く出ていないので、本当にそうなのかはわからない。


「本宮……。本宮幸司もとみやこうじ


 いつの間に来ていたのか、松下先生が<こうじ>のすぐそばにいる。今更だが、彼の名前は本宮幸司と言う。


「はい」


 幸司は席を立ち、先生と一緒に脇の方へと避けていってしまった。


「どうしたのかな?」

「どうしたって言うか…この後、生徒会長からの言葉があるし……。その後は新入生代表の言葉でしょ」


 洋子の疑問に圭子が答えてくれた。今呼ばれたという事は、そういうことだろう。と予想がつく。


 そしてその予想通りで、新入生代表で壇上に上がったのは、本宮幸司だった。


 幸司が演台の前に立つと、ガラリと空気が変わった気がした。今朝、女子生徒達に囲まれていた事でもわかる通り、幸司の容姿はかなり優れている。しかし、それだけでは無い。幸司には人を惹きつける雰囲気が確かにあるのだ。


 体育館内はザワッと騒がしくなって、自然と幸司の方に注目が集まる。しかし、そのザワザワとした空気も長くは続かない。幸司が挨拶のために頭を下げるその所作が、あまりにも完璧で美しかったのだ。


 体育館内にいる全員が思わず目を見張り、息を飲んで幸司を見つめる。声を出してはいけない。彼から目を逸らしてもいけない。どことなくそんな雰囲気を漂わせ、幸司はニコリと笑う。そして、ゆっくりと口を開いた。


 正直、挨拶も完璧だった。高校生だから、新入生代表だからレベルが高い。とかそういう次元ではない。生徒会長の祝辞…どころか、今までの先生方の話しまで全て忘れてしまう。記憶が書き換えられ、今までの入学式での全てが霞んでましまう程の挨拶を、彼はしたのだ。


 その完璧な挨拶に、誰もが目を奪われ釘漬けになる。誰も、何も喋らない。礼を促すはずの司会ですら、唖然と幸司を見つめてしまっている。幸司が一歩後ろに下がって最敬礼のお辞儀をしてやっと、周りがハッとした。


「れ、礼っ!」


 司会が急いで礼を促せば、最初から頭を下げていた幸司はもちろんのこと、全員が頭を下げる。入学式に参列している保護者までもが思わず全員、礼をしてしまったので異様だ。体育館内は一時的に異様な空気に包まれた。


 それを気にした様子もなく、幸司は綺麗な笑顔を作って壇上を後にした。


。。。


 入学式が終わった後も、幸司の話をしている人がチラホラと見受けられる。それ程までに、幸司の挨拶は素晴らしかったのだ。


 暫くの間、そんな様子が続いていた。新入生達も保護者達に会いに行くことも、教室に戻ることも無く、体育館内に残っていた。


 ようやく生徒達が動き出したのは、式が終わってから数分程の時間を置いてからだ。魔法が解けたかのように、ゾロゾロと一気に人が動き出した。


「洋子もお母さんのところに行くの?」

「行くよ! 圭ちゃんは?」

「うん、私も。それじゃあまた後で。教室でね」

「うん!」


 洋子は勢いよく体育館の外に出る。渡り廊下にも桜の花びらが舞い、綺麗だ。洋子はそう思いながら、辺りをキョロキョロと見渡した。


 優香はすぐに見つかった。洋子を待つために体育館の入口付近に立っていたから……。


 母親を見つけた洋子は、パッと走り出す。無邪気な子どものように、母にギュッと抱きついた洋子は、パッと顔を上げて華やかな笑みを浮かべた。


「お母さんのスーツかっこいいね!」


 洋子は母のスーツ姿に目を輝かせている。兄の入学式の時はお洒落で華美なスーツを着ていたが、今はどこか落ち着いた、優雅な雰囲気のスーツを着ている。


洋子はどちらも好きだったが、今目の前で着てくれているスーツ姿が目に焼き付いて物凄く素敵に見えた。


「ありがとう洋子。それから、入学おめでとう。今朝、言わなかったわよね?」

「嬉しい! ありがとう!」


 優花が優しく微笑むと、洋子はまた、パァッと華やいだ。心の底から嬉しさが溢れている可愛らしい笑顔は、優花を巻き込んで和やかな空気を作り出す。舞い散る桜とも相まって、周りから見た2人はとても絵になる。


「そうだわ。外の桜が綺麗だったから、洋子と写真を撮りたいと思っていたの」


 優香がポンっと手を叩いてそう言うと、洋子も真似をしてポンっと手を叩いた。


「撮りたい! 圭ちゃんも呼んでいい?」

「もちろん」

「わあ! じゃあ呼んでくるね!」

「あっ…洋子!?」


 洋子がパッと身を翻すと、後ろに誰かがいたようでぶつかってしまう。転ぶまでの衝撃はなかったが、洋子は一歩後ずさり、ぶつけた鼻を押さえながら頭を下げた。


「ごめんなさい!」

「ううん。大丈夫」

「あ、幸司くん……」


 ぶつかった相手は幸司だった。周りが保護者や友達といる中を幸司は1人でいるので、その容姿と相まって少々目立っている。


「洋子、大丈夫? お友達の子も」

「……はい。俺は大丈夫ですよ」


後ろからかけてきた優香に、幸司はニコリと微笑む。優香は幸司の顔を見ると、少しだけ目を見開いた。

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