一番星はチョコレート

しうしう

プロローグ&第一話「チョコレートは逃げ出した!」

プロローグ


 夢は、夢見るものでなくてはなりません。

 どきどきと心の踊る、わくわくと胸の逸る、今にも駆け出したくなるほど魅力的なものでなくてはなりません。

 笹の葉に祈りをかける様に、流れ星に三回望みを唱える様に、枕の下に願いを隠す様に。

 夢は、希望と期待を込めて、夢見るものでなくてはなりません。

 それからもう一つ、夢は夜中に見るものです。

 だから、この物語の始まりは、お星さまが空を駆け降りたところから。

 闇夜を駆けては夢を追う、素敵な彼らのお語は、こんな星が満ちては溢れるような、夜空の下から始まらなくてはならないと、きっと世界が始まる前から決まっていたのです。

 それから、それから、もう一つ。きっとこれだって、海が出来るより、空が出来るより前から決まっていたことでしょうから。

 素敵な物語の傍らには、温かい紅茶と甘いお菓子のあることを、お忘れなきようお願いします。



第一話「チョコレートは逃げ出した!」


 幕の上がった舞台は、ちょっと草臥れた煉瓦造りの、古めかしい小さな街。

 その夜、空の片隅で、誰にも気づかれずに零れ落ちた流れ星がありました。

 そして、同じように、町の片隅の小さなお菓子屋さんのショウウィンドウの片隅で、誰からも忘れ去られていたチョコレートが、その日とうとう捨てられました。

 世界中の全ての人にとって、ありふれた夜でした。

 けれどその夜、静かに、そして劇的に、物語は確かに始まったのです。

 特筆する必要もないような、いつも通りの世界の営みの中の、たった二つのその出来事が、その夜の中で一番大切な出来事だったのです。少なくとも、彼らにとっては。そして、これから彼らに巻き込まれていく、全てにとっても。

 

 宝石と、フリルと、甘いお菓子。そんな素敵なものが並んでいるショーウィンドウは、眺めているだけで心が躍ります。世界中の子供にとって、いいえ、大人にだって、お菓子屋さんのショーウィンドウは、うっかり心を攫われるくらい魅力的なものでしょう。

 けれど、別世界のように美しいショーウィンドウは、残念ながら別世界ではなく、やっぱりどうしても、お金や時間や場所と言うコストに縛られた現実なのです。入れ替えたり、掃除したりして、営まれている現実なのです。

 だから当然、ショーウィンドウの後ろのお店の裏にはゴミ捨て場があり、生ごみだって、汚れた雑巾だって、失敗作のお菓子だって捨てられていて、売れないお菓子だって、そこ行きになるのです。

 さっきまで、ショーウィンドウを煌びやかに飾っていた一粒のチョコレートが、そういう運命になりました。

 ちょっと変哲のあるチョコレート。小さな円い台座のような形、その表面の平たい部分には、凝ったアイシングで、シルクハットとマントを被った人が描かれています。パッケージを見るに、どうやら怪盗を象った細工の様。

 そんなチョコレートは、箱ごと摘ままれて、包装の裏に書かれた日付を確認されて、バックヤードに運ばれて、その他の色んなものと一緒にポイ。それだけで、それは商品から、ごみに変わりました。灰被りよりも劇的に。零時を境に夢から覚めるのは、魔法も消費期限も同じなのです。


 そして、ところ変わって、夜空の片隅を人知れず流れ落ちて行った、一片の星くずにスポットを。

 一直線に空を横切り、そのまま燃え尽きて消えたかと思われる流れ星。星の行く末はそのように決まっていると、皆が知ってる運命を、しかしその星は辿りませんでした。

 その星は、天球の端から急降下、地面の側までやって来て、うろうろうろうろ迷い星。あちらの路地からこちらの路地へ、人目を避ける様に、あるいは何かを探すように、蛇行しながら飛んで行きます。

 どうやら、星では無いらしいその光球は、そうしてついに、とあるお菓子屋の路地にたどり着き、金属製の業務用ごみ箱の少しずれた蓋の隙間から、内部に潜り込みました。

 奇しくもなく、運命の通りに、『その』お菓子屋は『あの』お菓子屋で、ごみ箱の中には迷い星とチョコレートが一揃い。

 そして、ごみ箱の中なんてロマンの無い場所から、可愛らしい声が一つ。

「見ーつけた!」

 誰も見てない路地裏に閃光が弾け、小さく爆発。そうして、反作用で跳ねたごみ箱は、大きな音を立てて転倒。路地裏にごみを撒き散らしながら転がります。その音で起きてきたお菓子屋のご主人は、自分の家の裏口がそんな有様になっているのを見て、頭から湯気を噴き上げました。

 ごみ箱に捨てたものを全部覚えている人が、一体どれだけいるかしら? お菓子屋のご主人も、ぷりぷり怒りながらかき集めて捨て直したごみの中に、チョコレートが一つ足りないことになんて、気づきはしませんでした。

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