第4話 旦那さまの告白〜はじめての口づけ〜

「ずいぶん昔のことになりますが……。柚結さんにはささいな出来事でしょう。 ……きっと覚えてらっしゃらないかもしれないな」

「聞きたいです! だって陽太さんと初めてお会いした大事な日なのですよね?」

「俺との出会いが大事……ですか?」

「もちろんっ。私にとって大事なことです。……覚えていなかったなんて申し訳なくって。私にどうか教えてください」


 陽太さんは私からそっと体を離して、手を繋ぎました。

 促されて、屋敷のお庭の池のほとりに佇む竹の長椅子に二人、座りました。


「俺も柚結さんあなたも、今より幼なき時分の話になります」

「……はい」


 陽太さんが見つめてくると、その奥の瞳はじっと思い出を探っているようでした。

 私の膝の上の手に、陽太さんの手がそっと優しく重ねられます。


「春乃と風葉が好奇心から勝手に人間世界に行ってしまったのです」

「春乃ちゃんと風葉くんが!?」

「はい。……実はですね、先日夫婦の契りの儀式に祠に行ったでしょう?」

「ええ、あの桜の素敵な場所の祠ですね」

「あの祠は人間世界のある祠と繋がっています」

「えっ? それってまさか」

「そうです。柚結さん、あなたとお母さまがせっせと磨いて綺麗にしてくださっていた祠とです。あなたがこの前、倒れていたあたりにある」


 私は思いを馳せました。

 そのちいさな祠は、私たち親子の心の拠り所でもありました。

 毎朝、無事に太陽を見られることが出来て、慎ましくも飢え死にすることなく生きていられる。

 祠の掃除をさせていただいて清め、ささやかな一日の無事を母と祈りました。

 拝んでいた時、母が小さな声で祈った言葉が忘れられません。


「私のことはかまいません。だから柚結をお守りください。幸せなところへ導いてやってくださいませ」

「……お母さん」


 私は母の健康と長寿を願いました。しかし、思いは届きませんでした。

 そう思っていたのです。

 ですが、母は私を身ごもるだいぶ前から、実は肺の病を患っていました。


「柚結……。あのね、お母さんは神様にずいぶん寿命を延ばしていただいたのよ。だって覚悟した時間より、あなたとたくさん時を過ごせたの。しかも、痛みはなく、元気だって錯覚するほど健康になったと思わせてくれるほど、苦しくなかった。……柚結、きっと祠の神様がちゃーんと見ていて守ってくださったのよ」

「いやです。お母さん、お別れしたくない! どうか柚結を置いて行かないで。一人にしないでぇっ。もっと一緒にいて、お母さんっ」

「……ほら、笑顔を忘れないで。柚結、どうか幸せになってね」


 お母さん……。

 ごめんなさい。私のために……、私を産んだばかりに苦労ばかりを背負われた人生でしたよね。


 ……お母さんに会いたい。



 あの祠の前にはささやかな畑があったので、茶屋を開ける前の朝早くには母と耕していました。いつでも眼裏の風景にあります。

 私とお母さんとの思い出がいっぱいあります。

 私は思い出して……切なくなりました。


「柚結さん……。涙……」

「ご、ごめんなさい、泣いたりして。母のことを思い出していました」


 そっと掬うように陽太さんの指が私のこぼした涙をからめとっていきます。

 ふわっと包まれるように、抱きしめられていました。

 陽太さんにこうやってされると私、とっても安心します。


「ごめんね。辛いことを思い出させてしまったかな?」

「いいえ、逆です。大好きだった母との思い出はあったかいのです」

「柚結さん……」


 しばらく二人でじっとしていて。


「ごめんなさい、陽太さん。話の腰を折ってしまいました。お話を聞かせて下さい」

「いいえ、大丈夫ですよ。……それではさっきの話を続けるとですね、春乃と風葉はうさぎに化けていました。で、祠を通って人間世界に行って、二人は雪山で巧妙に仕掛けられた猟師のかけた罠に引っかかったのです」

「えっ……それって……」


 私は記憶の糸を手繰り寄せます。

 遠い過去に、母と仕掛け罠から助けたうさぎが二羽いたのを思い出しました。

 あの時のうさぎたちは、手当てをしようとしたのですが、私の抱いた手をふりきって、迎えに来ていた大きなうさぎと雪山に消えていきました。


「まさか……あの、うさぎ」

「そうです。俺が大きい方のうさぎです。実は人間が春乃と風葉に危害を加えるのであれば妖気で村ごと吹っ飛ばしてやろうかなぐらい思っていたんです。でも柚結さんとお母上さまは、春乃と風葉を助けてくれた」

「陽太さん。あの……先程の村を吹っ飛ばすって、本気ではいらっしゃらないですよね?」

「いいえ。本気ですよ。俺、言いましたよね? 家族や仲間を命を賭けて守るって。だから……あなたのことも全力で守り抜きます」

「あっ、ありがとうございます。だけど村は壊さないでくださいっ。えっと……良い人間もいるんです。私には友人が一人おります」

「怖いですか? 俺のことが」

「いいえ。陽太さんは、大切な者たちを守ろうってしてくださってる優しい方です」


 陽太さんのこの腕に包まれている私、感じている優しさのぬくもりが答えです。怖いわけありません。


「私、陽太さんと出会っていたんですね」

「ええ。あの……」

「はい?」

「白状します。俺、あの時あなたに……。うさぎになった春乃と風葉を守るように大切に抱く柚結さんに一目惚れしたんです」

「ふえぇっ!?」


 私はおもわず、変な声が出てしまいました。


「ごめんなさい。はやくあなたを迎えに行けば良かった。……俺ね、あなたが虐げられてるのを噂で知った時、我慢がならなかったんです。それで俺の怒りで村中に雷鳴がずっと鳴りっぱなしだったんですよ。鬼の妖力の一つである雷雲起こしが、暴走してしまいました。……結果的に天変地異と畏れられ、鎮めるためもあってあなたの生贄儀式と嫁入りが早まり、危険に晒したのは俺の不徳といたすところです」

「いいえ、私が一条家を追い出された原因は雷鳴のそれではありませんでしたから。あの、……お気になさらないで。陽太さんのせいではありませんっ」


 陽太さんの潤んだ瞳が私を見つめております。

 距離が近づいてきて……。


「柚結さんて優しいんですね、ほんと。……俺、あなたが心底好きです」

「陽太さん……」

「夫婦としては仮り初めの婚姻だなんて言ったけど。俺はすごく嬉しかったんだ」

「陽太さん、私も嬉しいです。ありがとうございます。私なんかを好きだって言ってくださってとっても嬉しくて。私、どきどきが止まりません」

「それって本当ですか? 今じゃなくてもいいから……。返事を聞かせてくださいませんか? 俺のまことの花嫁になっていただきたいんです。それから……柚結さん。あなたが俺のことどう思っているのか、知るのは怖いけどやっぱりきちんと知りたい」

「陽太さんは今じゃなくてもいいっておっしゃいましたが……。恥ずかしいけれど、あのっ、私に返事を今告げさせてださい。私もちゃんと心のうちを言葉にしなければと思っておりました」


 陽太さんの顔は緊張した面持ちになりました。

 私はにわかに顔が火照ほてってまいります。


 陽太さんと一緒にいると、どうしても恥ずかしくって。

 照れくさいような気持ちがいつも勝って、顔が火を吹くのではないかっていうほど、熱くなります。


 それから……、心臓がトクントクンドクンととっても煩くなってしまうのです。


 私は想う言葉をちゃんと陽太さんに向けて声に出来るように、深呼吸をしました。

 わずかばかり、息が整います。

 勇気を出さなくっては……。

 陽太さんは私にしっかり伝えてくださいました。

 だからこそ、私も想いの丈をきちんと誠実にお伝えしなければと思うのです。


「陽太さん」

「はい」

「好きです」

「はい」

「私は……、私も陽太さんのことが……好きです」

「……ああ。……嬉しいです。俺も大好き。柚結さんが大好きだよ」

「陽太さん、私もあなたが……。旦那さまのことが大好きです」

「すっごく嬉しい。大好きだよ、柚結さん。……俺の花嫁さま」


 そういった瞬間に……。

 もっと、二人の顔の距離が近くなって。

 陽太さんの顔がすっと近づいて、ちゅっと軽く口づけられてしまいました。


「わあっ……。あのっ、柚結さんの唇ってものすごぉくやわらかくって甘いんですね? 俺、びっくりしました」

「よっ、陽太さんっ、だめです。いけません……。あのっ……! あのですね。……か、感想とか! 口づけの感想とかおっしゃらないでください」

「――どうして?」


 私の耳元にいたずらに囁かれて、ふっと陽太さんの息がかかります。


「からかってらっしゃいますよね?」

「いいえ、とんでもないです。俺は余韻を堪能しているだけです。なにせ、生まれて初めての接吻だったもので……」

「私だってそうですぅ」

「初めての相手が大好きな柚結さんで良かった。……もう一回しても良いかな? 俺、したいんだけど」

「だめですっ! もおぉぉっ、今日はだめっ! さあ、陽太さん。おやつのお菓子づくりを再開しましょう」

「……なんだ。柚結さんって、けっこうつれないんですね」

「恥ずかしいんです。……あの、私は初めてを大切に何度も思い返したいとも思っています」

「ああ、それ。男の俺には殺し文句ですよ。可愛らしく鬼狐おれを煽ってしまいましたね」

「陽太さんっ? ……んっ」


 二度目に重ねられた唇は、長く熱さを感じられました。

 ぎゅっと陽太さんに抱きしめられながら……。

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