第2話 鬼狐神さまと祝言と夫婦の儀式
私はこの妖怪の村里の長である鬼狐神族の陽太さんに迎え入れてもらい、みなさんとご一緒にお屋敷に住まわせてもらえることになりました。
表向きは、……あのっ、私は陽太さんの花嫁さまです。きゃあっ……。甘い響きですね。
助けてもらった次の日に、仮り初めではありますが、夫婦の契約儀式を行いました。
今、思い出しても、妖怪の花嫁になる私の陽太さんとの夫婦の契約はとっても不思議で楽しい体験でした。
♡♡♡
「どう思う? 駿太郎? 人間としての柚結さんを花嫁に迎え入れたとするか、柚結さんを妖怪だとしておくか」
「妖怪のほうが都合がいいんじゃねえの。兄ちゃんの花嫁が人間だと知ったら、兄ちゃんを長から降ろしたいと燻ってる奴や人間の女が好きな良からぬ男衆が狙うかもしれねえし」
「そうだな。うん、妖怪でいてもらおう。柚結さんを危険な狼どもに狙われたら困るから。それで良いですか? 柚結さん」
「良いです。それが陽太さんにご迷惑をかけない方法であれば……」
「柚結さん、ご自分が妖怪であるって演技をしてくださいね。まあ、夫婦契約を結べば妖怪っぽくなれますから」
「妖怪っぽく……?」
「ええ。ちょっと儀式が必要ですけどね。身を守るためですし、ちっとも痛くはありませんから心配しないでください。大丈夫ですよ」
妖怪の世界にも、いろいろと問題ごとがあるんですね。
私が妖怪っぽくなったら、どんな姿になるのでしょう?
陽太さんや駿太郎さんたちは、小さな角が二つついていて、頭に狐さんの耳があります。
それからお二人には大きなもふもふの尻尾が。ふりふりしてます。
触ったら、気持ちよさそう。きっとふわふわな肌触りなんでしょうね。
ああっ、自分から触りたいだなんて思っていませんよ!?
そんなの、とっても、はしたないですもの。
「しっかし、奥手で初心な兄ちゃんが花嫁をもらうねえ……。ソイツが、ちんちくりんが兄ちゃんの花嫁っ。なんかさー役不足っていうか。それに兄ちゃんはさ、そのー、夫婦らしく出来んの? 誰とも付き合ったこともねえのに」
「出来る! 見限るな。俺は柚結さんが相手なら大丈夫だ。駿太郎、あのなあ、それに柚結さんを守るためだから」
「あのっ、ありがとうございます。陽太さん。……私なんかを守るだなんて言ってくださって」
「良いんですよ。だって……。柚結さんは俺の……初恋の……」
「初恋……?」
陽太さん、初恋ってなんのことでしょうか?
私が初恋のかたに似ているとかですかね?
「いや、あのその。……えっ、えーっと! 柚結さんはもう、俺たちの大切な家族ですからっ!」
「きゃあっ」
ぐいっと陽太さんに肩を抱き寄せられて、私は刺激が強すぎて失神しそうです。
「駿太郎、俺たちなら夫婦の演技ならこれぐらい出来る。ねっ? 柚結さん」
「はわわわわっ。はっ、はい……」
「無理しちゃって」
「俺は無理などしていないよ」
「いや、無理をしてるのはソイツの方って感じ」
「柚結さん、演技でもイヤですか? 夫婦のふりは? ……うーん。不自然にならないようにくっついたりする予定だからなあ」
ぐぐっと悲しそうな表情の陽太さんの顔が近づいて、私は頭が沸騰しそうです。
「クスクス……。ぷはははっ、ソイツ照れてるみたいだぜ? まあ、とりあえず。そういうのは二人きりの時にソイツと練習していきなよ、兄ちゃん。誰もおらんぞって場所でね」
「うん、そうだね。練習していきましょう、柚結さんっ!」
「はっ、はいっ」
私、陽太さんに触れられたり、イヤじゃないみたいなのです。
――どきどきどきっ。
私の心臓の鼓動が早まります。
イヤどころか、陽太さんの手が触れてる肩があったかいんです。心地よい、人肌のぬくもりが、彼から感じられる優しさが……好きです。
陽太さんがにっこり笑うと、とっても優しい柔らかい光のまなざしを感じます。
「兄ちゃん、祝言は一族や周辺の妖怪を招いてそのうち。近々、
「ああ、そうだね。人間の女性の香りは一部の妖怪にはひどく甘美らしいから、柚結さんが狙われたら困るものな。……ということで、柚結さん。これからちょっとね、とある場所に付き合ってもらえるかな?」
「とある場所……ですか?」
「はい」
「ひゃあっ」
陽太さんはいうなり、私を横抱きにして抱えあげ、屋敷の戸口から外へ出てピョーンっと飛んでしまいました。
「と、飛べるんですか!?」
「まあまあですね。俺には尻尾はあっても、鴉天狗みたいな翼はありませんからね。多少、鬼火と狐火の妖気を噴出してます。柚結さん、俺、そんなに長い時間は飛べませんよ。柚結さんのためにも、もっと鍛錬します。……俺、一生懸命に頑張りますよ」
「陽太さんってすごい妖怪さんなんですね」
「うーん。どうですかね。俺なんかきっとまだまだ未熟です。……ただね、家族や仲間を守りたい一心で生きてきました」
「……陽太さん」
「柚結さん、あなたのことも守りますから。全力で」
「そんな。……出会ったばかりの私にどうしてそんなに優しくしてくださるのですか?」
「さて。どうしてでしょうね。ふふふっ、内緒です。柚結さん、あなたのことを俺に守らせてください」
「内緒なんですか?」
「ええ、今は内緒ですよ。だけど家族になるなら、花嫁を花婿が守るのは当然でしょう?」
「……ありがとうございます。私、こんな風に殿方に言っていただけるのは、生まれて初めてです」
「ふふっ、そうですか。それは良かったなあ、なんだか俺、嬉しいや」
私が倒れたのは寒い寒い雪山でした。
ですが、陽太さんに抱っこされて飛んで見る眼下の妖怪の山里は、春の装いです。
桜が、見頃。
満開を迎える直前の大木や、まさに花盛りの桜の木々たち。
桃色の景色が広がって、とても綺麗です。……美しい。
この景色は夢のようです。
時折、つがいの鳥たちが仲よさげに連れ立ちピチピチッと揃いで鳴いて、私たちの横を飛んで去っていきます。
「ねえ、柚結さん」
「はい」
「俺にはいつでも甘えて。それに遠慮なく頼ってくださいね」
「……陽太さん」
陽太さんはどうしてこんなに……、ほっとすぐさま安心できてしまう言葉をかけてくださるのでしょう。
私なんかに、なぜ……。
優しくしてくださるのでしょう。
「陽太さん、どうして……」
「んっ? どうしました?」
「陽太さんはどうしてそんなに優しいのですか?」
「はははっ。優しいですかね? ……これでも怒ると怖いですよ?」
「えっ!? そうなんですか?」
「ええ、自分のことを大事にしない者や……命を大事にしないと、そういう相手には怒ります。あとはね、弱いものを力のままにいたぶる者も俺は許しません」
一瞬、陽太さんの瞳に厳しくて鋭い光を見ました。
それから気づいてはいけなかったかもしれない、私は彼のふと寂しげな顔つきを見てしまいました。
「さあ、もう着きますよ。唯結さん、俺にしっかり掴まっていてくださいね」
「はいっ。……きゃあっ」
ゆっくり飛んでいた空中から勢いよく降下して、陽太さんは楽しげに笑っていました。
どんどん加速するので、ちょっぴり怖くなって、私は目をつむります。
「柚結さん、怖くないから。ねっ? 目を開けて見てご覧」
「は、はい」
おそるおそる目を開けると……。
まるでそこはおとぎ話に聞いた桃源郷のようでした。
♡♡♡
小さな泉のまんなかに桜の大樹が一本立つこんもりとした丘がありました。
陽太さんと私はその丘に降り立ちました。
ゆっくりそおっと、陽太さんは横抱きにしていた私を地面に降ろしてくれます。
「ありがとうございます」
「いえ。柚結さんは大丈夫ですか。くらくらとかしてませんか? 怖くなかった?」
「ぜんぜん、大丈夫です。ふふっ、ちっとも怖くない。陽太さんと飛ぶの楽しかったです!」
「空を飛んだの初めてですもんね。俺……、唯結さんに楽しいと思ってもらえて嬉しい。……良かった」
「陽太さん! はあーっ、素敵ですぅ。自分が鳥みたいに飛ぶことが出来るなんて夢にも思いませんでした」
そうして大きな桜の老木が綺麗な花を伸ばした枝にめいっぱいつけているのです。
ふんわりと風がそよぎます。
時折り、はらはら、はらりはらりと花びらが風に舞って、一枚二枚と落ちていく。
とっても荘厳で神聖な気がいたします。
「涙が出てしまいそうなぐらい美しい桜ですね」
「ええ。そうですね」
しばらく桜に見惚れていました。
私の横には背の高い陽太さん。
陽太さんも桜を見上げています。
そして、私のほうを見て――。
じっと見つめられてしまうと、照れた気持ちが広がって。
その……、私の胸が熱くなってまいります。
「……柚結さんが天女のように儚く消え入りそうだ。……心配だから、ねえ、柚結さん。今だけ手を繋いでも良いですか?」
「はい」
そっと、陽太さんの手が私の手に触れました。
ドキンッと私の胸が弾みます。
「あっ」
「唯結さん」
陽太さんに繋がれた手はじんわりと温まります。
まるで彼から優しさや元気な力が流れ込んでくるみたい。
不思議……。
陽太さんの手に力が込もりキュッと握られました。
……恥ずかしいです。
でも、嬉しいとも思います。
陽太さんの手は私より大きくて、なんだかゴツゴツとしてて男らしい。
……安心する。
「唯結さん、いなくならないでくださいね。あなたの居場所はもうあるんだから。ここに……妖怪の里に。そして、俺の隣り」
「陽太さんの隣り?」
「ええ、俺のそばにいてください。柚結さんが好きなだけ、望むだけいつまでも」
陽太さんの綺麗な潤んだ瞳にまっすぐに見つめられて、私は見つめ返すことが続かないのです。
だってですね!
胸の奥がきゅうんっと甘くて。
恥ずかしさがどんどん溢れて何倍にも膨らんで、むずむずしてくるのです。
「どうかしました?」
「えっ? ど、どうもいたしません」
「だってこっちを見てくれないから」
「私、異性に……殿方にあまり免疫がございません。陽太さんにそんなに見つめられると困りますぅ」
「ふふっ。俺だって免疫なんてないですよ。唯結さんと手を繋いでドキドキが止まりませんから。 ねえ、ちょっとだけ、俺のほう、見てくれませんか?」
陽太さんって天然で、無自覚に女の子をドキドキさせてしまうのですね。
距離が……近いです。
「えーっと。……はい」
私は意を決して陽太さんを仰ぎ見ました。
隣りに立つ陽太さんは背が高くて。
陽太さんは、にこにこ笑っています。
やっぱり太陽みたいな
それからクスクスとおかしそうに笑う陽太さん。
「なんだか唯結さんからの視線がくすぐったいですね」
「はわわっ。そんな、どうしてでしょう。……くすぐったいですか?」
「ええ、くすぐったいです。唯結さんが可愛らしいからかな」
可愛らしいとか。あのっ、……まったくもって物凄く恥ずかしいです。
陽太さんが褒めてくださってるので、とても嬉しいですが。
「陽太さんは私をからかっていらっしゃるのでしょうか?」
「えっ? 唯結さんをからかってなどいませんよ。本心です」
陽太さんがまたにっこり笑った!
どうやら私は、陽太さんの笑顔に弱いようです。
「そこに小さな祠が見えるでしょう?」
「どこでしょうか?」
目を凝らすと、今まで見えなかった祠が桜の老木の根元に見えてまいりました。
「あっ、見えました。さっきまで無かったはずなのに……」
「不思議でしょう? 唯結さん、妖怪の里にはこういうことがよく起こります。注意深くして見ると隠されていた物や妖力を持った誰かが妖術で見つけにくくしたものが、そこかしこにあったりするんですよ」
「へえ、そうなんですね」
「そしてその妖術を使うための妖力ですが」
「はい」
「これから夫婦の儀式をして。唯結さん、あなたに俺のを分け与えようと思います」
「陽太さんのを?」
「ええ」
微笑んだ陽太さんは小さな片方の角を取ってしまわれました。
「よっ、陽太さんっ! 大丈夫ですか!? ああっ痛くないですか」
「ふふっ。唯結さん、俺は大丈夫ですよ。ちっとも痛みませんから。それにね、またすぐ俺たち鬼狐神族の鬼の角は生えてきます」
「そうなんですか?」
「唯結さん、そんなに心配そうな顔しないでください。ほんと大丈夫だから」
陽太さんは私の握り合っていない方の手を取り、角を載せました。
「あの祠は我らの見守りの先祖であり土地神が祀られています。さあ、仮り初めの夫婦となる儀式を始めましょうか」
「仮り初め……ですよね。……はい」
「いつでも夫婦であることは解消出来ますから。唯結さんがそうしたくなったら言って下さいね」
陽太さんがそう言うと桜の花びらが空中に激しく舞い出し、花嵐のつむじ風を起こしました。
「認めて記せ、知らしめて。人の子の唯結と名乗るこの者を我が狐神族の陽太の妻に――。そして我の妖力の一部を分け与えん。
私たちを花嵐のつむじ風がいくつも囲みます。
「きゃあっ」
「唯結さん、しっかり俺の手も角も握りしめてて」
陽太さんのススメに従うと、私のなかに熱い力がなだれ込んできます。
――角の感触が手から消えた?
やがて目を開けていられないほどの突風が桜の花びらを上空までさらってしまうと、風がピタリとやみました。
「唯結さん、大丈夫?」
「はい、なんとか。びっくりしましたけど、すっごく綺麗でした」
「それは良かった。ねえ? 自身の頭に触れてみて」
「頭に?」
私は自分の額と頭の境あたりを触ると、なんと角が生えています!
「これ、先ほどの陽太さんの角ですか?」
「そうだよ。これで唯結さんは今日から俺の花嫁さまだ。つまりは鬼狐神族長の奥方さまってこと」
「あっ、私が……陽太さんの花嫁さま……、奥方さま……。不束者ですが末永くよろしくお願いいたします!」
「こちらこそ」
末永くなるかどうかは分からぬのに私は、気づけば言葉が口から出ておりました。
この時そう願ったのは、
「俺のお嫁さん。今日からよろしくね」
「はいっ、旦那さま」
出逢ったばかりなのに出逢ったばかりな気がしない。
陽太さんに拾って助けていだいて、私は幸せです。
倒れた私を見つけてくださったのが、……陽太さんで良かった。
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