G、絶滅しました

麦猫

第1話  G、絶滅しました

 タースという名の製薬会社がある。

 それは世界規模で有名な殺虫剤や防虫剤を取り扱う大企業。

 その会社の社員で、俺は会議室で待っていた。


 扉が勢いよく開かれる。


「はあはぁ、間に合った」

「どうしたんです。そんなに急いで」

「一大事なんだよ‼」

「取り合えず落ち着いてください。段ボールが多いんで、足ぶつけますよ」

「落ち着いていられるか‼」

「うおぁおぁお、僕の足が」


 右足を抱えてもだえる少女。


「言わんこんちゃない」


 泣き叫ぶ少女の名前はスザンヌ・ノワール。

 我が社が誇る開発主任であり、金髪アホ毛と狂気がワンセットの自称天才科学者だ。


「なんで、段ボールがあるんだよ⁉」

「そりゃぁ、会議室兼倉庫ですから」

「それ共同しちゃダメでしょ」

「文句なら社長に言ってください」

「クソ。てか、この段ボール堅くない⁉」

「いや、ただの紙資料ですって」

「そんなことあるもんか⁉」

「そんなことあるんです」

「僕の足は精密な計算で、鍛えられるんだぞ。この段ボールが可笑しいに決まってる」


 プニプニした白い肌を見る。


「その足で?」

「あぁ」

「……絶対違いますよね」

「失敬な」

「それより、一大事ってなんです?」


 スザンヌは立ち上がり、びっしと胸を張る。


「そうだよ⁉ ほんとに一大事なんだよ」


 じっと目で、スザンヌの下半身を見つめる。


「……パンツ穿き忘れました?」

「違うわ」

「なら、なんです?」

「ゴキブリが絶滅した」


 俺は少し考え込み、間をおいてから返す。


「……それは大変、いいことでは」


 スザンヌはハリセンを取り出し、俺の頭を叩く。


「バカタレ、何呑気なことを。このままだと生態系が乱れた責任を背負わされてうちの会社解体だよ」


 俺は叩かれた頭を摩る。


「どうせ、生態系が乱れるっていっても、所詮ゴキブリですよね。自分、ゴキブリ嫌いなんでいないに越したことないんですが」


 スザンヌは大仰な溜息を吐く。


「あのね、ゴキブリは君のちっぽけな人生の数千倍価値があるんだぞ」

「そりゃわかりますよ。でも、それとこれは別ですって」


 スザンヌはやれやれと肩をすくめる。


「……まぁ君の言い分はわからなくもないが、うちの会社は終わりだ」

「それはご愁傷様です」

「……君だって、心残りぐらいはあるだろう」

「いいえ」


 スザンヌは溜息をつく。


「はぁ、もういい。君に期待した僕がバカだった」

「主任知っています。溜息を連発すると知能が低下するらしいですよ」


 スザンヌは頬を引きつらせ、ハリセンを握り潰す。咳払いをして、続ける。


「……話は戻すが、ゴキブリが絶滅したのは事実。原因はうちの殺虫剤だ」

「馬鹿なんですか」

「馬鹿じゃない」

「でも、ゴキブリいないなら、さぞ快適な生活ができますね」


「そんな簡単な話じゃない。このままだと国際自然保護連合にバレるのは時間の問題。そこで、僕は新しいゴキブリを生み出した」


「あ、罪を罪で覆い隠しましたね」


 スザンヌは唇を尖らす。


「黙りたまえ。僕はただ、ちょっと早めただけで、称賛されても断罪される言われはない」


「見苦しい言い訳ですね」

「見苦しくない」

「そんな言ってから、いつまで経っても、成長しないんですよ」

「うるさい。今後、成長云々の話をしたら、上司侮辱罪で訴えるからな」


 スザンヌに相槌を打ち、俺は懐に手を忍ばせる。スマホを取り出し、毎度お世話になっている番号にかける。


『あぁ、警察ですか。毎度、お世話になっている鈴木栄太すずきえいたです。あのですね。うちの上司がまたしでかしてしまったようでして……ほんとにすみま』


「まてえぇぇぇぇ」


 瞬間、白い剣線が頬を過ぎる。


 何とか身を捻り、スザンヌの手から振り下ろされる、凶器と化したハンセンと躱す。

 だが、完全に避けられず、俺のスマホは明後日の方にすっ飛んでいた。


 息を荒しながら、スザンヌがぎょろと俺を睨む。


「はぁはぁはぁ、君、なんてことするんだ⁉」

「え、通報ですけど」


「そんなの、見ればわかる。僕が聞きたいのは、なぜ、こんな貧乳で小柄で可愛い上司を見す見す警察に売ったかなんだよ⁉」


「そんなカッカすると、ストレスでノイローゼになりますよ? てか、普通自分で言いますか『』って」


「うるさい。そもそも通報したら、君も捕まるんだぞ。そんなこともわからないのかい?」


「大丈夫ですよ。主任逮捕に協力したら、便宜を図って貰えますから」


「……背後の一突きとは、まさにこのことか。てか、僕に同情しないのか」

「しませんけど」


「……君って、見た目は平均平凡なのに、やることはほんと容赦ないよね」

「俺の信条は日常平和ですから。主任もいい年なんですから、さっさと罪を償った方がいいですよ?」


「言い方。僕だって、むやみやたらに絶滅させたわけじゃない」


「本当です?」

「本当だとも」

「本音は?」


「……国際自然保護連合に指名手配されるのは嫌なんだよ。そのためなら、非人道的行為くらい容認する」


 俺は溜息をつく。


「はいはいわかりましたよ。で、新生ゴキブリってなんです? 復活させるなら元のゴキブリで良いでしょう?」


 スザンヌはニヤリと微笑む。


「これだから凡人は。元に戻しただけじゃ、芸がないだろ。僕は天才だからね、人類の代表としてゴキブリを進化させてあげんだよ」


 俺はスザンヌを見つめる。

 すると、スザンヌはあからさまに目を逸らす。


「で、実際は?」

「……出来ませんでした」

「よろしい。主任の腕は信用しますが、そんな上手くいった試しありませんし、どうせそうだろうと思いました」


 スザンヌは腕を組み、そっぽを向く。


「余計なお世話だ」


 俺はやれやれと口を開く。


「で、新生ゴキブリとやらは?」


「他の生物と掛け合わせたゴキブリ、要するに次世代ゴキブリだ」

「……要するにキメラなんですね」


「違う。新生ゴキブリだ。建前上、ゴキブリの絶滅に気づき、その最後の救済措置として新生ゴキブリを生み出したという筋で話を通すつもりだ。これで僕の首は回避できる」


「百歩譲ってその話が通ったとして、そのあとはどうするんです? ゴキブリが絶滅したのは事実ですし、根本的な解決にはなりませんよ」


「ふふっふ、僕だってわかってる。だから、僕は一緒に生物置換器を開発した。これに他の生物と新生ゴキブリを組み合わせれば、ゴキブリが復活する。だが、訳あって重大な問題が発生した」


 と、スザンヌは話を区切る。


「もしかして、会社の金を使い込んでいたのがバレました?」


「馬鹿者。僕だって、人並み世間体というものを気にするし、社員が稼いでくれた金に手を出すほど外道じゃないわ」


 スザンヌはごほんと吐息し、話を続ける。


「重大な問題とはね。ゴキブリの情報を全く持っていなかったということだ」


「でもあるでしょ。実際、そのDNA情報から作ってるわけですから」


「物分かりがいいのか、ただの馬鹿なのかどっちかにして欲しいが、今は置いておくとしよう。その通りだよ。でもね、それはゴキブリという生き物を構成する情報だ。生前の行動まで入手できるわけじゃない」


「じゃぁ、自首しますか」

「しない。まだ可能性はある。そのため、君を呼んだんだ」

「……要するに、俺が飼育係になんて行動情報を手にいればいいんですね」


 ジッと目で、スザンヌが睨む。


「……ねぇ、君わざとやってない?」

「いいえ」

「いやいや、僕の見所を容赦なく奪ってきてるよね⁉ そうだよね」

「気のせいでは」


「もういい。要件はこれで済んだし、あとは君に新生ゴキブリを託すだけだ」


「その大量の荷物は?」


 事前の準備をしていたのか、スザンヌの傍に大人一人余裕で入るリュクを置いてある。


「……マフィアに借りたお金が返せなくてね。でも、大丈夫。個人の借金だから。君がしっかり成果もとい情報を渡してくれれば僕が助かる」


「念のため聞いてもいいですか」

「なんだい」

「拒否権はあります?」


 スザンヌは妖しくニッコリと微笑む。


「ないよ」


 こうして、俺はゴキブリの飼育員になった。


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