【9月26日発売】死に戻り聖女は完璧王子の執着から逃れたい【番外編】

青月花

プロローグ



「待て、クリスタ!」


 プラチナブロンドの短髪を風になびかせ、美貌の青年が後を追ってくる。

 レークラント王国の王太子であり、何を隠そう私の婚約者だ。


 私は騎士団の敷地を全速力で逃げていた。

 彼は『レークラントの至宝』と賞される絶世の容姿に加えて文武にも優れた、誰もが口を揃えて言う『完璧王子』。

 対して私は、ライトグリーンの瞳と赤みがかった金の髪色だけが取りの平凡な容姿。

 更には元平民で、元『死人』!

 いちおう、今はこの国の聖女ではあるのだけど、何の力も持たない凡人だ。

 それなのに、彼は何かにつけて私にからみ、時にこうして追い回してくる。

 ずっと聖女の引退と婚約破棄を求めているのに、一向に解放してもらえない。


 彼から逃れようと必死に走る私だったが、次の瞬間、手首を掴み止められてしまった。


「放してください!」


 私は彼の手を勢いよく振り払い、再度逃走を試みる。

 だが、彼はすぐに私の腕を引き寄せ、逃亡を阻むように後ろから体を抱きしめて告げた。


「お前はこの国の聖女で俺の婚約者だ。絶対に逃がさない!」


 ……ああ、どうしてここまで執着されることになったのだろう。

 の人生では、どちらかというと嫌われていたはずなのに。

 いったいどこから執着ルートに突入してしまったの?

 私は彼の強引な抱擁にめまいを覚えながら、過去へと記憶をさかのぼらせた。



   ◇ ◇ ◇



 一周目の人生。絶望へと繋がる生活は、あの言葉から始まった。


『クリスタ・アーメント。神の御名において汝を聖女に認定する』


 あの頃の私は何も知らなかった。だから、神官長の言葉を喜んで受け入れたのだ。


『つつしんでお受けいたします。聖女の名に恥じぬよう身命を賭して国のために尽くします』


 気取って応じた自分を張り倒してやりたい。

 いや、その前に戻って、外出できないように縄で縛りつけておきたい。

 聖女になんてならなければ、役立たずだと罵られることも、嫉妬した侍女たちから嫌がらせを受けることも、民衆から石を投げられることだってなかったのに。

 にあんなセリフを吐き捨てられることも。


『クリスタ・アーメント。お前を偽聖女と断定し、婚約破棄を言い渡す。なお、身分を偽り続け、国を混乱に陥れた罪で、国外追放処分とする』


 そして、私は国外に追放されている途中、事故にあって死んだ。

 今、こうして思考が働いているということは、今際いまわきわにいる状態なのかもしれないが。

 直接的ではないにせよ、私が死んだきっかけは間違いなく彼が与えたものだ。

 好きだった人に見捨てられた悲しみと絶望は、今も胸に刻まれている。

 レークラントの聖女になって十年。ずっと彼を信じてついてきたのに、まさかこんな結末を迎えることになるなんて……。


 私がいったい何の罪を犯したというのだろう。

 私には聖女としての力が何もなかった。ただそれだけのことなのに。

 みんなから恨まれて、死に追いやられてしまうほどの罪?

 聖職者の誤認でしょ? 私は何もしていないじゃない!

 もう一度生まれ変われたとしても、絶対聖女になんかならない。

 願わくは、次こそは王宮や神殿とはいっさい関わりのない平穏な人生を。

 それが叶わないなら、せめて聖女になる前に戻してください。

 どうか、天にまします我らの父よ――。



   ◇ ◇ ◇



 体が光の渦へと呑み込まれていく。

 ここ十年の情景が次々と脳裏に現れては過ぎ去っていった。

 これってアレかな? 死にぎわに見ると言われている記憶。


 ああ、私、本当に死んだんだ。

 目を開けた先は、はたして天国か。それとも地獄か。

 鼓動を高鳴らせながら、ゆっくりと瞼を持ちあげていった次の瞬間――。


「クリスタ・アーメント。神の御名において汝を聖女に認定する」


 聞き覚えのある言葉が耳に入り、私はパッと目を見開いた。

 白い口ひげを蓄えた老年の神官が、いぶかしげに私を見下ろして立っている。

 その後方に佇んでいるのは、七色の輝きを放つ天使を描いたステンドグラス。黄金本枝ほんし燭台しょくだいおごそかに祭壇を照らし、御影石グラナイトの床に極彩色の影を落としている。


 私は聖女の託宣を受けたレークラント大神殿にいた。死んであの世へ行ったと思ったのに。見覚えのある神官が、聞き覚えのあるセリフを言ったのだ。


 まさか、時間が巻き戻ったのだろうか。十年前、私が十五歳だった時に。

 鏡のように磨きあげられた床に、死んだ時よりも若い自分の姿が映っている。一つに編み込まれた赤みのある金髪はまだ腰に届かず、体は華奢で女性らしい肉づきに乏しい。身につけている白モスリンのシュミーズドレスは、任命式にのぞむためにあつらえた新品だ。


 もしかして、私の願いが天に届いた?

 でも、よりによってどうしてこのタイミングなの? 聖女になる前に戻してほしいとは願ったけど、その直前って。あと一日早ければ、国外逃亡なり何なりできたのに!


「お断りします!」


 私は神官長の託宣を全力で拒絶した。


「聖女になんて絶対なりませんから! それでは、ごきげんよう!」


 即座に神官長のいる祭壇から離れ、神殿の入り口へと向かっていく。

 応じなければいいんだ。逃げてしまえばこっちの勝ちよ。

 巻き戻ったのが、応じる前のタイミングでよかった。

 少しホッとしながら大広間を歩いていたその時――。


「待て。そのような勝手が許されると思っているのか?」


 神殿の入り口に立っていた青年を見て、私は目を剥き、立ち止まった。

 長い睫毛に縁取られた瞳は、氷を連想させるほど透明感のあるアクアブルー。肩にかかった短めの髪は、シルクのようにつややかなプラチナブロンドだ。背は高めで細身の体に、青を基調とした騎士服をまとっている。


 それは見目麗しい十七歳の美青年なのだが、今の私の目には悪魔のように映った。

 アレクシス・フォン・ブランデンベルク。クールな外見と性格から『氷の王子』の異名を持つ、レークラント王国の第一王子。そして、次期国王でもある。私に婚約破棄と国外追放を言い渡し、絶望のどん底に突き落とした張本人だ。


「聖女の実家には支度金として一万ゴルトを支給していたはずだが、きっちり返すことはできるのだろうな?」


 冷ややかに告げてきた王子の言葉に、私はグッと声を詰まらせる。

 確かに、家族が大喜びして支度金を受け取っていた。そして、賭博好きの父が豪遊して一日とたたずに半減した。しがない猟師の娘である私には、あんな大金とてもすぐには返せない。


 ……くうっ、巻き戻るタイミングが、あと一日早ければ……!


「あの、少し待ってはもらえないでしょうか? 必ず働いて返しますから!」


 悔しさを胸に押し込めて訴える。

 借金することになってもいい。聖女にだけは絶対なりたくない。


「なぜそれほどまで聖女になることを拒む?」


 アレク王子が不可解そうに眉をゆがめて尋ねてくる。


 ……うーん、どう返せばいいだろう。


「私にそんな力はないからです。とても聖女の務めを果たせるとは思えません」


 こう答えるしかないよね。だって、本当のことだし。


「おお、何と謙虚な……。聖女にふさわしい人柄だ」


 ふむ、と感心する神官長のおじいさん。

 だからそうじゃないんだって。本当に力がなかったから追放されて死んだ、とは言えないし。経緯を話せば、いろいろと誤解されて面倒なことになりそうだしね。


「逆に聞きますけど、私を聖女とする根拠は何なのでしょう? お告げがあったとは聞きましたが、信憑性はあるんですか?」

「クリスタ・アーメント。汝は大神官様のお告げを愚弄ぐろうするか?」


 神官長の眉間にしわが寄った。明らかに怒っている。

 私を聖女であると予言し、神殿から人を遣わしたのは彼ではない。大神官様と呼ばれるレークラント大神殿の最高権力者だ。その人のことを侮られたと思ったのか、神官長は怖い顔をして私の方へと詰め寄ってきた。

 すると――。


「おやめ」


 神殿の奥から、しわがれた女性の声が響く。

 祭壇の方へ目を向けると、いつの間にか、よぼよぼの小さなお婆さんが立っていた。白い祭服に身を包み、真っ白な長髪を司教帽の中に収めている。枯れ木を思わせるほど痩せ細り、顔や手はしわくちゃだ。年は優に百歳を超えているようにも見える。


「大神官様! お目覚めでしたか」


 振り返った神官長が、お婆さんに声をかけた。


 ……この方が大神官様。


 私は一周目の情報を思い出しながら、彼女を見つめた。

 大神官様はこの国の元聖女で、年を取ってからも力を失わなかったから、誰とも結婚せず聖職者になった人物のはず。一周目では、ついに会うことはなかったのだけど。


「そなた、ここに来るのは初めてではないな?」

「……え?」


 鋭い眼光と問いを向けられ、私は目を見開いた。


「自分でわかっておろう。そなたは聖女じゃ。その宿命から逃れることはできぬ」


 彼女はいったい何を……?

 もしかして、私が人生をやり直していることに気づいてる?


「逃げるな、闘え! そなたには天命にあらがう力がある。もし逃げんとすれば、多くのものを失い、そなたは――」


 大神官様が神妙な面もちで話を続けていた時だった。


 こてっ。


 突然、話の途中で彼女が倒れたのだ。まさに、ぽっくりといった感じで。


「大神官様――!」


 神官長が彼女のもとへと駆け寄り、上体を抱き起こす。相当深刻そうな表情だ。


 ……うそ。まさか、死――


 本気で心配し、私も大神官様の方へと駆け寄るが――。


「寝ておられる」


 ズコーッ。

 神官長の言葉を聞いて思わずよろめき、つんのめる。

 いろいろとまぎらわしいなっ。


「大神官様は七日のうち一度しか目覚めず、一時間もすればすぐ眠りにつく。そして、目が覚めると稀に、夢で視たことをお告げとして伝えられるのだ。大神官様は人の過去や未来を見通される。これまでにお告げが外れたことは一度もない」


 真剣な表情で語り出した神官長につられて、私も真顔になる。


 ……私が聖女。


 少し納得できる部分はあった。確かに死んだはずなのに、今こうして生きているのだから。

 一度だけ復活できるとか、何か聖女の特典ギフトがあったのかもしれない。でも――。


「本当に私には何の力もないと思います。国のためにきっと何もできない」


 一度死んでよみがえっただけの特典が、国にとってどんな役に立つというのだろう。


「心配するな。すぐに力を使ってもらおうとは思っていない。聖女の力は、能力の種類も発現時期にも個人差がある」


 アレク王子が私たちの方へと近づきながら、淡々と告げた。

 聖女には大きくわけて三つの力がある。一番多いのが、病や傷を癒やす能力。次に、神聖魔法を使って魔物や瘴気を浄化する能力。そして、一番希少だとされているのが、大神官様のような予言の能力だ。


「聖女であれば二十歳までには、何かしら力が発現するものなんですよね?」

「ああ。早くて十二歳、遅くても二十歳。そこから徐々に力が弱まり、二十五歳には全ての能力を失うと言われている」


 知っている。私は二十五歳で見切りをつけられ、追放されたのだから。

 大神官様は非常に特殊な例だ。まあ、私も特殊なやつみたいだけどさ。


 聖女の宿命からは逃れられない。

 でも、二十五歳で死ぬ運命からは逃れたい。


「私は今、十五歳です。二十歳まであと五年。それまでに聖女の力が発現しなければ、私を解放してくれませんか? タダ飯食らいのお荷物になるだけですから」


 真剣な顔で訴えると、アレク王子は検分するように私を見すえて言った。


「まあいいだろう」


 意外にあっさり認めてくれて、ちょっと驚いてしまう。


「王太子殿下!」


 神官長は不服そうだ。


「二十歳までに力が発現しなかった場合の話だ。大神官様の予言が外れるはずもない。それに、やる気のない人間に無理強いしたところで無意味だろう」


 おっしゃる通りです!


「普通の乙女は喜んで応じるものなのですがね……」


 神官長が私に白い目を向けてきた。

 アレク王子に対する乙女たちの反応。知っているわよ。王子に憧れる侍女たちが、どれだけ私に嫉妬の目を向けてきたことか……!


「ないとは思うが、二十歳になっても力が発現しなかった場合はどうする? 聖女は普通、引退後に王侯貴族と婚姻を結ぶことになっているが」

「もちろん、なしで! 聖女の力がなかったわけですから、子どもが力を受け継ぐこともないでしょう。王侯貴族にとって何のメリットもないわけですし!」


 アレク王子を納得させるべく力説する。聖女は後の聖女を産む確率が高い。聖女は民から王族以上の崇敬を集める存在だ。一族から聖女を輩出すれば、これ以上にない箔づけとなる。

 だから、王族が聖女の婚約者候補筆頭にあがったりするんだよね。迷惑極まりないことに。


「陛下は俺の婚約者にと、お考えのようだったが」

「もちろん、それもなしで! つつしんでお断りいたします!」


 私は断固として主張した。

 アレク王子は瞠目し、眉を吊りあげる。まるで珍獣を見るようでもあり、ムッとしたご様子だ。たぶん、今まで女性に拒絶反応を示されたことがないのだろう。

 王太子殿下はとにかくモテて、周りにいたのは、ちやほやする女性ばかりだったでしょうからね。


「王太子殿下との婚約まで拒むとは……。国中の乙女が喉から手が出るほど欲しがる立場を」


 神官長が、理解できないといった顔で私を凝視してくる。 

 私も一周目は彼との婚約に舞いあがりましたよ。『レークラントの至宝』とも称されているほど絶世の美形ですから。おまけに剣の達人で、文武に優れた完全無欠な王子様とくれば、侍女はもちろん騎士さえ惚れる。私も初めはクールで完璧な外面に惹かれ、聖女として共に過ごすうちに、まじめで実直な人柄まで好きになっていった。


 誰もが敬愛する彼に憧れ、信頼し、立派な聖女になろうとがんばっていたのに……。その先に待っていたのは、婚約破棄からの国外追放と死だ。

 このまま一緒にいても破滅するだけだし、さっさと離れるが吉。初めにはっきり意思を示しておかないと。


「ならば、聖女から退いた後はどうするつもりだ?」

「もちろん平民に戻ります」


 私はアレク王子に笑顔で即答する。

 聖女なんて二十歳でやめればよかったのに、彼を信じて王宮に居座り続けたから私は死んだ。十年聖女を務めれば、彼の妃になれるのだと欲を持ってしまったから。

 力のない凡人が高望みなんてするものじゃない。人生平凡が一番。高すぎる身分も、完璧王子の寵愛だっていらない。次こそは――。


「聖女を引退して、寿命まで生き抜いてみせます!」


 訝しげな顔をするアレク王子に、私は高らかに宣言した。

 もう彼のことは絶対好きにはならない。

 円満な引退と婚約破棄を成し遂げ、五年後にはきれいさっぱり別れてやる。


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