ともぞうエッセイ NO.06 (2023 09~)
かわごえともぞう
2023 09 01
CNさんの戦争(その5)
CNさんは、一年余り、病気も治り、元の捕虜になりました。最初の一年は療養だったので良かったのですが、二年目の冬は厳しかったのです。
CNさん曰く「隣で靴の紐を履いている奴が、そのまま死んでいたこともあったな」
とにかく冬は厳しかったようです。その頃、思想教育がありました。いわゆる共産主義です。CNさんは、一生懸命に共産主義に嵌まったのです。自ら嵌まったのです。共産主義でないと日本には帰れない思ったのです。レーニン伝とか、共産党宣言とかを勉強しました。
CNさん曰く「レーニンの写真とかスターリンの写真を毎日拝礼したな。天皇陛下の御真影からレーニンとスターリンに変えたんや。禿げの爺と狡猾そうな髭の爺に拝礼や。インターナショナルのロシア語の歌も暗記したで、今でもロシア語で歌えるしな。必死やったな」
もう一年冬が越せなかったら死んだろうと云ってました。終戦後3年で日本に帰ったのです。
CNさん曰く「舞鶴港に入った時、何処からともなく泣く声が出て、それが大合掌なったんや。わしゃ一生分泣いたな」
舞鶴から列車に乗り継いで、宇高連絡船で四国に渡ったのですが、捕虜班長が「お前は違うやろ。俺もや」と云って、連絡船の途中で、レーニンとスターリンの写真を破ったのです。それを見て、CNさんも同じく破り捨てました。捕虜班長も共産党の物真似でした。その捕虜班長曰く、「アメリカさんが農地改革やらをやって、わしも自作農になった。せっかくアメリカさんが自分の田んぼや畑になれたのを国が巻き上げる。そんな共産主義なんか絶対御免や」
レーニンとスターリンの写真は散り散りに瀬戸内の海に流されたのです。
夏の甲子園も終わりました。慶応高校の優勝でした。2006年の夏の甲子園決勝は、駒大苫小牧と早稲田実業でした。田中将大と斎藤佑樹の投げ合いで、延長戦と翌日もやりまして、結局、早稲田実業が勝ちました。ハンカチ王子こと斎藤佑樹がアイドルでした。
決勝戦の夜でした。行きつけのスナックがありまして、まだ8時半くらいでした。客は一人でした。Kさんと云う方で、当時は65歳辺りでした。
「Kさん、今日の試合は良かったですね。50年前が蘇えったようですね」
と言ったら、
「ええ試合やったな。わしも50年前はあの投球マウンドにおったんやな」
Kさんは、笑ってました。
Kさんは、愛媛西条高校のピッチャーで、1959年の夏の甲子園の優勝投手でした。
その時、スナックのママが、
「50年も経ったら、ハンカチ王子も雑巾爺になってしまうんやね」
Kさん「雑巾爺は辛いな。せめて台布きん爺にしてくれるか」
その時、観光客が女性10名程やって来ました。近くの国際ホテルに泊まっているとのこと。安いスナックだとホテルから紹介されたようです。やはり、今日の試合が話でした。一人が「ハンカチ王子、男前やな。あたしが若かったら行ってるで」なんて声がする。
私、曰く「ハンカチ王子やったら此処に居りまっせ。50年前やけど」
最初は、意味が分かって無かったのですが、ちょうど今治大丸(現在は廃業)の社長が入って来て「Kさん、今日の試合は良かったですな。50年前もあのマウンドにいてはったんですな」
それを聞いていた客の一人が「甲子園の優勝投手は本当ですか?」
今治大丸の社長「ほんま、ほんま、まぎれもなく優勝投手!」
それからは、50年前のハンカチ王子でフィーバーでした。ガラ携帯で写メールが普及した頃でしたので、Kさんとおばちゃん達の写メールが行き来したのです。
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