28話 怒ってないですってば!

 執務室にまで案内してもらったカトリーヌは、重厚なドアをノックした。

 

「カトリーヌ嬢、どうした? その格好も……」

 

 ドアを開けたフェリクス王子が、目を丸くして訊ねた。

 

「フェリクス様、おはようございます。お仕事中に申し訳ありませんですわ。実は、ご相談がありまして。服装についても、その際にご説明させてください」

 

「ふむ。では、散らかっているが、入るといい」

 

 通された執務室は簡素で実用的な内装になっていた。

 

 正面の壁と右側の壁には、作り付けの大きな書棚がある。

 書棚の前には飴色の木でできた大きな机があり、そこにミノス王が窮屈そうに座っている。紫色の単眼の目には、小さめの眼鏡が掛けられていた。グラスは当然一つ。

 

 特注なのだろうか、とカトリーヌは不思議な気持ちでそれを見た。

 

 入ってすぐのところに、長椅子が向かい合うように二脚置かれており、真ん中にはローテーブルが置かれている。

 カトリーヌは勧められるまま、長椅子の端に腰かけた。

 

 すると、ミノス王が気まずそうに立ち上がり、書棚に本を取りに行くような動きをした。

 その岩のような背中に、カトリーヌが声をかける。

 

「ミノス王陛下、お仕事中に申し訳ございません。フェリクス様に相談がありまして、いっとき、別の部屋にフェリクス様をお連れしてもよろしいでしょうか?」

 

 ミノス王は太い首を巡らせてカトリーヌの方を振り向くと、音量を調整した声で言った。

 

「ははは、いやはやフェリクスに用とはまったく素晴らしい! こいつは新婚だというのに、こんな紙魚の巣にこもっているのだ。儂が言っても聞かなくてな」

 

「新婚だからと言って仕事をしなくていい法は無いでしょう」

 

 豪快なミノス王の言葉に、フェリクス王子が淡々と返す。少し拗ねたような色を混ぜながら。

 やれやれ、といった風にミノス王は一つきりの目をつぶってため息をつく。

 

「まったく、新妻を放ってまでする仕事などあろうか。否、無い。カトリーヌ殿がお怒りなのはもっともだ。さあ耳でも引っ張って連れて行ってやってくれ。もうひと思いにやっていい」

 

 ミノス王がのしのしと王子に寄っていったかと思うと、襟首を掴んで猫のように持ち上げた。

 

「わわ、そこまでして頂かなくても大丈夫です! 私怒っておりませんし、本当にただの相談なんです! ええと、それでは、ここでお話ししてもよろしいですか? すぐに終わりますので!」

 

 カトリーヌは慌てて言った。

 別室に移動して王子を説教したなどと思われてはたまらない。

 それに、相談の内容からして、もしかしたらミノス王に同席してもらった方が話が早いかもしれない。蜘蛛女の糸の件は、城の警備の問題でもあるからだ。

 

 王は「ふむ」とつぶやき、王子を床におろした。

 

「確かに息子をここまでの朴念仁にしたのは、親である儂の責任でもある。聞こうではないか」

 

「ですから違うんです。フェリクス様にはフェリクス様のお考えもございますでしょうし」

 

「ほら見ろフェリクス。カーラが本気で怒った時と似たようなことを言っておる。愛想をつかされるぞ」

 

「もう、違うんですってば! ……ですわ!」

 

 部屋にカトリーヌの声が響いた。

 

「では聞こう。本当にここで話せるのか? 父上が聞いてもいい相談なのだな?」

 

「はい。あの、ミノス王陛下からもお許しを頂く必要があるかもしれませんので」

 

「父上からも? いったいどんな願いだ?」

 

 王子の眉間にいぶかしげな色が淡く浮かぶ。

 

「あのっ! 二つご相談があります!」

 

 カトリーヌは思い切って話を切り出した。

 

 「一つ目は、チェリーたちと一緒にお城のお仕事をさせて欲しいということです! 何もしていないと、落ち着かなくて。余計にフェリクス様のことばかり考えて……じゃなくて、えっと、とにかく、疑われるようなことはしませんので、どうか!」

 

 胸の前で両手を組んで訴えると、王子はかすかに眉を持ち上げた。

 

「僕のことを考えてくれるのは嬉しいが、考えすぎると辛いというのは分かる。僕も貴女のことを考えると胸が苦しくなることがあるからな。しかし貴女にチェリーと同じ仕事をさせるというのは、申し訳ない」

 

「フェリクス様が私のことを考え……って、そこはどうでもいいんです! いえ、良くはないですけれども!」

 

 カトリーヌは、自分で自分の言葉に恥ずかしくなったカトリーヌは、もじもじと体を動かした。

 

「と、とにかく、チェリーたちは可愛くて一緒にいると癒されるんです。だから、チェリーたちに教わって、一緒にお仕事をしてみたいんです!」

 

 一晩考えた言い訳を一息に言い切る。王子は迷っているようで、すぐには返事をくれなかった。やはり無理があるだろうか。

 

「いいじゃぁないか。チェリーと一緒に動くならば、アラーニェの糸も避けられるし安心だな」

 

 ミノス王が横から賛同をしてくれた。その言葉にカトリーヌが質問を返す。

 

「アラーニェ、とはどなたでしょう?」

 

「蜘蛛女の名前であるな。そうか、そこまでは聞いておらんかったか。最近赤子が生まれたことは知っているかな?」

 

「いえ、それも存じません、ですわ」

 

「いつにも増してピリピリしておるのだ」

 

 そこで言葉を切ると、ミノス王は真面目な顔になって顎に手をあてた。

 

「儂の考えが足りずに申し訳ない。今の状況は軟禁と思われても仕方ないな。魔王城に囚われた姫君というのも、いまどき流行らん、いやはや」

 

「二つ目のご相談はその件なのです」

 

 ちょうどよくミノス王が今のカトリーヌの状況に触れてくれたので、王に向けて話を続ける。

 

「糸について、私にも教えて欲しいのです。目に見えぬ鋭い糸を避ける方法はあるのでしょうか? 私の行っていい場所だけでも、糸を避けられるようになりたいのですわ」

 

 カトリーヌの訴えを聞いたミノス王は、「うぅむ」と唸って考え込んでしまった。

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