第18話 大団円の宴

「この度は本当に、助かった。あらためて、礼を言わせてほしい。ありがとう、カトリーヌ殿」


 テーブルの正面に座る魔王が、深く頭を下げた。

 隣に座るカーラ王妃も、同じように頭を下げている。

 カトリーヌの快復を祝って、晩餐会が開かれていた。そのテーブルについてすぐ、魔王から感謝の弁があったのだ。


「や、やめてください! フェリクス様のお力添えもあってのことですので!」

 

 慌てて手をふると、隣に座る王子がそっとカトリーヌの肩を抱いた。


「みんな君に感謝している。素直に受け取っておくといい」

 

「で、でも落ち着かないですし」

 そうカトリーヌが言い返したときだ。

 

 ガシャン!


 と高い音をたてて、皿が目の前に置かれた。

 

「はいはーい! 前菜だよー!」

「カトリーヌ様の好きなものばっかり作ったってー」

「ゴーシュが張り切ってたよー」

 

 チェリーたちが配膳を開始した。今日はお祝いの席ということで、ピンク色の髪にエメラルド色のリボンをつけている。

 王妃のドレスとテーブルクロスも、同じ色で統一されている。カトリーヌの快復祝の宴は、カトリーヌの瞳の色がテーマカラーとなっていた。

 自走術式ワゴンも、同じ色のリボンを持ち手に巻かれて、張り切って小回りをきかせている。

 皿には、婚姻の儀の日と同じ、水ベリーと歩き茸のマリネが乗っていた。

 ゴーシュの粋なはからいが嬉しい。

 

「久々の宴だ。人族式のマナーはいやはや難しいが、前よりはすこし出来るように、」

 

「ショール、巻いてきたのね。アラーニェが喜ぶわ」


 魔王の言葉を、王妃が遮った。


「ええと、はい。とても素敵な織りで、アラーニェには直接感謝を伝えたいのですけれど」


「掴まらないだろう。あれは中々ややこしい性格でな。怪我をさせてしまったから、気まずくて出てこれないのだ」


「ややこしいだなんて、失礼な言い方ですわね。ミノス王、いいですか、アラーニェは繊細なのです。本当に、女の心が分からないこと」


「カーラ、儂はよかれと思ってだな」


「あら、隠し事をする男の常套句ですわね」


「違う! 儂は決して、」


「聞きたくありませんわ」


 相変わらず会話の止まらない魔王夫婦だけれど、今日はなにやら雰囲気がおかしい。

 カトリーヌの隣で、フェリクス王子が密かにため息をついた。

 

「あの……何かあったのですか?」

「くだらない痴話喧嘩だ」


 耳を貸せ、というように手招きされたので、さり気なく王子に体を寄せた。


「父王が言っていた古い友人というのが、妾になる前の君の母君だったのだ。それを黙っていたのは、後ろ暗いことがあるからではないか、と王妃は不機嫌なわけだ。彼女のことを好いていたのではないかという疑いだな」


「え、でも、正直に話していても、やっぱり揉めそうですよね?」


「うん。だから、父王は黙っていたのだな。だが、カトリーヌ。それよりも不思議なことに気づかないか?」


「不思議な……?」


 頭を巡らせたカトリーヌは、「え?」と声を漏らした。確かに、おかしなところがある。


「妾になる前のお母様が、なぜ王宮に入って、そして私を産むことを知っていたのでしょう?」


「それだ。もしかしたら母君も、」


「先見の力を持っていたのかもしれない?」


 二人の間に、一瞬の沈黙がよぎった。

 正面ではまだ魔王と王妃が言い争いを続けているが、もうすっかり意識の外だ。『共鳴』の力で見た、崩壊していく母の姿。あれは改変を行った先見の能力者の最期だったのだ。

 

「そういうことだ」


 気まずげに呟くと、王子は前菜の水ベリーと茸のマリネを口に運んだ。

 カトリーヌもそれに倣って、料理を口に入れる。

 揺らいだ心を少し落ち着けてくれるような、優しい味。ゴーシュが心を込めて作ってくれたことが分かる。


 命があるから、この味を感じることが出来る。

 心のこもった料理が、気づきを連れてきてくれた。

 自分の命を守ってくれたのは、母がその命をかけた改変だったのだ、そうも思えた。

 

「美味しい。本当に……」

 

「そうだな……。君が守ったんだ、この味も、ここにいる皆も、全部だ」


 フェリクス王子が、カトリーヌの頰にそっと触れる。知らぬ間に、涙が頰を伝っていたらしい。


「そうだとも。カトリーヌ殿、今日はおおいに食べてくれ」


「フェリクスったら、ハンカチも持っていないの? ほら、私のをお使いなさいな」


 いつの間にか一時休戦をしていた魔王夫婦が、カトリーヌに声をかけてくれる。

 チェリーが王妃の側にかけよって、ハンカチを受け取ると、王子の元へと届けに来た。

 王子は、涙をふくためにカトリーヌの頰へとハンカチを押し当ててくれた。王妃のハンカチからは、温室のなかを思い出させるような緑の匂いがしてくる。母が崩壊を起こした場所、温室。その辛い思い出を癒やしてくれるような、柔らかな布の感触に、また涙が零れそうになる。


「さ、次はスープよ。チェリーたち、運んでちょうだい!」


 明るい声を作って王妃が告げると、チェリーたちは慌ただしくスープの支度を始める。

 食欲をそそる、動物性の旨味のつまった香り。

 目の前に差し出されたのは……


「『朝採れヒュドラーの生き血スープ魔王城風』だよー」


 静かに給仕するということを知らないチェリーたちが、ガシャガシャと食器を鳴らして運んできたのは、大好物のスープだ。


「嬉しい、まだ季節だったのね!」


 正直、二十日間も寝込んでいたと聞いてから、今年のヒュドラーのスープの時期は終わってしまったと諦めていた。ゴーシュの作るスープはすべて絶品なので、それでもいいと思ってはいたが、大好物のスープが目の前に現れたら、さすがに歓声を抑えきれない。

 

「本当はもう終わっている時期だったがな。ゴーシュとサージウスが連れ立ってヒュドラーに頼みに行ったんだ。君の話をしたら、ヒュドラーは血を採らせてくれたそうだよ。特別だ、と言ってね。サージウスは口が上手いからな。まあ、人族との交渉よりも苦戦したとは言っていたが」


「ふふ、ヒュドラーって本当に気難しいのね」

 

 カトリーヌが笑うと、魔王夫婦も、チェリーたちも、王子も笑った。

 ずっとこの場所を探していた。ずっとこうして笑いたかった。

 

「ほら、スープが冷める前に食べよう。今年最後のヒュドラーのスープだ」


「そうですね。……うん、おいひい〜」


 うながされるままにスープを口に運んだカトリーヌは、頰をおさえて美味の快楽に身を任せる。

 と、フェリクス王子がカトリーヌの髪を撫でた。

 

「来年も、再来年も、ずっと一緒にこうしていよう」


「私、ここに来て良かったです」


「僕も、君に出会えて本当に幸せだと思っているよ。父王と君の母君の約束のおかげだ……あ」


 フェリクス王子が口元を抑えたが、もう遅かった。

 

「ねえミノス王? 別に怒ってはいませんから、本当の事をおっしゃって下さらない? 少しも好きじゃなかったと言える? 私に出会う前の話なのですから、嘘はいりませんよ」


「少しもだ。いやはや、お前はまったくしつこい!」


「しつこいとはなんですか! じゃあなんで秘密になさっていたんです?」


 この件は、しばらくの間は尾を引きそうだ。

 

「いつか僕たちも、あんな風に喧嘩をしてみるのかな」


「それも、面白そうですわ」


 痴話喧嘩を再開した魔王夫婦を見て、カトリーヌとフェリクス王子はこっそりと微笑みあった。

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