初デートと、いつかの続き 1

――目覚めたベッドの中で、私は決意を新たにする。洗面や食事を諸々済ませたのち、服を着替える。

 今日だ。私にとっての勝負の日。私が変わらなければいけない日。

 正直、不安は未だ残っている。実際にその場面に出くわしたとき、適切な言葉を言えるかはわからない。

 そうだとしても。

 髪を整えるついでに、鏡の中の自分を見つめる。深呼吸をして、もう一度言い聞かせる。

 私なら、きっと大丈夫。咲先輩と小夜先輩に、たくさん勇気をもらったから。

 それに、いつまでもこの気持ちを隠し続けていては、望に失礼だ。

 言うぞ。絶対に言う。必ず言ってみせる。


 たくさん言い聞かせたはいいものの、人間の心理的な防衛本能とは恐ろしいもので。

 家を出るときには、私はその言葉をすっかり忘れていた。

 本当、ひどい人間だよね。






 いま通っている高校は、私たちの地元からはかなり遠い都会にある。

 校舎へ行くには、家から近い駅を利用すればいい。中学の頃からそうしていた。田舎の駅ゆえに閑散としているけれど、国道が近いおかげで周りにはコンビニや飲食チェーン店もちらほらと見える。

 しかし、私たちがかつて通っていた小学校は、長い坂を上ったはるか先にある。自転車を使うか、低学年時には親に車で送ってもらわなければスムーズには通えない。坂を上れば海に面したこの町を一望できるし、今となっては思い出だけれど、当時は毎日汗を掻かされた。

 その休日の昼頃、私と望は坂の下で待ち合わせをして、二人でそこを上った。ときどきその背中を押してあげながら数十分歩いて、私たちはようやくその小学校に辿り着く。

 電車を使うようになってから、こちらの方面にはまったく来れていない。風景は昔に比べてだいぶ変わっている。小学校を囲うフェンスは元々緑色の網状のものだったけれど、今は茶色いのっぺりとした、鉄板のようなそれに建て替えられている。外から見えていたはずの校庭やプールも今は見えない。ここ最近の情勢に合わせているのかもしれない。なにか付近で大きな事件があったという話は、聞いたこともないけれど。

「なつかしー! あの担任、まだ残ってるのかな?」

 校門から古びた校舎を覗き見ながら、望は言う。その服装はキャラ物の帽子にデニムのショートパンツ、Tシャツは端の部分をリボンのように結んでお腹周りを覗かせ、上手く着こなしている。初デートにしては子どもらしいと言われればそうかもしれない。けれど、今日は動きやすい服装で来なければならない理由がある。

 私は言う。

「今日は入れないよ。日曜だし、例のルートを見つけなきゃだし」

「わかってるよー。でも、また絶対来よう! できるなら、中学の先生たちにも挨拶しに行きたいなー。大和が彼女って紹介するの」

「やめてよ、もう」

 彼女はこともなげに恥ずかしいことを言ってくる。嫌というわけではないけれど、いつも急なので戸惑ってしまう。

「それで、門の前に来たわけだけど。思い出せそう? ここからどの道通ったか」

 私が言うと、望は顎に手を当てて考える。もう片方を腰に当てながら仁王立ちするその姿は、探偵さながらかもしれない。

 小学校一年生のある日。私たちは、学校を抜け出した。

 ちょうど同じくらいの季節だったように思う。夏の初めごろ、授業を受ける退屈そうな望に誘われて、私は思わず彼女を校舎の外へと誘った。しかしながら、私たちの記憶は抜け落ちている。学校を抜け出したその間になにがあったか、今となっては二人ともほとんど覚えていない。

 今日の初デートは、いわばそれを見つけに行く旅。都会の街で、普通に買い物とかをするだけじゃつまらない。あの日私たちがなにをしたのかを思い出せれば今後の仲も深まるだろうし、デートも楽しめて一石二鳥。私たちにとって、これ以上ないプランだと思う。

「うーん、かなり微妙。とりあえず、この歩道橋は渡ったよね?」

 望は言いながら、私を連れて歩く。私たちのいる青い校門のすぐ前に、その古びた歩道橋はある。

「さびさびだね。ちゃんと点検とかはしてるのかな?」

 昔の感覚と比べてかなり低く感じてしまうその段差をひとつひとつ上り、道路の向こう側へと渡る。望は周りの景色を見渡しながら、しばらく歩く。

「一軒家があって、自販機があって……このバレエ教室、なつかしー。こんな田舎でずっと続いてるの、地味に凄くない?」

「ほんとね」

 そのダンシングアカデミーは建物の二階にあって、小学校でもっともきらきらとしていた同級生の女子が通っていた。その一階には、もう潰れてしまったお弁当屋さんが看板ごとそのままになっている。

 そうやって歩き続けてきた途中、望は急に私の腕に抱きついてきた。柔らかくて温かい感触と共に、彼女の匂いがふわりと鼻に広がる。私にとっては、まだ恥ずかしい。腕を強く組み返すにもハードルが高い。ここまで自然にスキンシップをしてくる彼女を、逆にたくましく思ってしまう。

 新しく建ったばかりのコンビニを通り過ぎ、その十字路へと辿り着く。周りに見えるのは草原ばかりで、道路標識も少ない。空にある日光は、直に私たちへと降り注いでくる。

「さて、問題はここからだね。どっちに進むか」

 望は言う。ここら辺は自然ばかりだ。目印になるような建物もなにもなく、幼い頃の記憶を辿るには情報が不足しすぎている。

 それでも、なんとか思い出さなければならない。私は思考を凝らす。今まで通ってきたルートをもう一度思い起こして、九年前の微かに残っている映像と擦り合わせる。……あのとき見た望の目は、素敵だった。私にはない、冒険を楽しむ目。自ら非日常に飛び込んで、人生を彩ろうとする目。忘れたくない。その目をもう一度見られるかどうかは、今後の私の行動にかかっている。

 学校を抜け出した九年前のあの日、森の中。徐々に落ちてくる夕日の光に、彼女は照らされていた。そしてさらに日が落ちて辺りが暗闇に包まれ出したとき、望の目がさらに輝いた瞬間があった。あのとき、彼女が見つめていたもの。まるで異世界に来てしまったかのような異物感を醸し出すその建物。赤い塗装がところどころ剝がれていて、奥には芸術作品のような流線形の屋根が見えていて——



「鳥居……?」

 頭で結論が出るより先に、言葉が出た。

 望は一瞬固まったのち、その言葉に大きく反応する。

「そうだよ、鳥居だよ! 確かあのとき、私たち神社に行ったよね? そこでなにかしたはずだよ!」

「なにかって?」

「それが思い出せれば苦労はない!」

 その通りだ。私は苦笑いする。

「でも、この辺に神社なんてあったっけ?」

 私は言う。過去の片鱗は思い出せたものの、その場所へとつながる手掛かりは未だ思い出せない。

「うーん……とにかく、手当たり次第に探そう! その鳥居さえ見つかれば、もっと色々思い出せる気がするんだよね」

 望は言って、目の前の十字路を左へと進む。その先には木の生い茂る山がある。

 しらみつぶしに探すしかないのは間違いない。私は望のあとへとついていく。

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