第134話 彼女の記憶2

「死ぬわけにはいかない!」


お手製の小さな砦に手をかける。これもまた人形なのだ。この土地の岩石を変質させて作った特別製。わたしが触れると、それは跳ね起きた。戦闘用には作っていない。移動ができて、かつ、動力を切れば、自然とテントのように空洞を作って倒れるだけ。だが、今はそれでいい。


 人形が立ち上がると、中の荷物も風で吹き飛んでいく。でも、それでいい! 人形に驚いた〈フィラーク〉はしかし、勇猛にそれに齧り付き、岩肌に歯を削る。すると、巨大な石礫が天より、真っ赤な光をもって落下してきた。それが、人形ごと〈フィラーク〉を叩き潰す。来た!


 わたしは興奮して振り返り、天を見た。この谷に存在する、わたし以外知らない眩い光。きっと、わたしを救済し、この国を、世界を覆う、汚れ切ったくだらないものを雪ぐ神聖なもの。煌々と輝き続けるそれは、しかとわたしを見て、そして喋った。


「大丈夫ですか、ラナド!」


「え?」


 ここまでの荒天にあって、本来では行えないはずの風魔術。水も泥も礫も塵も混ざった中で、停止飛行をやってのける、天才。彼女の杖が、見たこともない不思議な七色の光を放ち、様々な方向に向かって熱や風を起こし、空中においてもバランスをとっているのが分かった。わたしは、この谷から見上げていた光の正体を知った。


「……イアコ・ハイビット」


 自分より年下で、身長も低い彼女が、なぜか頬を綻ばせてこちらを見ている。


「よかった。ご家族も、ファミル様も心配していました」


「心配?」


 わたしは大声を上げた。


「そうです。もう試験は終わったというのに、あなたの消息が分からなかったからです」


「待ちなさい、終わったって?」


 やめろ、やめろ、そう思ったが、勝手に喉が音を発した。 震えていた。決して、この荒天が由縁の寒さだけではない。


「はい。わたしは五日前、リルは三日前に試験を完了して下山しました。天候も、あと二、三日で急転して、試験の中止基準を満たします。合格者も出ましたし、今年の試験は終わりです」


「馬鹿な! この試験、普通であれば半年はかかると、今までの記録だってそう……」


「終わったんです、ラナド」


 やや困惑してイアコは言った。目線を外している。


「ラナド・ガーレッシュ。あなたはファミル様の秘書として、きちんと実績を積めば、十分ガーレッシュ家の名に恥じぬ名士になれます。それでいいではないですか。司書の一族が、魔術師としてわざわざ名を馳せる必要なんてないんです」


「違う! わたしは、わたしは!」


「周辺の風向きはもう代えておきました。この土地の岩はよく風の形を覚えていますから、配置を工夫すれば風よけになります。しばらく〈フィラーク〉も来ないでしょう」


「嘘をつくな! こんなに雨も風もひどいのに……」


「……それが、わたしとあなたの実力差です」


 イアコはそういって、背嚢を地面に降ろした。


「わたしからです。それだけあれば、徒歩でも下山できると思います」


「ガーレッシュ家からは……」


 そう口走って、後悔した。


「捜索を依頼したのは試験の責任がある図書館です。ファミル様は立場上、直接的応援は出来ないので、その、意図を汲みました」


 その一言で、自分はイアコ・ハイビットに『気遣われた』ことを明確に理解した。


「待っています。それでは」


 イアコはそう言い残すと、荒れ狂う天候の中でも真っすぐに、光を引いて空に消えた。


「お前に、足の指を焼き切られる方が、余程ましだった」


 わたしは指も刺さらない硬い谷底を固く握った。吹きすさぶ雨が、好き勝手にわたしの顔を殴ってくれるおかげで、それ以上惨めな思いはしなくて済んだ。

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