第16話 おいでよゴブリンの村1

われの足がふと止まる。煙の中の旅において、酒は喉を潤し煙を忘れるだけの力しかない。

何故われの足が止まったのか。われには理解が及ばぬ。

ただ、酒を飲み、地面に広がる。

そのとき、煙の臭いや酒の香り以外を知る。

手元に小さな果実があった。その甘さが、再びわれをふるいたたせる。


ジェノバ・バナヤ『教詩編ヤータ記』第四節より


 ***


 真っ黒な格好の旅人の男、ラーピース・メビウスタは、ある日、奇妙な村を見つけた。


 ニゴタ王国のバイパの村から不眠不休で歩き続けて体感六日。彼は例え不眠不休であろうとも、疲労感を感じない体質のため、それ自体は苦ではなかった。ただ、漠然と、こうなる前の習慣か、それとも実は本当に必要なのか、眠りたい、休みたい、という欲ばかりが頭上に浮かんでは消え浮かんでは消え。


 しかし、なんといっても、眠りたいけど眠れなかった。うっすらとした覚醒感だけが彼をひたすら歩かせる。矛盾が体内を循環していた。彼の体は常にそうだった。おかげでずっと不快感が蜷局を巻き、ストレスが喉を内側から噛む。脳がずっとちりちりと燻されるよう。目は充血し、隈が下がる。


 そうして、あるとき、彼は目の前に木を削って作ったらしい、ゴミのような柵を見つけたのである。それを、彼はバイパの村で買った、店で一番いいという剣で荒っぽく砕いた。実はそんなことしなくても奥には進めたが、イライラしていたので仕方ない。


 柵の向こうにはちょっとした土の壁があった。それをやっぱり剣で砕く。すると、その向こうには、彼の胸ほどの高さぐらいの高さしかない、土を固めて作った建物が乱立していた。


 おそらく、村なのだろう。触れてみると、ただの土ではなく粘土質のものを選んでいるらしい。思ったよりもしっかりしている。中を覗いてみると、枯葉だらけの鳥の巣のような寝床があった。


 人間のではない、というのはすぐに分かった。だが、何者だろう。ラーピースは首を傾げた。魔物にしては知性を感じる。なんとなく、趣味の悪い児童公園という表現を思いついた。


 村の中央に、今度は大量の植物を集めて作ったらしい巨大な塔があった。こちらは葉がまだ生きており、最近作ったものと知れる。だが、果たして塔なのだろうか。


 何となく、人型にも見える。偶像崇拝だろうか。だとして、そんなことをする魔物に記憶はなく、もしかしたら本格的に、人間が作ったのかもしれないぞ、という考えがラーピースの脳裏をかすめた。


 建物には何もないというのも気になる。もしかしたら趣味の悪い現代アートなのかもしれない――そう考えながら、引き寄せられるように塔を覗くと、その根元にはガラスや宝石、ただの石ころや金属片がたんまりと積まれていた。ラーピースは息をのんだ。


 男はこれに目がなかった。なにせ、ここには彼と同じ、『同胞』がいるかもしれないからだ。彼は噛みつくようにそこに手を突っ込み中をがさがさと漁った。


 だが、どれもこれも取るに足らない。本当にガラクタばかりだった。男は肩を落とした。だが、ここ以外にもこういった、きれいなゴミがあるかもしれない。それこそ、家一軒一軒を確かめる必要がある。ラーピース・メビウスタの心中に希望が湧いた。


 そうと決まれば破壊である。剣を拾い上げ、建物を砕く。砕く、砕く。そうしているうち、突然周囲に甲高い絶叫が響いた。否、絶叫であっただろうか。まるで『黒板を爪でひっかいた』ような音であった。思わず耳をふさぐと、建物の向こうから、あるいは遠く、村を囲む壁の向こうから、小さな影が次から次へと飛び出してきた――ゴブリンだ。彼の腰ほどの身長、半端な腰巻や何やらを身に着けた深緑の、あるいは土褐色の人型。鋭く尖った耳と大きく出っ張った鼻、黒目の大きい瞳が、木の棒を片手に敵意をむき出しにして走り寄ってくる。涎が糸を引いている。それが数十匹、四方八方から。


 なるほど、ここは彼らの『村』か、とラーピースは得心した。

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