第2話

 揺れる馬車の中から外の景色を眺めていた。もうずっと長いこと馬車を走らせていて、お尻が痛い。そろそろ酔いそうだ。妾は窓を開け、御者に声をかけた。

「すみません、酔っちゃって。ちょっと、休ませてはもらえませんか」

「またかい」

 御者はあからさまに嫌な顔をする。いいのか、そんな態度を獲るなら馬車内を吐瀉物で阿鼻叫喚にしてやるぞ。とは思ったものの、口には出さない。そんな事態になったら妾も辛い。

 貴族のようなドレスは持っていないし、学園の制服も回収された。妾はみすぼらしい田舎娘の格好をしている。みっともなくて嫌だなぁ……馬鹿にされるんじゃないだろうか。そう思った。

 止まった馬車から降りても、足元がぐるぐるする。一度吐いたらすっきりするかもしれない。

「こんなペースじゃ今日中に着かないよ」

「それは困りますね」

 御者は妾のことを使用人か何かだと思っているのかもしれない。いや、きっとそうだ。でも、似たようなものだ。

 スヴェンは四十代男性らしい。社交界にはほとんど顔を出さないそうだ。仮に頭が禿げ上がった中年太りであっても、文句を言える筋合いはない。妾に求愛する、その理由としては莫大な魔力を持つ子孫を作ることだろう。はぁ……妾の人生こんなものよ。消費されていくのだ。

「もう、いいかい?」

 御者につつかれ、また馬車内に舞い戻る。揺れるの嫌だな。


 ようやく、屋敷が見えてきた。よく手入れされた大きな庭が覗けた。腕の良い庭師がいるのかもしれない。

 日が暮れてきてちょうど屋敷が赤から黒へと姿を変えた頃だった。屋敷の前に立っていたメイド服の人物から、御者は報酬を受け取って帰っていった。

「本当にあなたがイリーナ・グロ様で……?」

 眼鏡をかけた冷たそうなメイドは、妾を訝しんでいる。間違いなく自分だと答えると、「本当に平民出身の方なんですね……」と呟き、怯えたようにハッと口を噤んだ。「いえ、すみません」

「こちらこそ、こんな田舎娘で……すみません……」

「スヴェン様がお待ちです。その恰好では何ですので……少々お手間取らせますが、こちらへ」

 初っ端から肩身が狭い。


 困り顔のメイド達に囲まれて、サイズのあった清楚なドレスを着せてもらい、髪は簡単に巻かれ、メイクをしてもらった。時間が押しているようで皆慌ただしく動いていた。

 どういうメイクが好きですか? などと聞かれたが、普段は地味に目立たなくてマナー違反にならない程度のメイクをしている、なんて答えられなくて、ピンク系……とか、と、曖昧な表現をしていた。

「可愛い系ですね! きっと似合うと思います!」

 メイクを担当してくれたメイドはまだ若くて、同い年くらいに見えた。眩しいほど白い歯を見せて笑って、魔法のように妾に化粧を施していった。

 さて、着飾った妾を待つスヴェンという人物はどんな人間だろうか。会ってがっかりされることのないよう、せめて胸を張る。

 もう夕食の時間だというので、食堂でスヴェンと対面することになった。せっかく塗った口紅が食事で落ちる気がしたが、気にしない。

 食堂に案内されて、扉を開くと、既に一人食事を始めている人物がいた。

「スヴェン様、イリーナ・グロ嬢をお連れしました」

「……そこ座らせといて」

 大きく頬張った肉を咀嚼している途中だったようで、雑な指示が飛んできた。妾は席に着き、メイド達が退散していく。

 しかし、ハムスターのように頬を膨らませるその男性……確か四十代だと聞いていたはずだが、二十代にしか見えない。

 頬張っていた分を飲み込んだスヴェンは、すっと通った鼻筋が異国の地を思わせる、大変な美丈夫だった。シルバーの髪に空色の瞳がよく似合う。

「いらっしゃい。遅かったから先に頂いていたけど、悪いね。君も好きなように食べるといい、我が婚約者殿」

 ウインクをするその人に、聞きたいことは沢山あるけれど、茶目っ気のある人だな……という第一印象に流された。

 それに、タイミングよく妾のお腹も鳴った。今の音がスヴェンに聞こえたかわからないが、恥ずかしい。

 テーブルに用意されていた料理はかなり冷めていた。相当待たせてしまったんだな、と予想がつく。

「遅れて、申し訳ありませんでした」

 いや待て、もしかして席に着く前に謝るべきだった? 自己紹介はどのタイミング? 今? 迷うな、やれ!

「妾、ご存知かもしれませんが、王都の学校で制御魔法を……」

 途中で手のひらを見せるスヴェンに遮られる。

「食べなさい?」

 声が冷たくてひやりとした。妾は慌てて食事を始めた。


 冷めても美味しい食事を終えた。先に食べ始めていたスヴェンは早くに食べ終わったが、妾を急かすこともなく頬杖をついてぼーっとしていたようだ。

 妾が食べ終えたのを見たスヴェンが、柔和な笑みを浮かべてこちらを見ている。

「扱いきれない闇魔法の使い手で、制御魔法が苦手なんだって?」

「は、はい……」

「たまたま、私も闇魔法の使い手で、制御魔法が得意だ。教えてあげられる。暴走すると辛いだろう?」

 なんだ、いい人そうだ……。

「四十代の方だと聞いていたのですが……」

 一番の疑問をぶつけてみる。

「……そうだね。妻になるものには知っておいてもらおうかな。私の見た目が若いのは、魔人の血が入っているからだよ」

「魔人……」

 最近まで戦争していた種族だ。確か、魔族全体の内部争いが激化して、人間の国が有利な条件で和平を結んだとか。

「嫌かい?」

「いえ、とんでもない!」

 まだまだ魔人との友好関係は築かれていないが、スヴェンはいい人そうだ。それに、このままいけば夫になる人なのだから、悪く思われたくない。この人もそう思っていることだろう。

「これから、よろしくお願いします」

「よろしくね」

 彼はにっこりと笑った。

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