内閣府ダンジョン対策庁サイド-04-

 こうした松方の動揺とは裏腹に麻耶はいたって冷静な話しぶりであった。


 まるでこんなことが起きることを予測していたかのようですらある。


 松方は、麻耶のその態度を見て、今あらためて実感した。

 

 もはや麻耶は松方がよく知る22年前の時の彼女とはまるで違うことを……。


 それは松方自身、よくわかっていたはずであった。


 彼女はダンジョン協会の会長という要職を担い、さらにはその前はS級冒険者として活動していた。


 そして、会長就任後の麻耶の辣腕ぶりは庁内に限らず他の省庁でも話題になっていた。


 麻耶が会長になる前までは、ダンジョン協会日本支部は国連の一出先機関であった。


 といえばまだ聞こえはよいが……要は単なるお飾り機関であった。


 ダンジョン関連の実務を遂行する人材も力も皆無で、関連省庁の天下り先になっていた。


 だが、麻耶が会長に就任してから数年……ダンジョン協会日本支部は変わった。


 麻耶は、自身のS級冒険者時代の人脈と日本を代表する財閥の一つである二条院家の当主という地位を積極的に使った。


 気がつけば、今やダンジョン協会は松方ら各種省庁よりも権限も、情報も、人材も……そして実力も持っている。


 そんな麻耶だが、当然敵も多い。


 特に自分たちの縄張りを荒らされたと思っている省庁関係者は麻耶を白眼視するものも多い。


 麻耶が女であり、さらに異能者であることもその傾向に拍車をかけている。


 麻耶を心よく思っていないものが、彼女のことを口汚く「女狐」と呼んでいるところを松方は何度も聞いている。


 が……それでもやはり松方の記憶にあるのは、二条院家の箱入り娘であった若き日の麻耶の姿なのである。


 そして、幸せそうに少し照れながらはにかんでいる美しい若妻としてのイメージなのだ。


「フフ……『麻耶ちゃん』ね。そんな風にわたしを呼ぶのは松方さん、今はあなたくらいなものよ」

 

 麻耶の口ぶりは、怒っている訳でもなく、ただ懐かしむような物言いだった。


「すまない。ついつい昔の感覚で」


「別にいいわ。でも……もう昔のわたしではないわ」


「ああ、そう……だな」


「話しがそれたわね。二見の拘束にあたっては陸自の部隊を動かすわ。一応登録されている冒険者を拘束する以上、話しは通しておこうと思ってね」

 

 麻耶は、そうあっさりととんでもないことを言い出す。


「陸自って……まさかあの部隊を!?」


「……既に根回しは終わっているわ。一応筋を通すためにあなた方ダンジョン対策庁にも事前に通達しただけよ」


「麻耶ちゃん……きみは……いったい何をするつもりなんだ?」


「やるべきことをやるだけよ。この国の治安を守るためにね。二見は異能の力を持つ諜報員……そんな男が国内で共謀して破壊活動を行った以上、当然の措置よ」


「そのために陸自を動かす……と」


「ええ……そう。未だにダンジョン内での軍……いえ自衛隊の活動を公式に禁止しているこの国にとっては良いデモンストレーションになるわ」


「やはり22年前の事件なのか。あの事件が未だに君を……」


「……あの時、ダンジョンには警察などではなく、自衛隊を派遣するべきだった。そうすればあんな犠牲も……あの人だって……」


 沈黙がしばし続いた後、麻耶は話す。


「……昔話しがすぎたわね。とにかく……この国はいい加減に平和ボケから目覚めるべきなのよ。先の大戦から78年……それにダンジョン出現から25年も経っているのよ。少なくとも自国の領土内で堂々と工作活動をさせるなんてなめたことはもうさせないわ」


「もう22年も経つんだ。いい加減忘れて前に進んでも……アイツだってそれを望んで——」


「そうよ、松方さん。あれからもう22年経ってしまったのよ。この国も、世界も、そしてわたしも……ダンジョンの出現で全てが変わった……いえ変わらなければならないのよ。わたしも、もう夫を失って、ただ泣いているだけの女じゃない。わたしはあらがう力を……わたしからあの人を奪ったダンジョンで……手に入れた」


「異能か……」


 麻耶がS級冒険者として活動していた時点で、彼女が異能者であるとは十分わかっているつもりであったが……それでもやはり……。


「ええ、おかげで諜報員もたやすく撃退できたわ」


「……わかった。もう何もいわない。局長には俺から話しておく」


「それはよかったわ」


 と、麻耶はしばしの間を開けると、独り言のようにつぶやく。


「この世界にダンジョンが現れてから25年か……。ねえ松方さん…結局……わたしも松方さんもあの忌々しいダンジョンにとことんまで縛られているわね……松方さんが役人を続けているのだって、あの事件が……」


「俺はただ安定を望んでいる小役人だよ」


「そういうことにしておくわ。カミソリ松方さん」


 それを最後に電話は切れた。


 が……松方はその後も受話器を睨み続けていた。


 脳裏には麻耶の亡くなった夫——失った後輩——の顔が浮かぶ。


 その通りだな……麻耶ちゃん……。


 結局、俺もいつまで経っても縛られている。


 この忌々しく、ふざけたダンジョンとやらにな。


 ティッピングポイント——転換点——か。


 誰が名付けたのか、知らんが……まったく確かにこのダンジョンとやらのおかげで、この国も、世界も、そして俺も永遠に変わっちまったよ。


 松方は机の中の奥にしまっていた写真を取り出す。


 古びて色褪せた画質の悪い写真を松方はじっと見る。


 そこには若き日の松方、麻耶、そして松方の後輩にして、麻耶の死別した夫の三人が写っていた。

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