露国対外情報庁サイド-04-
実際、イヴァンは話しを信じていなかった。
サーシャのことを信用していなかった訳ではない。
別にサーシャの忠誠心などつゆほども信用していないが、工作員としての能力は信用している。
しかし、人間の記憶は曖昧でいい加減なものなのだ。
すぐに記憶を自分の都合のいいように捏造する。
しかも、大抵の場合は、記憶を捏造したことにすら無自覚なのだ。
イヴァンは30年以上の諜報機関での経験からそのことを嫌というほど実感していた。
そして、そうした人の記憶の特性を利用して、様々な工作活動を行ってきた。
今回についても、その類のものかと携帯端末で動画を見たのだが……。
イヴァンはまず動画に映っていたモンスター——巨大な黒い鎧——を見て、言葉を失ってしまった。
あれは……我が国のダンジョン奥部に出現した黒い悪魔……。
小火器では歯がたたず、リスクを承知でダンジョン内で使った迫撃砲でも致命傷を与えることはできなかった文字通りのモンスター……。
ダンジョン奥部への探索を長年阻んでいる忌まわしい悪魔ではないか。
だがしかし、次の瞬間、その黒い悪魔の首がなくなる。
たった一人の男の手によって……。
動画の最後は男が上空から光のようなものを放ち、戦車を破壊しているところで終わっていた。
いずれもドローンからかなりの距離を置いて撮ったものと思われ、その画質はお世辞にも良いとは言えない。
時間にしてわずか一分たらずの動画であった。
その荒唐無稽な内容からして、Dtubeに無数に上がっているデキの悪いショート動画のようである。
しかし、イヴァンは下手をすれば実に数分間言葉を失い、ただうなっていた。
イヴァンはその間、ひたすら動画に対する思考を続けていた。
この動画は真実かフェイクか。
フェイクではなく真実だとイヴァンはすぐに確信してしまった。
サーシャが自分に対して嘘は吐くことはあるし、その理由もたんまりある。
だが、たとえサーシャに何か隠したいことがあっても、こんな明らかに異常な動画を偽装し、イヴァンに見せる訳がない。
それはサーシャにとって、まるで意味がない行為だからだ。
何らかの嘘を隠したいのなら、ウォッカを三瓶飲んだ頭でも、もう少し別なことなことをしようと思うだろう。
つまりサーシャはこの動画に限っては嘘偽りを言っていない。
だから、イヴァンの頭は混乱してしまう。
この動画が真実だとするならば、いったい全体この男は何なのだ。
男の容姿からは少なくとも東洋人に見える。
場所を考えれば日本人である可能性が高い。
そこで、イヴァンの脳裏にあることが浮かぶ。
この男……数日前のDtube上で話題になった動画の人間と酷似している。
そして……今はもうその動画はDtube上には存在していない。
その一切が運営側によって徹底的に削除されている。
当初イヴァンはこの動画の件はそこまで気にしていなかった。
よくあるフェイク動画の一つだと思っていたのだ。
だが、あまりにも神経質的に削除を続けるDtube側の動きを見て興味を持った。
自由放任主義を標榜し、現に悪質な違法動画でさえも放置しているDtubeがなぜか今回に限ってはすこぶる対応が早かったからだ。
問題の動画だけではなく、男の配信したとされる動画もそのアカウントごと一切が削除されていた。
イヴァンの目からはまるでこの男の存在を誰かが世間から抹消したいかのように見えた。
そして、その誰かとは間違いなく政府……アメリカ人どものはずだ。
Dtubeの運営元はビックテックと呼ばれる巨大IT企業であり、その一角を占めるアルファノヴァである。
そして、ビックテックの全ては忌々しいことにアメリカ企業であり、当然アメリカ政府の監視下にある。
「自由」を標榜していても、結局のところアメリカ人どもはいざとなれば我が国の政府よりも強引に事を運ぶ。
それはアメリカ人どもの短い歴史を見てもあきらかである。
アメリカ人どもがその存在を世間から隠しておきたいと思った男……。
その男が再び現れたというのか。
「……わたしの気持ちも少しはわかったでしょう?」
やがて、空気音しか聞こえてなかった電話口からサーシャの声がして、イヴァンはようやく我に帰る。
「この男は……何者なのだ。日本の関係者なのか?」
答えが返ってこないことはわかっていた。
だが、それでもイヴァンは声に出さざるを得なかった。
「……さあね。日本のアーミーではないはずよ。この男……彼らと対立していたから」
「対立して……戦車を破壊か……」
イヴァンはそう漏らすが、自分で言っておきながらも、思わずバカらしくなってしまう。
「ところで、お前は、その男と接触したのか?」
「あんな危険な奴と接触する訳ないでしょ。わたしだって自分の命が大事なのよ。その動画を撮るのだって、気づかれやしないかヒヤヒヤしたんだから」
「そうか……」
つまり、この男の件からこちら側まで探られる心配はないというわけか。
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