陸上自衛隊特殊作戦群サイド-05-
この場に誰かがいたならば確実に場が凍りついていただろう。
実際のところ麻耶以外の人間にこんなことを言われたら、綾音はこの場で相手に対して手が出ていたかも……いや間違いなく出ていただろう。
が……麻耶は綾音にとっては叔母のような人間である。
そして、麻耶も綾音のことを姪のように考えている節がある。
22年前の事件以来、麻耶とは公私ともにお世話になっている身である。
だからなのか、綾音はこうした小言めいたことを言われるのに慣れてしまっている。
「はあ……まあ……」
内心思うところがたっぷりとある綾音であったが、曖昧な返事に留める。
反論したらしたで、麻耶の小言の勢いが増すことを綾音はよくわかっているからだ。
が……それも無駄だった。
「三尉、真剣に聞いているの? わたしはあなたの将来のことを思っているのよ。いつまでも若いままではいられないのよ。それにこんな危険な仕事を女性のあなたが——」
と、麻耶のいつものマシンガントークがはじまってしまう。
綾音は麻耶の言うことを聞き流しながら、別のことを考えていた。
それにしてもこの人は、自分のことはどう思っているのだろうか……。
麻耶は、妙齢といってもよい年齢ではあるし、子供もいる。
が……それでいて麻耶はとても若々しく、綺麗である。
現に麻耶のその美貌に惹きつけられて、彼女にアプローチをかけてくる男は多い……と聞く。
その結果が悲惨なものになることもいとわずに……。
綾音が知る限り……というか間違いなく、麻耶は未亡人になってから——つまりこの22年間——まったく男の影はない。
美月もまもなく成人するのだし、麻耶がそういうことを望んでいるのならば、簡単なはずだ。
それに……危険という面で言えば、麻耶はかつて冒険者だったのだ。
そして、今もこうして会長という立場でありながら、現場におもむこうとしている。
つまり、麻耶は、自分自身は仕事一筋で、危険を顧みない振る舞いをしている。
そのくせして、なぜか他人には一昔前の女の役割に甘んじることが理想のように説いている。
まったく……酷く矛盾している。
まあ……たいてい人間なんて矛盾した生き物か……。
綾音はふと、あることを思い出していた。
今では想像もできないのだが、麻耶がかつては二条院家の箱入りのお嬢様だったという話しを……。
そして、男——亡くなった夫——の三歩後ろを歩いていくような時代錯誤といってよいほどの女性だったと……。
もしかしたら、22年前のことがなければ、麻耶はそれこそ深窓の令嬢として生きていたのかもしれない。
麻耶自身……心のどこかでそういう生き方を未だに望んでいるのだろうか。
いわゆる昭和の男のような夫——そうお父様のような人——の妻として生きることを。
そうね……。
お父様のような男がもしいるのなら、わたしだって……。
まあ……そんな男がこの時代にいる訳がないか。
「——三尉! 聞いているの!」
「え? はい」
まだ……話しが終わっていなかったのか。
わたしでこれなのだから、美月は苦労するだろうな。
いや既に苦労しているのか……。
「会長、わたしも諸々の準備もありますし。そろそろ——」
「え……そ、そうね」
話しに付き合っていたら、任務どころではなくなってしまう。
綾音は早くも今日三度目のため息を心の中で吐きながら、その場を後にする。
去り際に、麻耶から声をかけられる。
「三尉……いえ綾音。くれぐれも油断なく——」
「勿論です。会長こそ……もう冒険者ではないのですから」
ふ……いつもこうだ。
麻耶さんは、わたしのことを未だに出会った頃の子供だと思っている節がある。
わたしはもう5歳の娘ではないのに。
言われるまでもなく油断などするはずもない。
失う痛みは22年前に嫌というほど味わっている。
もう……二度と奪わせない。
大切な人も部下も……。
そう今度はわたしがみなを守るのだ。
お父様……わたしはもう二度と過ちを犯しません。
◆◆◆◆西条花蓮邸——強行突入から10分後——
想定通りの任務のはずだった。
少なくとも途中まではそうだった。
麻耶が対象の目の前まで行くというアクシデントはあった。
が……麻耶のそうした危険な振る舞いも綾音は想定していた。
だから……十分に対処できるはずだった。
現につい数分前まで何も問題はなかった。
マインドチェーンを発動して、部隊全員を綾音の意識下につないだ。
後は突入して、対象を捕縛するだけ。
それだけだったのに……。
それが……いったい今のは何なの!?
綾音は内心の動揺を隠しきれなかった。
内心だけではない。
綾音は傍目から見てもわかるほどにうろたえてしまっていた。
どんなに心が乱れていても、冷静であるフリをしなければならない。
それが……士官の役目だというのに……。
「さ、三尉! い、今のは!?」
中里が声を震わせている。
声だけではなく、その大きな体も震わせている。
その様子は控え目にいっても、狼狽しているといってよい有様であった。
中里がこんなに怯えているのを綾音は見たことがなかった。
綾音は、懸命に自身の心を落ち着かせようとする。
だが、だめだった……。
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