第12-1話
ゴールデンウィーク前日に取った有休のおかげで、紅緒の今回の連休は一週間となっていた。
出勤してみると、まるではじめて訪れる場所のような気になる。
「おはようございます――三嶋さん、どこか出かけたんですか? 旅行とか」
紅緒が紙袋から菓子折を取り出すのを見てか、中川が声をかけてきた。きさらぎ駅の件以降、あまり周囲に関わろうとしなくなっていき、話しかけられると珍しいと思ってしまう。
「いえ、家でぼーっとしてました」
「え、ずっと?」
「ずっとです。近所歩き回ったり、ネットで映画観たり。旅行も考えてたんですけど、いきたい場所に予算が合わなくて……それならいっそ家にいようと思って」
中川が笑顔になった。
「リフレッシュできそうですね、それ。ゆっくりするの、かえって贅沢な感じ」
「楽しかったです。近所のお菓子屋さんにも行ってみたり……これ、そこのお饅頭なんです、食べてください」
居成の席のとなりにある書類ケースの上に菓子箱を置き、メモに『よかったらどうぞ 三嶋』と書いて添える。
以前自転車の中古販売のため出かけたとき、販売に来ていた和菓子屋だ。日持ちするものとして選んだ黒糖饅頭を、さっそく中川が口に運んでいる。
「おいしい!」
「よかったです。中川さんのお裾分けしてくれるお菓子、なんでもおいしかったから」
お母さまはお元気ですか――そこまで尋ねるのは止めた。行方不明の時期以降、差し入れなども止めているし、ちらりと中川が退職を考えているという話も耳に入っていた。
「私、ちょっと共用にいってきます」
「はぁい」
紅緒は六階の共用スペースに向かい、手早く菓子を置くと今度は十階に向かった。
訪ねた資料管理室には全員がそろっていた。
「お土産、どうぞ」
紅緒が菓子を差し入れるのは日常的なことで、遠慮なく豊田は受け取った。
そのとなりから武藤が頑丈そうな手提げを差し出してくる。
「私に?」
「はい、連休中に実家に来客があって、それのお裾分けです。三嶋さん、果物も好きみたいだったので」
はじめて見る箔押しのロゴが入った、どことなく骨壺を連想させる袋だった。開口部は半透明になっており、そこからのぞきこんで中身を知ることができた。
「……苺」
「すっごい甘かったですよ! 俺ももらっちゃった」
いひ、と笑う豊田の浮かべた表情からして、苺は美味らしい。
「嬉しいです、ありがとうございます」
朝から有頂天になりそうだ。
共用スペースにあった紙袋を拝借し、苺の入った袋を納めると、紅緒はマジックで『総務三嶋』と書いて冷蔵庫に入れた。
帰りに練乳を買って帰るか、そのままの風味を楽しむか迷いながら総務部に戻ると、先ほどは無人だった席に如月がすわっている。
明るくなっていた気持ちも、如月の笑顔を見たらどこかに消えた。
「おはようございます」
「三嶋さん、苺のにおいしませんか?」
「如月さん、お土産のお菓子あちらに置いたので、よかったらあとでどうぞ」
「苺のお菓子ですか?」
「黒糖饅頭です」
ふーん、という如月の声を聞き流し、紅緒はパソコンの電源を入れた。
連休明けの残業は覚悟していたが、総務総出で取りかかっているためか、そのうち片づく、と肩の力を抜いていられた。
居成の奢りで宅配ピザを夕飯にし、九時にはフロアから全員引き上げていく。
「冷蔵庫に忘れものをしたので……お疲れさまです、失礼します」
手早く着替えた紅緒は、荷物を抱えると更衣室のドアに向かった。
「お疲れさまでーす」
声を背に受け、一路紅緒は六階の共用スペースへ――目当ての苺はよく冷えていた。
のぞきこむと、宝石のように輝く苺が二パック。可憐な少女と目が合ったような気分になった。
時間は遅いが、デザートがあると思うだけで浮き足立ってくる。
「お疲れさま」
会社を出ると、道の影に如月が立っていた。
「どうしたんですか? 帰ったんじゃ」
素通りしてもおかしくない場所から、影に溶けこんでいた如月が前に出てくる。
「御寮のこともありますし、話しながら帰りましょう」
相変わらず結界石で道は守られ、暗い道に通行人は少ない。
ピザで空腹も満ちているからか、いつもより紅緒の足取りはゆったりしたものだった。
「三嶋さん、連休中どうでした? 連絡くれるかと思ってたんですが」
「引っ越ししたんですよね?」
「広い家っていいですよ。使わない部屋があっておもしろい」
「如月さん忙しかったんじゃ……まずいことが起きたりしたら連絡しましたけど、忙しいところに連絡しないです。八尺さんも静かに過ごしてくれてましたし」
「でも俺はもっと三嶋さんに話してほしいですよ」
「ああ……」
通り過ぎていく足下、結界石を紅緒は一瞥した。
確認が足りず、ひとつでいいのにたくさん紐を断ち切ってしまった。そのせいで結界は崩れ、八尺御寮はおもてに出た――コミュニケーション不足というやつだ。
「いろいろ確認していったほうが、ミスも少なくなりそうですよね。結界石のこともすみませんでした」
「ひとの考えを先回りしようとするの、三嶋さんの癖ですか?」
「先回り?」
「俺は結界石のことを話したいんじゃないです。三嶋さんは俺に相談しようとも思わないでしょう? くだらないと思うようなことでもいいんです、話してください」
「……それは相談じゃなくて、世間話ですよ」
「ですね。世間話しましょう」
兼業のほころび塞ぎのことを考えると、確かにもっと紅緒は彼とコミュニケーションを取るべきかもしれなかった。
「世間話かぁ」
リリちゃん人形を相手にしていたときのような、気軽な会話を持てばいいのかもしれない。
「急に難しいなら、ちょっとずつでもいいですよ。もっとこう……現世の人間っぽくしていきましょう」
「……私、人間っぽくないってことですか?」
低い声を出した紅緒に、如月は闇を滴らせノイズをまといながら笑った。
「じゃあ、仕事の話を――どうです、御寮は納得して帰ってくれそうですか? 外出したがったりは」
彼のなかでは閑話休題なのだろう、紅緒もそれに異を唱える気はない。
家にきてからしばらくは、最近の家電の使い方や現代の情報収集の仕方など、一般常識をひとつずつ説明していった。
家電量販店をぐるぐる歩き回ったことから察していたが、彼女は電化製品に強い興味を持っている。当初は冷蔵庫で食べものが冷えることや、それを電子レンジで温められることに執心だった。
「……意思疎通はちょっと難しいです、言葉でのやり取りができないので。でも好みはわかってきました」
「好み?」
駅が目前となり、如月が足を止めた。紅緒も道端で彼と並んで立つ。
「八尺さん、ずっと私の部屋にいます。今日もネット配信のドラマとか映画、連続再生できるようにして置いてきてますよ」
「……ドラマと映画?」
如月が首をかしげると、闇がぼたりと落ちていった。
「ええ。海外のスケールの大きい話がとくに好きみたいです。王侯貴族の愛憎劇とか」
「愛憎劇」
「いまは昔の時代の、北欧の国盗り合戦みたいな話を……まだまだ先の長いドラマですね」
例にいくつか八尺御寮が前のめりで見ていたタイトルを挙げると、如月は長いため息をついた。
連休の間、紅緒はほぼ自宅にいた。八尺御寮と映画やドラマを見、積んでいた本を読み――それだけでも楽しい連休だった。
「八尺さん、ホラーは苦手みたいです。ほかはコメディなんかも好きみたいですよ。一応、話が完結してないものは流してないです。帰るときに結末がわからないままなの、いやじゃないですか」
「……帰る気あるのかな」
そこは紅緒も不安に思っている。
パソコンで動画を連続再生できるためか、八尺御寮は一日中パソコン机の前に立って映画を見続けていた。立ちっぱなしで平気らしい。
指差しで次になにが見たいかのリクエストもしてくるが、おとなしいことこの上ない。
「八尺さんってなにかの怪異だったりするんですか? リリちゃんとかワンちゃんみたいな」
ほころびから漏れ出るものは、そういった手合いばかりではないだろう。だが彼女のことがなにか伝わっているなら、それはおもしろそうだ。映画と散歩好きの怪異なら、怖い話でもないかもしれない。
「以前迷子になったときのことが、ちょっとした都市伝説になって残ってますね」
「迷子になったんですか? 前に私、八尺さんらしき方と、エレベーターで一緒になったことがあると思うんです。如月さんもいて」
スマホを取り出し、操作しながら如月は続けた。
「会社のエレベーターの上に、潰れた石碑――の欠片があるんです。社長がどっかから御利益があるってことで買って安置したそうで……それ、御寮の持ちものだったんですよ。だからそこを通れちゃうんです、御寮は。社内を歩いてみたいとのことで、まあそのくらいなら、って許可していたんです」
目線を上げ、如月が微笑んだ。
「貸しをつくっておきたくて。でも気がついたら御寮は会社を出てたんです。どうやら社員が歩き回るところはすべて社内、って受け止めてたようで。だから気軽に社屋から出ていっちゃった」
「散歩中……かな、べつのところで見かけたこともあります」
「歩き続けたら、どこにでも行けますからねぇ――それで結界石を置くことにしたんです。三嶋さんと総務でご一緒するようにもなりましたから、ほら、眷属になってもらう気でいましたし、一人前になるまではと思って」
「気の長いことを」
「ええ、俺はのんびり屋さんですから。とりあえず、で会社のまわりに結界石で道をつくったんです。三嶋さんの通勤ルート全部に広げるかはともかく、このあたりだけでも、って」
如月がスマホでぐるりとあたり一周をしめした。
生活圏を結界石で覆っていこうとするなら、大変な作業になりそうだ。
「そのときは八尺御寮は社内をうろうろしていたので、俺も気を抜いてたんです。ほら、わりと楽天家なところもあるんですよ俺。でも三嶋さんが結界壊し過ぎて、御寮もさらにおもてに出ていった」
あのとき八尺御寮が出ていっていたから、エレベーターに乗っていいと話していたのか。
「それって楽天家なんですか?」
如月はスマホの画面を紅緒に向けてきた。
液晶画面の文字列『八尺さん』。
「残ってる怪談だと、『やさか』じゃなくて『はっしゃく』ですね」
その八尺さんという怪談は、背の高い女性の怪異につきまとわれるというものだった。
狙った相手の生命を取ろうとするが、お守りや塩を持った部屋に立てこもることで身を守ることができるそうだ。
「……背が高いところしか、八尺さんと合ってないですね」
八尺御寮はその背丈も、本人の意思で伸び縮みできるようだ。映画に前のめりになっているとき、大体一八〇センチくらいになっている。もしかすると、本人が一番楽なのがそのくらいなのかもしれない。
「本気になったらどうでしょうね。怒らせたらなにか起こるかもしれませんよ」
如月がそういうと、本気の警鐘であってもただの冗談に聞こえてしまう。
「怒って怖くないひとっていないでしょう。如月さんだって、きっと怒ったらめちゃくちゃ怖いですよね」
「俺としては、連休に御寮をなんとかできないかと思ってたんですよね」
「なんでですか?」
「引っ越しが終わって、御寮にも帰ってもらえてたら万々歳でしょう。なにより結界石の手入れがいい加減面倒なので――あ、三嶋さん覚えましょうよ、そろそろ」
如月にスマホを返し、紅緒は駅を目で示す。
「このあたりで帰りますか……あと三嶋さん、苺のにおいずっとしてますよ」
「気のせいですよ」
「白猫から聞いてます。べにぃがあまうまいちごもってったぁ、だそうで」
通勤カバンを開くと、如月はそこから折り畳みエコバッグを引っ張り出した。
「武藤くんが二パック預けたといってました。ほら、出して」
「いやです」
「ふたつは多いですよ。ほら」
「独り占めしたいときだってあるんです」
「また今度にしなさい。白猫に意地汚い真似してたって報告しますよ」
白猫に意地汚いと思われたくない――そう逡巡した隙に如月に袋を取り上げられ、甘い香りの苺が一パック奪われていった。
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