第11-2話
「失礼します、ちょっといいですか?」
資料管理室に入りながら、紅緒は声をかける。
「はぁい――俺と武藤さんはいますよ、猫ちゃんはお散歩に出てますが」
仕事は終わったのだろう、すっかりくつろいだ様子の武藤と豊田がいる。いくらでも手を抜ける部署なのだが、ふたりの性分からかきっちり働いているらしい。更衣室で耳にしたふたり評判はなかなかよかった。
「お時間いただいても」
「どうぞどうぞ! ずんだ饅頭ありますよ、三嶋さんも如月さんもお好きです?」
片づいた作業台の上には、お茶のセットと菓子箱が置かれている。
「僕たちも、おふたりに見ていただきたいものが」
ふたりの間にはタブレットがあり、それを差し出してきた。
「……もしかして、動画ですか?」
武藤たちの目が輝く。
「ご覧になってます?」
「けっこうびっくりしてるんですよ、俺ら」
「豊田くんが見つけて教えてくれたんです。ネットのオカルト系のところでも、けっこう大きく取り上げられてます」
如月がいやそうな顔をし、すぐ闇に飲まれていった。
ふたりが見せてきたものは、くだんのライブ配信されたマチマチャンネルの動画だった。
内容だけでなく、ふたりは寄せられたコメントにも目を通している。
「僕にはじわっとした黒い影に見えて、豊田さんには女のひとに見えてるんです。ね?」
「ですです。それで、三嶋さんたちはどうなんですか? 動画見たから来たんですよね?」
本来なら怖いはずだろうが、好奇心などの刺激が勝っているらしい。紅緒の目には明確に八尺御寮として映る部分を、武藤の指がたどっていく。
「動画もそうなんですが……」
紅緒はとなりの如月を一瞥した。うなずいた彼は話を引き取り、口を開く。
「先週、この方たちと話す機会がありまして」
如月がかいつまんだ先週末の出来事を説明する間に、白猫がどこからともなく現れた。話を聞きながらも、資料管理室のふたりは当たり前のように白猫の毛並みをもみくちゃにしはじめる。
「俺、その場所知ってます。心霊スポットで有名なのに、情報がほとんど出て来ないんです。引っ越したら見学させてください」
あちらへの出入り口がある――その点は説明に出て来なかった。豊田をあそこに近づけたら、なにか反応するだろうか。
「動画を見たら、こんな状態でしたので……確か豊田さんのお知り合いだっていうのは覚えてたので、この方たちがこういう状況に慣れてるのか、そこをお訊きしたいと思って」
紅緒が言い終える前から、豊田は困った顔つきになっていた。
「俺、行方不明期間があるじゃないですか」
白猫が欠伸をする。すかさず武藤と豊田が白猫の犬歯を撫でた。
「戻ってから、町谷さんたちに連絡取ったんです。そしたら『きさらぎ駅からの生還者』って番組つくろうっていわれて」
あちらにすれば、ネタがのこのこ寄ってきたようなものだろう。
「豊田さん、参加するんですか?」
「断りました。怪談とか都市伝説とかの検証もしよう、って誘われましたが、でもなんていうか……気乗りしなくて」
意外に感じなかった。
もう豊田にしてみれば、怪異やそれにまつわるものは検証する対象ではないのだろう。
足を踏み入れ、助けを得てあちらで生活していた。いまは巨大な白猫がそばにおり、彼は恐れる様子もない。
「豊田さん、詳細はお話しできませんが……動画のことでマチマチャンネルの方たちにお会いしたいんです」
ですよね、と紅緒は如月を一瞥する。
「この動画配信をしていた場所ですが、どなたかのお住まいですか?」
如月が指差す作業机に置かれたタブレットには、いまはなにも映されていない。
「撮影に使ってますが、町谷さんが借りてる部屋です」
――豊田はつなぎになってくれるだろうか。
そこを口に出さずとも、豊田はとうに察していた。
「まかせてください、町谷さんに連絡取ってみます」
そういって微笑んだ豊田は、白猫の首に腕をまわし体重を預けていった。
●
「ひさしぶり――はいいんだけど、豊田くんめっちゃ痩せた……よね」
「大丈夫? 体調崩したりは」
町谷と清水は、豊田と対面するなり真顔になっていた。
「なにか思い出した? きさらぎ駅のこと、ちょっとでもなにかわかれば」
「相変わらず、よく覚えてないんですよ。でもまあ、体調はいいです、おかげさまで」
急な連絡だったはずだが、週末には町谷たちと直接会う約束を取りつけることができた――豊田のおかげだ。
撮影所を兼ねた町谷の自宅アパートまで、豊田が案内してくれた。学生が多く住むイメージのある町で、外装は古めかしいのに内装は近代的な部屋に町谷は暮らしていた。
「そちらの方は――あの、お会いしたことありますよね」
町谷は笑いを噛み殺しているような、微妙な顔つきになる。戸惑っているらしい。
「怖い動画が話題になったじゃないですか。それを会社で話したら、こちらのおふたりが町谷さんと会ったっていうんで驚いちゃって」
「へぇ、おなじ会社の方だったんですね。立ち話は失礼だよ、先に上がっていただこ、町谷」
笑顔で清水は町谷の背をばんばんと叩き、紅緒たちを室内へとうながした。
たくさん靴が置かれているものの玄関は整頓され、大きな地震が起きないことを祈る状態だった。
玄関を入ってすぐに台所があり、その先は振り分けの部屋だ。ドアが二枚並び、その片方に通された。
「突然押しかけて申しわけありません」
そこはカーペット敷きの長方形の部屋だった。
撮影をおこなっている部屋だろう、中央にリビングこたつがあり、動画で見覚えがある。
カメラが向けられていた一帯はあまり物が置かれていないが、反対の壁際にはスチール棚やパソコン机が並び、荷物が雑然と山になっている。たくさんの撮影機材と思しきものがあり、玄関とおなじく物が多いのに整頓されていた。
「散らかってるの、内緒にしといてくださいね」
そういいながら、清水はペットボトルのお茶と紙コップを運んでくる。
動画で町谷たちが腰を下ろしていたリビングこたつに、紅緒たちもうながされるまま腰を下ろした。
「よろしければこちら、召し上がってください」
紅緒は手土産の和菓子を渡した。打ち合わせの席でお菓子類をよく食べる、と豊田から先に聞いていたからか、老舗の最中を如月が買ってきた。いつか食べたいと思っていた品で、差し出す紅緒の手にそれは重く感じられた。
「お気遣いいただいてすみません。うちのスタッフ、甘いもの好きなんです。きっとよろこびます」
押し戴くようにした町谷は、それをこたつに置いた。
物の積み上げられているほうの壁、その中央にデスクトップのパソコンがあった。モニタの表示でなにかのソフトが動いている。
紅緒も如月もそちらに目を向けていた。
「あれ、いまエンコード中なんです」
「お仕事の最中ですよね、今日はありがとうございます」
紅緒が頭を下げると、町谷と清水は笑顔で手を大きく振った。
「趣味も兼ねての動画マンなんで、一日中仕事っていったら仕事になっちゃって。エンコードはじめるともうパソコン放置になるんで、ぜんぜん大丈夫ですよ!」
マチマチャンネルと紅緒たちの間にすわった豊田が、パソコンを指差した。
「つくった動画を、ネットに上げられるようにするんです。重い作業なんですよねぇ」
「色々やることがあるんですね」
仕上げ作業か、と紅緒は解釈する。
モニタに表示されたこまかいウィンドウやそこで踊る波形の意味は、紅緒には皆目見当がつかない。
それは八尺御寮もおなじはずだ。
彼女はモニタに顔をくっつけるようにし、じっとそこから動かない。ずるりと長い背中をかがめ、折った腰を傷めてしまわないか心配になるくらい熱心だ。
町谷たちは気づいていないらしいが、そちらを豊田は見ないようにしている。なにか感じ取っているかもしれない。
「豊田くんと町谷さんたちが知り合いだったことも、僕たちが先週末にお会いしてたことも、なにかのご縁かと思って今日はうかがったんです」
如月が切り出すと、町谷たちは話を聞く姿勢になった。みずから取材に出ていたことからも、初対面の相手と話すことに抵抗はなさそうだ。
「その後S駅のことで妙な話が出ていないか、専門の方のほうが詳しいんじゃないかと」
S駅――インターネット上で都市伝説のきさらぎ駅はそこなのでは、と噂になった件だ。
ツアーを組み出かけた一行が行方不明になったのは、昨年のことだ。しかし消えた面々は帰ってきたし、その後の噂をこれといって見聞きすることはなかった。
「いやいや、専門だなんて……そういう話、お好きなんですか?」
「好きというか、S駅で行方不明になったひとのなかに、会社の同僚だったひとがいて」
「えっ、お知り合いが?」
町谷も清水も同時に身を乗り出してきた。
「とはいっても、帰ってきてから風評被害がひどかったらしくて、会社も辞めちゃったんですよ。なのでその後のことを僕たちは知らないんですが」
パソコンモニタをのぞきこんでいた八尺御寮が顔を上げた。身を起こした彼女の頭は天井につきそうになっている。
ゆっくり頭を巡らせていく――その顔が紅緒に向けられた。
彼女は動かない。
いまだ明瞭にとらえることのできない彼女の顔――そこにあるだろう双眸の圧力を紅緒は感じている。
「豊田くんから町谷さんたちの話をうかがったときに、あのS駅でのことを思い出したんです。その後になにか耳に入っていないか、ぜひお聞きしたいというのと――妙な動画が撮れたので、専門の方に意見を仰げないかと」
如月はスマホを取り出し、全員の視線のなか動画の再生をはじめた。
●
家具のないガランとしたリビングを女が歩いている。
女は鼻に手を当て、わずかに表情を曇らせた。
『空気悪いね』
『換気すれば平気だよ』
撮影者だろう男の声がこたえ、女が閉まっているカーテンに向かう。
カーテンを開き、掃き出し窓に隙間をつくり、入ってくる風で女の前髪が揺れた。
『ちょっと、もういい加減撮らないでよ』
窓を背にした彼女が撮影者に向かって足を踏み出す――と、ばたっと音を立ててサッシが閉まり、次いでカーテンが閉じられた。
『なんで?』
女がカーテンを開き、サッシも開く。
撮影者が駆け寄り、女の肩越しにちいさな庭を見下ろした。養生しているのか、青いシートが庭に張られている。なにかが通れば、そこに足跡が残るはずだった。
『なんで?』
カメラがあたりを見回すように動く。誰もおらず、サッシやカーテンが閉じる要因は見つけられない。
――そこで動画は終わっていた。
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