第2-2話

 会社の同僚たちが五人も同時に行方がわからなくなる――大事件といっていい。

 紅緒も如月も、まわりになにも話さないまま週末を迎えていた。水菓子の気分ではなくなっている。

 中川たちは杳として行方が知れない。

 きさらぎ駅探索ツアーは、人気のSNS上で参加者を募った企画だった。紅緒はSNSを利用していないため知らなかったが、現在ユーザー間で認知度の高い話題らしい。

 ――肝試しツアーに出かけた、総勢九名が姿を消してしまった。

 そのうち五名は一灯電社の総務部のメンバーだ。

 大変なことである。

 金曜日の午後になると、会社の五階にある会議室で居成部長と面談をすることになった。

 居成いわく、部内のメンバーひとりひとりと面談し、知っていることがないか話したい。そうすることで、なにか気づけることがあるかもしれない、とのこと。

 紅緒は如月の件をどうしたらいいか迷っていた。

 同僚である闇濡れ男は、おそらく中川たちに同行していたはずだ。ただそう判断した材料は、彼の口振りだけである。

 紅緒は彼をおかしいものとして捉えている。

 なにかやらかしていたとして、すべて納得できる――そんな偏見を持っているのだ。フェアではない。

 順番に部内の顔が会議室に向かい、戻ってくる。

 如月は二番手だった。

 戻ってきた彼は着席すると、となりの席の紅緒にメモをまわしてきた。

 整った文字が並び、どんな話をしたかが書き留められていた。

 彼は知らぬ存ぜぬで通したそうだ。一緒に出かけていたらなにか役に立てていたかもしれない、とも話したらしい。ずいぶんと空々しい言葉だ。

 もし警察が動くなら、駅などの監視カメラも確認するだろう。そのうち如月の嘘は発覚すると紅緒は踏んでいる。

 ではどうしたらいいか――順番がまわってきて足を向けた会議室では、疲れた顔をした居成部長が待っていた。

「悪いなぁ、忙しくなってるのに。いなくなった連中のご家族とのつなぎ役、俺がやることになったからさ、ちょっと話し聞かせてくれるか」

 総勢十二名の部署で、五名が不在なのだ。残業代の出る会社でよかった、とうんざりした声を毎日聞いている。ちなみに毎日残業をしていても、仕事を残して全員退社している有様だ。

「つなぎ役ですか」

「あっちこっちに話が散けてもなぁ。まあ、誰と話しても、似たようなことしか出てこない。そりゃ知らんよなぁ。仲のいい連中でつるんで出かけたわけだから、残ってるのはなんつうか、普通の同僚だろ」

「プライベートはあまり聞いたことがないですね」

「だなぁ。で、先週の金曜日ってどんな感じだった?」

 紅緒はあったことをそのまま話した。居成はふーん、と鼻を鳴らす。これまでに話をした全員が、おそらく紅緒とおなじ話をしているだろう。

「それにしても、肝試しのためにわざわざ遠くまで出かけるのか……三嶋さんはどう? 参加しようとは」

 そもそも誘われていない――というのは、ひとまず横に置いておく。

「気乗りしませんでしたので、中川さんに出かけた先の写真を撮ったら見せてください、とだけ頼みました」

「まあ……肝試しだもんなぁ。気軽にいこうなんて思わない……いや、思ったからあいつら出かけてったのか。会社のみんなでいこうなんて、誘うもんでもないだろうしなぁ」

「急だな、とも思いましたし」

「もっとはやく誘われたら、三嶋さんもいってた?」

 紅緒は愛想笑いをした。

「いかないです」

「中川さん、如月くんのこと誘ってたそうだけど、どうだった? あれか、つき合いそう?」

「脈はなさそうな気がしますが、どうなるんでしょうね」

 恋愛はどう転がっていくかわからない。

「如月くん、参加見合わせたっていうけど、出かけてたら仲が急接近みたいなことになってたかねぇ」

「そうなってたら、おもしろかったかもしれないですね」

「当日に体調崩したっつってたな」

 頭から闇を被っていて、如月の顔色さえ見たことがない。体調不良を訴えて、すぐに信じてもらえるような顔色をしているのだろうか。

「中川さんに誘われたときに気乗りしてないようだったので、いかなかったって如月さんが話してたとき、仮病だろうなぁとは思いました」

 居成は笑った。

 紅緒としては如月の肩を持ったつもりはない。ひとりだけ帰ってきたなどと話したところで、どうにもならないだろう。

 話はそこで終わりだった。


        ●


 インターネットは怖いところだ。

 元々きさらぎ駅探索ツアーへの参加呼びかけは、SNS上の開かれた場所でおこなわれていた。

 いざ実行へ、となったところで、やり取りは鍵をかけたアカウント内に移っていった。鍵がかかっている――主催者が許したユーザーでなければ、やり取りを見ることもできないらしい。

 だがそんな鍵がかかった場所でやり取りが成されても、それは筒抜けになり、詳細はいまやインターネット上にばら撒かれている。

 現地参加を見送ったほかのユーザーが、やり取りしていた内容の画像をインターネット上に掲載したのだ。

 それは木曜日の早朝だった。

 事態を知った紅緒は驚いていた。失踪者の件が報道されるより先に、インターネット上に情報が漏れたのだ。

 ツアーに関心を寄せていたものもいたのだろうし、誰とも連絡がつかず心配するものもいただろう。

 この事態をおもしろがる輩だけでなければいいのだが。

「ネットで騒ぎになったら警察も動くだろう、なんていうひともいますね」

「まあ大騒ぎになったり、ご家族が警察に相談したりすれば……どうなんでしょうね」

「かもしれません――あ、如月さん、部長もう来てますよ」

 紅緒は駅のベンチに腰かけている居成を見つけた。待ち合わせの十時にはまだはやいが、ずっと待っていました、という風情ですわっている。

「ほんとうに、現地にいくんですかね」

 めずらしく如月の声は沈んでいる。紅緒はすかさずうなずいた。

「部長もいくんですし、とにかく私たちも」

「なにも楽しくないですよ、べつに」

 これから紅緒たち三人は、きさらぎ駅探索ツアーの足跡をたどることになっていた。

 居成の発案で決まったことだが、正直なところ紅緒も如月同様に気乗りしていなかった。だが如月の気乗りしない声を聞けるなら、面倒な足跡たどりをするのもやぶさかではない。

「部長!」

 会社で対面するときよりも、私服の居成は三割増しは気のいいおじさんに見えた。言葉遣いは少々乱暴なときがあるが、紅緒としては許容範囲だ。べつに気の向くまま他人を怒鳴りつけるタイプではない。

「悪いね、つき合わせて」

「電車の乗り継ぎ、ちょっと面倒そうですね」

 如月はスマホを取り出している。のぞきこむと、そこには乗り換えの案内が表示されていた。

「一本電車見送って、次の電車に乗ったほうがスムーズそうだなぁ」

 ここから目的地まで、大体片道二時間だ。

 少なくともこのメンバーと、四時間は一緒にいることになる。

 紅緒は駅の片隅――催事出店をしている和菓子のブースに目を向ける。まだ開店前のようだが、出店の支度は済んでいるらしい。声をかけてみる価値はあるだろう。

「途中でつまむものでも買いましょう。私、あそこのぞいてきますね」

「そうだな、長丁場だろうし……飲み物も買っておこうか」

 催事ブースの横には、コンビニエンスストアもあった。紅緒が催事ブース、居成がコンビニエンスストアに向かう。

 如月はとことこと紅緒についてきていた。

「適当に買っておきます、如月さんは私の分も飲み物をお願いします」

「……現地にいったところで、どうにもなりませんよ」

「でもわからないですよね、いってみないと」

 中川たちの行方がわからなくなり、すでに一週間が経っている。どうにもならないだろう、と紅緒も考えていた。

 インターネット上の情報では、乗降客数世界一を記録した都心のターミナル駅から、特急や鈍行を乗り継いだ先――山間の無人駅Sという場所が現場だった。

 紅緒たち以外にも、足を運ぼうという声が散見されていた。

 それらを眺めた印象では、失踪はうっかり山に入って遭難したのでは、という見方が強い。

「山で遭難したなら、俺たちの立ち入ることじゃないです」

「山で遭難したんですか?」

 如月が黙る。

 闇濡れした彼の表情は読めず、紅緒は催事ブースに向かった。

 買い物の途中で背後をうかがうと、如月はコンビニエンスストアに入っていくところだった。

 現地で紅緒たちにできることはないだろう。

 彼らがなにかトラブルに巻きこまれたなら、それはすでに終わっている。まだ間に合うのでは、という考えは気楽すぎるだろう。

 いくつかの和菓子を買った紅緒が振り返ると、居成と如月はすでに買い物を終えていた。

 彼らの買い物袋は、いかにも重そうなものになっていた。



 S駅――どちらかというと、紅緒の好きな風景だった。

 山と山と緑と緑。

 風が青臭い。観光客が訪れるような名山や水源があるわけでもなく、喧噪と無縁の景色だ。

 到着したのは殺風景な駅舎であり、そこをぐるりと取り巻く環境は、十月末でも青々としている。

「こういう場所を、なにもないっていうんでしょうね」

 しかしやかましいほどの緑に囲まれている。

「そりゃそうだが……いつもよりは、にぎやかなんだろうなぁ」

 居成がため息をついた。

 いつもならここまでの人出はないのではないか――駅舎にも無人改札の向こうにも、点々と人影があった。

 この場所がきさらぎ駅探索ツアー参加者の目的地だ、とインターネット上にばら撒かれてしまっている。それに引き寄せられたひとびとだろう。面白半分かどうかは、それぞれの事情だ。

 単線の線路は両脇に柵があり、緩いカーブを描いている。

 線路――来た道も先に続く道も、どちらも山裾に飲まれるように消えていた。都心から二時間弱ばかりで風景は変わる。

 紅緒は線路をのぞきこんだ。

 駅のホームに立っていても、周辺の景色が見渡せる。整備された道と、何軒かの商店が確認できた。

「どうしますか、部長」

「どう、腹は減ってる?」

 正午をわずかに過ぎている。紅緒は満腹だった。

「いまのところは、とくには」

「だろうな」

 待ち合わせた駅で買いこんだ和菓子は、一口サイズの饅頭十個がセットになったものだ。それを数種類購入し、大半を紅緒が車中で食べている。

 居成と如月が購入したものは、ペットボトルのお茶やおにぎりなどだ。

 それも三人分どころではない量で、居成はもし中川たちに渡せるようなら、と多めに購入したのだという。

 お供えにならなければいい、と紅緒は思ったが、口には出さず饅頭をつまんでいた。

 駅を出る前に、紅緒と如月でペットボトルを分担して持つことにした。紅緒はトートバッグ、如月はリュックサックを持参し、収納力は抜群だ。

 ぞろぞろと駅を出て足を止める。あたりを見回す、何組ものグループが見受けられた。どれも近隣住民とは思えない。

 スマホで撮影している若い男性グループがいる。動画撮影か、大きな声で滑舌がよく、なかなか軽妙なしゃべり方をしていた。

「なんだありゃ、どっかのテレビの撮影か?」

「あれ、ネットに上げるやつじゃないですか? 動画配信の」

 素人が動画を作成し、アップロードして公開できる――いくつかそういった動画配信サイトがインターネット上にある。

 自分たちで番組をつくる、というところに紅緒はイメージが湧かないが、人気のあるコンテンツらしかった。

 いま興味がなくても、いつどうなるかわからない。

 紅緒もちょっと前までは、和菓子に興味はなかったのだ。

 いまはふたりに黙って取り分けてある饅頭を、無事に持って帰ることだけを考えていた。帰りの電車で食べたくなってしまうかもしれない。ひとつひとつは小振りで一口サイズだが、なかなか侮れない味だった。

「動画ねぇ……まあ、邪魔にならないところ歩けばいいのかな。一区切りつくまで物音立てないほうがいいのかね、ああいうのは」

「スタッフのひと、まわりに注意したりしてませんし、通ってもいいんじゃないでしょうか」

「えーどぅもっ、マチマチです!」

 収録が開始されたようだ。高めの彼の声はよく通る。近くで話すふたりより、少し距離のある彼の声のほうがはっきり聞き取れた。

「つい先日、大量失踪ならぬ! 大量異界行きが起きたと思われる現場にやってきております!」

 大量異界行き――そういわれてみると、確かに、と思う。

 現実には存在しないという場所に、九人もの人間が向かい、消息を絶った。

 マチマチという青年がどこまで本気かわからないが、遭難も異界行きも大事なのは間違いない。

 如月の言動だっておかしいものだ。

 なにか知っているらしいが、問い詰めたところで口を割るだろうか。

「ごらんください、のどかな景色が広がっております!」

 マチマチ氏が手のひらを後方に動かすと、撮影担当の男性が棒の先に括りつけたスマホをそちらに向けた。打ち合わせ済みらしい、慣れた様子だ。

「とはいえ、警察により捜索隊が出ているわけでも、なにやら規制されているわけでもないんですねぇ」

 捜索隊は出ていないのか。

 居成は足を動かさず、ペットボトルのお茶を飲みはじめた。

「しかし参加者の総勢九名のみなさんが消息知れずになっているのは! まぁぎれもない事実!」

 紅緒には意外だったし、ひとの足で歩きまわれる範囲で遭難する、というのも信じがたかった。さすがに山は駅から距離がある。ここからさらに車で山に向かったのだろうか。

 駅で待ち合わせてから電車移動する、と中川は話していた。わざわざ先に車を用意しておいたなら、犯人も面倒なことをしたものだ――犯罪行為だとすれば、どれもこれも面倒な用意が必要か。

「SNSでも今回の件! 盛り上がっておりますが! 手がかりらしきものもとくにないみたいなんですね」

 紅緒は撮影に使われているスマホを一瞥する。最新のスマホに買い換えた紅緒とおなじ機種だ。

 失踪した全員分のスマホが不通であることも気になった――それもまた、インターネットでの情報だ。

 ポケットのスマホを、紅緒は上着越しに撫でる。

 買い換えになったとき、店員は「電源が切れても、紛失したときに探せるんですよ」と自信満々に語っていた。

 そのための設定などがあるらしいが、それなら九人のうち誰かのスマホも見つけられそうなものだ――じつは見つかっていたりするのかもしれない。

「わたくしことマチマチは、現地をこの足で歩き、空気を肌で感じることで、消息のわからなくなった方々に近づき――」

 居成がペットボトルの蓋を締め、道の先をあごで示す。

 出発するのか、と紅緒もそちらに顔を向けて見つけた。

「ああいう撮影した動画って、見るひと多いんですかねぇ」

 如月の声にはうんざりしたものが見え隠れしていた。

「ちょっとネットさわっただけですけど、今回のもとになった怪談話って有名らしいですね。わざわざここまで出かけてきてるんですし、あるていどは見込んでるんじゃないですか?」

「如月とおなじ名前の駅ってやつ、そんなに有名なのか?」

「私も知らなかったので、有名だっていわれてもピンとこないんですが」

「ああ、なんか山のほう撮ってますね。しゃべってたひとが退きましたし、そろそろ終わるかな?」

「ひとがいなくなったかも、ってだけだろ。ただの山だろうに」

「きさらぎ駅にいけるっていうの、けっこうな付加価値あるんじゃないですか?」

 おつかれさまでーす、との声が聞こえ、彼らが肩の力を抜いていく。

「お、撮影一段落みたいだな。動いても邪魔にならないだろ、そろそろ行くか」

 無言でうなずいた紅緒は、並んだ商店の片隅に和菓子屋の看板を見つけていた。

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