第93話 死に至る嘘

 ディマーユさんが提示したのは〝死に至りうる劇毒を飲め〟というもの。

 しかしそれをレトリーはあろう事か受け入れたのだ。


 その覚悟には感服する。

 だけど……!


 それではたとえ受け入れられたとしても、人として生きる事はもう……!


「よかろう。ではさっそくやってもらおうか」


 そんな中でディマーユさんが小さなグラスをも取り出す。

 今度は透明感のある綺麗なものだ。


 その中へと、蓋を開けられた瓶から液体がコトコト注がれた。


 まるで血のように赤黒いし、妙に粘度がある。

 それに何か煙のようなものまで立ち上っていて、怪しい事この上ないぞ!?


 しかもそれを目分量で注ぐなんて、本当に平気なのかよ……!?


「これで三口分だ。さぁどうぞ?」


 そんな怪しさに溢れたグラスを指一本で押して差し出す。

 それも顔を背けながらとは、まるで嫌がっているかのようじゃないか。


 でもレトリーは一歩を踏み出し、ついにはディマーユさんの机の前へ。

 グラスを二指で摘まむようにして手に取る。


 そしてその勢いのまま毒を口へとグッと流し込んだのだ。


「――ッッッ!!!??」


 だがその途端、レトリーに異変が。


 突如、彼女の体が「ビクンッ」と震える。

 するとその拍子にグラスが指から擦り落ちた。


 でもグラスが割れようがもはや誰も構いやしない。

 同時にレトリーがガクリと膝を落とし、口を抑えながら震え始めていたのだから。


「グ、ググ……」

「レ、レトリー?」

「グゲ、グゲゲゲゲエーーーッ!?」


 そんな彼女の声は、まるでウシガエルのようにとても醜いものだった。


 毒はハッタリでもなんでもなかったのだ。

 まさしく本物で、今この時も彼女の喉を焼き尽くしている。


 だからこそ激痛の余りに悶え、苦しみ、醜くかろうと声を上げざるを得ない。


「ウッグググッ!?」 

「あ、ああ……」

「ガッ、ゴブッ!? オッゴオォォォオ!!?」


 だけど何か妙だ。

 苦しみがやけに続き、ついには頭を伏せさせてしまって。


 その様子があまりにも異常だったがゆえに、俺はたまらず駆け寄っていた。


 そしてその異常の原因にすぐ気付く事となる。

 彼女の顔に起きていた異変と、その異常事態に。


「レトリー……お前……!?」


 目や耳から、大量の血が流れ出ていたのだ。

 床を汚し、ひたしてしまうほどにドバドバと。


「おぉすまんすまん、どうやら今のは六口分だったらしい」

「なッ!!!?」

「いかんな、使うのが久しぶり過ぎて間違えてしまったようだ」

「そ、そんな……ぐっ!」


 その中で訴えるようにこちらを向く彼女の瞳はもう、真っ白だった。

 見えているのかもわからない。震えて、掠れて、焦点も合っていないから。


 しかしその中でも口を抑えて離そうとしない。

 真っ赤にドロドロに染まろうとも構わずに。


「もういいっ! もうやめろレトリーッ! 吐き出せ! 吐き出しちまえええっ!!!」


 だから俺は彼女の肩を掴み、ただこう叫んでいた。

 今ならまだ間に合う――そう願うがままに。


 でも、レトリーは首を横に振るばかりだった。

 血涙を流しながら、目を見開きながらもただ必死に。


「お前……それほどに俺の事を……!?」


 それでやっと気付かされたのだ。

 レトリーの覚悟と想いがどれだけ強く重いのかという事に。


 彼女が今までバチバチにやりあっていたのは伊達や酔狂からではない。

 ただ俺と触れ合うのが楽しくて、好きでたまらなかったからなんだって。

 けれどレトリー自身が不器用だから、ああするしかなかった。


 ああ、本当に不器用な女だ。

 あんな鉄面皮メガネごっこなんかせず、最初からナーシェちゃんみたいに可愛げがあったら惹かれてならなかったろうに。


 だがもう、その心がわかったなら、俺はッ!


「師匠ッ!!! 解毒剤くらい持っているんだろうッ!? 早く出せよッ!!?」

「んなっ!?」


 ただ感情のままに立ち上がり、机を掌で「ダァン!」と力強く叩きつける。

 そうする中でディマーユさんをこれ以上なく睨み付け、怒鳴りつけてやったのだ。


 もう体裁など構うものかよ!

 レトリーを見殺しにするくらいなら、俺は師匠を見限る事さえいとわないッ!!!!!


「もうコイツを苦しむ所は見たく――」

「もういい、そこまでにしておくのらラング」

「――ッ!?」


 すると途端、俺の腰に柔らかな感触が触れる。

 ウーティリスがそっと手を添えていたのだ。


 それと同時に、妙に怒りが収まっていく!?

 なんだ、この妙な気分の安らぎ具合は……?


「はぁ~~~……ディマーユもそろそろ遊ぶのはよせ。見ていて気分が悪いわ」

「ククッ、やはりウーティリスは騙せんな。さすがは神というべきか」


 え、それは一体どういう意味で……?


「まぁいい、レトリーとやらの覚悟はもう充分に理解できたからな」


 そう考える間もなく、ディマーユさんが指をパチンと鳴らす。


 そうしたらどうだ。

 咄嗟にレトリーの方を向けば、なんて事のない光景が待っていた。


 俺を見上げていたレトリーは綺麗な顔のまま。

 血で溢れていたはずの床には血だまりどころか血染め一つない。

 強いて言うなら割れたグラスと紫の染みが数滴分だけだ。

 

 それでレトリー自身もまたキョトンとしつつ、しきりに自身の顔をペタペタと触れていて。


 苦しくもないようだ。

 それどころか何か吐こうものなら、ゲップと共に甘い香りが漂ってくる。


 どういう事なんだこれは……!?


「今のはただの〝嘘〟に過ぎんよ。ただし我の力を使っただけの、な」

「えっ……」

「フフ、我の象徴を忘れたのか?」

「あっ!?」


 え?

 じゃあ今レトリーに呑ませたのは毒、じゃなかった……?


「今飲んだのは果実酒だよ。我が故郷の地にて好んで飲んでいた一級品だ。どうかな、お味の方は?」

「あ、えっと……上品な味わいでございますね」

「ふふっ、それは良かった」


 レトリーも何事もなく立ち上がり、おまけに感想まで述べる始末だ。

 本当に何も無かったのか……?


『当然であろう。ディマーユは最初からあやつに害を与えるつもりではなかったのら』


 そ、そうだったのか……。


『ディマーユは陰神ゆえ、わらわ達とは違い人の心が読めぬ。よってあのように人の心を測る事を得意としたのであろう』


 じゃ、じゃあそれに俺もまんまと騙されちまったって訳かよぉ!?


『うむ。しかしそなたがあまりにも迫真過ぎてディマーユが戸惑っておったぞぉ? なっはっはー! 情けないのう、実に単純な奴めっ!』


 ううっ……クソ、何も言い返せねぇ!

 なんか恥ずかしくなってきちまったよぉ!


「ああーっ! ちっきしょおおお、もおおお!!!」

「ラ、ラング=バートナー、なぜいきなり叫んでいるのです!?」

「奴は放っておけ。己の過ちにやっと気付いたんだろう」

「は、はぁ……」


 ああ、もう心が痛いくらいにな!

 どうすんだこのやり場のない恥ずかしさっ!

 悶えずにいられねえーーーっ!


「とはいえ試験には合格だ。よく耐えたな、レトリー=グレビュール」

「あ、はい、ありがとうございます……何が起きたのかはわかりませんが」

「ではようこそ、我がリミュネール商会へ」

「えっ!? あの悪名高い詐欺団体リミュネール商会いいいっ!?」

「フフッ、なんだギルドではそう教えられているのかぁ? これはショックだなぁ~」

「実際は違いますよレトリーさん。商会は力の弱い人々を助けるために設立されたものなんですからっ!」

「そう、だったのですね……大変失礼しました」

「ならばその失礼を実績で示して覆したまえよ」


 ……どうやら悶えている間に事が済んだらしい。

 結局のところ、俺は引き立て役にしかならなかったようだ。


 ま、それでもレトリーが認められたのなら充分さ。

 本当の信頼はこれから築いていけばいいんだからな。


 あいつからの想いにはその後で決着を付けるとしよう。




 ――こうしてレトリーは無事、リミュネール商会への参加を果たした。


 ただし、しばらくは俺達の下から離れ、専門の教育を受けるそうだ。

 元々ギルド員としての先入観が強かったからな。こればかりは仕方ない。


 けどきっとあいつならすぐ戻って来れるだろうよ。

 なにせ今まで忠誠を誓っていたギルドを、俺のためだけに簡単に切り捨てられた女なんだからな。


 なら少なくとも、俺だけはあいつを信じてやりたいと思う。




 だがどうやらレトリーの一件はしょせん前座に過ぎなかったようだ。

 ディマーユさんが早々に帰ってきたのにはしっかりと理由があったらしい。

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